第6話 果敢に挑む姿

「……だからふざけてんのかって言ってんだよ」


 キボンは俺の両手の渾身の一撃を片手の剣であっさりと受ける。

 一瞬生じた鍔迫り合いだが、ぐい、と押し返され、難なく俺の剣は払いのけられた。


「うぉっ」


 体勢を崩し、俺はふらついた。


「おやおや、それで力入れてたのかよ、お前」


 吹き出したまま、キボンが踏み込んだ。

 次の瞬間、俺の剣ははじき飛ばされ、くるくると回転しながら木に刺さる。


(くそ、本当に見えない……)


「隙あり」


 キボンは口元を歪めるようにして笑うと、俺の顔面に頭突きを入れた。


「――がっ!?」


 鼻の奥が痺れて、眼前が白く光った。

 同時に、恐ろしくなるほどの量の血が、自分の鼻から流れ始める。


 触れると鼻が、陥没していた。


 おさえながらトムオをちらりと見るが、彼は腰が抜けたらしく、同じ位置でさめざめと泣いているだけだった。


「……お前もしかして、これも見えないとかじゃねえだろうな?」


 そう言ってキボンは二本の剣を左手でまとめて肩に担ぐと、懐から凝った装飾のナイフを取り出した。

 それを手首だけで、ひゅ、と投げる。


「――ぐあぁ!?」


 右肩を突かれたような衝撃に肩が反る。


 見るといつの間にか、鎧の隙間にナイフが根元まで刺さっていた。

 思い出したように、血がどくん、どくんとこぼれ始める。


「うあぁ……」


 動こうとするが、右腕に電気のような激痛が走り、俺は膝をついた。

 急所と言うものをやられたのだと気づいたのは、右腕が使えなくなってからだった。


「やっぱ見えてねぇか……ゴミくずだなお前。デブは伊達じゃないってことか」


 キボンはあからさまに失望した表情を浮かべた。


「どら、しょうがねぇ。武器なしで戦ってやるよ――おら」


 キボンが一瞬で俺の目の前に現れる。

 次の瞬間、チェインで守られた俺のみぞおちに膝蹴りを入れた。


「ぐは」


 俺の体が、くの字に折れる。


 口にせり上がってくる熱いもの。


「――おら。これは軽めだ。これも躱せねぇか?」


 拳か蹴りか、顎を下から跳ね上げられた俺は口の中を噛みながら、宙に浮いた。

 ふわりと浮き上がった感じのせいで、どちらが地面かもわからなくなる。


「くそがぁ!」


 恥を晒すように地面に落ちるのが予想できた俺は、目を見開いて地を確認し、強引に体を捻って両足で着地しようとする。


 肥満体ながらも、ここ二週間で体を操作してきたことが実を結んでか、脚から降りる体勢にできた。


 ――立てる、と思った。


 しかし下は、普通の足場ではなかった。

 日々暖をとるために、木々から落としたたきぎや枝が山と積まれていた場所だったのだ。


「お、あそこに落ちるぞ!」


 回りの敵兵たちがなにかを期待して、嬉々とする。


「うおぁ」


 俺は薪や枝の折り重なる上に落ち、当然のようにそれはガラガラと崩れ、俺は埋もれた。


「なんだそりゃ! かっこわりいなぁ、英雄殿よ! あっはっは」


 キボンが腹を抱えて笑う。


「あいつ、期待を裏切らない面白さだ!」


 つられて敵軍の兵が大爆笑している。


(ふざけやがって……!)


 俺は薪をかき分けて立ち上がる。


「どら、これは躱せるだろ、のろのろパンチだ」


 俺の動きに合わせるように、キボンが顔を狙って拳を繰り出してくる。

 今度は、なんとかかろうじて見える。


 俺は反って躱し、みぞおちの一撃を体をねじって躱し、足払いを飛んで躱した。


(しのげ……)


 奴は油断している。

 絶対に俺でもつける隙ができるはずだ。


 キボンの攻撃はちょうど俺が反撃ができない速度で矢継ぎ早に繰り返された。

 身体を丸くし、顔をガードして、肩や腰、顔の傷みに耐えながら、やってくる隙を窺う。


 しかし――。


「はぁっ、はぁっ……!」


 守っているだけなのに、左の脇腹が痛くなり、3分と経たぬうちに息が上がってしまっていた。

 鼻から流れ続ける血も止まらず、目の前が霞んでくる。


「おいおい、なにもしてねーのにもうばてたのかよ!? お前、うちの最下級兵以下だぞ!」


 キボンは俺を目の前にしながらも剣を仕舞い、ふんぞり返って笑った。


 奴は隙だらけである。

 しかし俺はもう、動けなかった。


(くそが……)


 痛いほどに歯噛みしていた。


 異世界に転移したのに、俺はあまりに雑魚過ぎるのだ。


 当たり前だ。

 俺はチートも何も持っていない。


 職業はひとつも役立たない【食の競争者フードファイター】。

 スキルも未だに文字化けしており、使い方すらわからない。


 対して目の前の勇者は……。


「しょうがねぇなぁ。冥途の土産に見せてやるよ。お前のために用意してあった奴らだ」


 キボンはにやっと笑うと、眉間に二本の指をあてて何かを念じ始めた。

 やがて空から翼をはためかせ、白く輝く何かがゆっくりと舞い降りてきた。


 純白の鎧を身にまとい、2メートルを超えるであろうその背よりも長い槍を持っている。


 ――天使だ。


 しかし、階級が全く異なるのだろう。

 兵士たちと行動を共にしている天使たちとは似ても似つかぬ威厳と、恐れを感じさせる風貌を兼ね備えている。


「しょ、召喚したのか……!」


 目を見開く俺に対して、キボンは喜々としている。


「……そうそう。俺様の部下。力天使デュナメイスだ。お前がどんだけのもんかと思って、今日まで待って召喚できるようにしておいたのによ。てんでお笑い種だぜ」


「……」


 俺は唇を噛んでいた。


「――ラグエル。軽く痛めつけろ。俺が殺す」


 キボンの命令に従い、その天使が地上に降りてきた。


「ルゥゥ――!」


 それが長槍を横に一閃すると、光の線が恐ろしい勢いで俺に迫ってきた。


「うがぁっ」


 音もなく俺の両膝がすっぱりと裂け、血が噴き出した。

 立っていられなくなり、その場に崩れ落ちる。


「雑魚だからこれで十分か」


 這いつくばりながらも見上げた先で、キボンが再び双剣を抜き、構えた。


「この異世界に名を残すのは一人でいい。お前は殺処分だ。――死ね」


 キボンがまた、掻き消えた。

 満身創痍の俺にはもう、動きようがなかった。


 しかし、次の瞬間。


「やぁぁ――!」


 すぐそばでガキン、という金属音とともに火花が散った。

 その場に似つかわぬ、淑やかな花の香りがした気がした。


「……な、なんだてめぇは」


 キボンが呻くような声を上げて、飛びずさる。


 肩に下ろしたままの銀色の髪が、風になびく。


「――我らの英雄様には、もはや指一本触れさせません」


 俺にふくらはぎを見せるように立って凛と剣を構えるのは、リーフロッテだった。

 キボンは一撃を受けた手がしびれたのか、剣の切っ先が下を向いている。


「り、リーフロッテ……」


「お守りする立場でありながら持ち場を離れ、申し訳ございません。どうか平にご容赦を」


 彼女は背を向けたまま静かに言うと、俺の前に小瓶を二つ落とした。

 それがなにかは、わかる。


 ホブゴブリンにやられた俺の傷を治してくれた、回復薬だ。


「この野郎、NPCの割になかなかやるじゃねぇか。……決めた。代わりにてめえを料理してやる」


 キボンが再び剣を向けるように構える。


「だめだ。逃げるんだリーフロッテ! そいつは強すぎる」


 這ったまま言う俺の言葉に、リーフロッテが振り向く。

 悲しそうな笑顔を浮かべていた。


「トムオ様。そしてイーラ様。どうか、どうか私たちをお許しくださいませ」


 そして、お別れです、と彼女は聞こえるか聞こえないかぐらいの声で付け加えた。


「リーフロッテとやら。天使どもは黙らせておいてやる。俺と一対一だ。さあ来い」


「リーフロッテ! だめだ!」


「――今のうちに!」


 逃げてください――と叫びながらリーフロッテが銀髪を揺らしてキボンに斬りかかった。


「ちきしょう! なんでこんなことに」


 俺は彼女がくれた小瓶を飲み干し、なんとか立ち上がった。

 膝は傷が閉じ、痺れた感じも消え去っている。


「リーフロッテ……死ぬな」


 彼女の動きは俺の訓練に付き合ってくれていた時より数段速かった。

 キボンの顔からにやついた笑みが消え、必死にその攻撃をさばき始める。


「ぬおっ! なんだこいつは」


 速すぎて、俺にはほとんど見えない。

 だが、リーフロッテが押していることはわかった。


「イーラ! 今! にげよ、逃げようって!」


 俺のそばに来て、袖を引っ張るトムオ。

 確かに俺たちはリーフロッテの指示もあって、いつ襲われても逃げられるように、このあたりの地理は頭に叩き込んであった。


「勝手に逃げろ」


 俺はトムオの手を振り払い、リーフロッテに視線を戻す。


「バカ、知らないからな――」


 だが、駆け出したトムオがすぐにぺたんと座り込んだ。


 見ると、いつの間にか真っ白な者たちが遠巻きに自分たちを取り囲んでいたのだ。

 その背中には、キボンの背にあるものと同じ翼があるのがわかる。


 そう、キボンが従えているという天使の軍団に違いなかった。

 

(どうせ逃げるつもりなど毛頭ない)


 俺は近くに落ちていた折れた矢じりを掴み、キボンに向き直った。


(せめてあのキボンに一矢報いる)


 リーフロッテと戦っている最中なら――。


 ちょうどその時、キボンがこちらに背を向けて剣を合わせ始めた。

 俺はその後頭部めがけて、矢じりを放つ。


 気づいたキボンが矢じりを左手の剣で叩き落とすが、リーフロッテはその生まれた隙を逃さなかった。


「ぐわっ!?」


 リーフロッテの剣先がキボンの目元を捉え、キボンが剣を落とし、右目をおさえて呻いた。


(すごい)


 俺は興奮で震えた。

 やはり、リーフロッテはすごい。


 俺では全く見えなかったキボンに張り合い、隙を咎めて一撃を見舞ったのだ。

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