第5話 勇者来襲

「イーラ様、なにか食べましょう」


 隣に座っているリーフロッテが微笑み、俺に気を遣ってくれている。

 俺の脚の負傷は、彼女が持っていた回復薬で完治した。


 目の前には兵士たち数人が、持ち回りで準備してくれた食事がある。

 今日は満月鳥という、丸々と太った鳥を3匹も狩ることができたそうだ。


 それを使った直焼きと、山菜づくしの塩味スープである。

 リーフロッテも、調理に加わってくれたらしい。


「今日のスープは滋養があって体にいいんです。満月鳥の食べにくい部分も残さず食べられる料理なんですよ」


 俺はしかし、それには手を付けず、言葉も発せられずにいた。

 やり場のない、怒りにも似た気持ちをどうすればいいのかわからない。


(ただただ、情けない)


 俺のことを、キボンを倒すほどに強くなると信じてくれているリーフロッテ。

 その人を前に恥をさらし、最後には守ってもらうなど、こんな情けないことがあろうか。


 俺の無謀な行為のために、貴重な回復薬をいくつも使わせてしまった。


「イーラ様。ゴブリンたちの排除は見事でした。すごく恰好よかったです」


「……カッコよくなんかねぇよ」


 俺は俯いたまま、低い声で呟いた。

 強い彼女にそんなことを言われても、いっそうみじめに感じるだけだ。


 この人を「守るよ」なんて、よく言ったと思う。


「イーラ様?」


 リーフロッテが、その澄んだ瞳を向けてくる。

 俺は耐えられず、視線を逸らした。


「……済まない。いっぱいいっぱいでな。ちょっと一人にしてもらえないかな」


 一人になりたい理由。

 彼女に八つ当たりするのだけは、嫌だったからだ。


「……はい。失礼いたしました」


 リーフロッテは俺の食事を器に盛り、目の前にそっと置くと、水を汲んできますと背を向けて去っていった。


「はぁ……」


 ため息が出た。


(最低だ)


 なんで俺は、こんなに弱いんだ。

 しかも身重なデブ。


 いつ勇者たちがここに気づいて攻め込んでくるかわからないのに。

 さっさと強くならなければならないのに。


 せめてこんな雑魚スタートじゃなければと、ついつい運命を恨んでしまう。


 こんなことでは……。


 その時だった。


「ぎゃあああ――!」


 この世のものとは思えない叫びが辺りに響き渡った。

 はっとして声の方を見ると、味方の兵士の一人が腹に剣を突き刺され、男に宙吊りにされていた。


「ひぃぃ!?」


 トムオがスープをぶちまけながら、仰け反る。


「敵兵か」


 立ち上がって、リーフロッテから与えられていたさっきの剣を抜く。

 木々の影から、そろぞろと敵兵が姿を現していた。


「ここ見つからないんじゃなかったのかよ!?」


 トムオが動転した声を上げると、敵兵たちが笑い声をあげた。


「気づいてなかったと思ってたのかよ。めでたい連中だぜ」


 剣を突き上げ、宙づりにしている側の男が嘲笑うかのように言った。

 そして、剣の先にあったものをぽいと投げ捨てる。


「雑魚を片付けろ。こいつは俺がやる」


 金髪を刈り上げた、すらりとした長身の男が背後の味方に向かって言った。

 年のころは俺より1,2歳上だろうか。


 反対の手にも、意匠の凝らされた剣を持っている。


 いずれも、片手半剣バスタードソードと呼んでいい品だ。

 二つともリーフロッテの剣と同じく、白く淡い光を放っている。


 だが俺が目を瞠ったのは、それではなかった。


(なんだあれは……)


 驚いたことに、その男の背中には、清らかそうな白い翼が生えていた。

 まるで天使である。


「くっくっく。びびった顔してやがるな」


 近くにいたアストの首をあっさりと刎ね飛ばしながら、男が俺を見て口元を歪めるようにして笑った。

 そんな男の後ろには、まだ数多くの敵兵が見えた。


 味方と戦い始めている敵兵の中にも、白い翼をもっている者が何人もいる。

 いや、白い衣をまとって空を飛んでいる、人間離れした顔の奴もいる。


(本物の天使を連れて……)


「ああ、初めて見るんだな。あれは俺が契約している天使エンジェルだ。すげぇだろ」


 金髪だから西洋人かと思ったが、男の顔立ちや瞳の色は日本人そのもので、ただ染めただけだとわかる。


「お前が勇者とやらか」


 俺は剣を構えながら訊ねる。

 膝が震えるのは、どうしようもなかった。


「まさかとは思うが、この百貫デブが英雄とやらか」


 男は薄ら笑いを浮かべながら、訊ね返してきた。


「答える必要はない」


「なら俺も答える必要がねぇなぁ。だがこれだけは言っておいてやる。今日俺様がここに出向いたのは、英雄を殺すためだとな」


 俺の後ろで、はっと息を呑む声が聞こえた。


「簡単にはやられないぜ……なあトムオ」


 しかしトムオは真っ青のまま失禁しており、俺の後ろでがたがたと震えていた。


「しっかりしてくれよ。お前の魔法が頼りなんだぞ」


「バカ、魔法なんて打ったらそれこそ殺されるぞ」


 だめだこいつ。

 この期に及んで命乞いでもするつもりか。


「ゲーム得意なんだろ? ゲームみたいな感じでやっつけてみてくれよ」


「だから! こんな状況で反感を買ってどうするんだよ!」


 本当にだめだこいつ。


「わかった。俺が英雄のふりをする。今のうちにできるだけみんなを逃してくれ」


「……で、でも……イーラ」


「あとで追いかける」


 もちろん、生きていたらの話だが。


 短い生涯だったな。

 まぁ異世界転移してすぐに死ななかったことを考えると、少しはましか。


 この数日を生き延びたのは、幸運だったよな。

 それでいいや。


「わ、わかった。じゃあ逃げるぞ……あうっ」


 だがトムオは腰が抜けてしまっているようで、走り出したものの、すぐにぺたん、と座りこんでしまう。

 誰か助けてやってくれと視線を向けるが、敵兵に殺されて、もはや仲間は数えるほどしかいない。


「おいデブ、英雄と認めたな。しかしデブとはいえ、仮にも英雄殿にそんな貧相な武器しかあたらないとはよ。残念な国に出現スポーンしちまったな……まあそれも運命ってやつ、か」


 キボンは遠い目をしながらくっくっと笑うと、輝く双剣を十字に構えた。


「どれ、英雄殿の腕前を見せてもらうぜ!」


 次の瞬間、キボンが掻き消えた。


「――くっ」


 全く見えない。

 気配すら、感じられない。


 このままではいいように狙われると気づき、俺は転がって木を背にするように位置をとろうとした。


 しかし次の瞬間。

 ひやり、と俺の首に冷たいもの。


 キボンがすでに俺の背後を取り、首筋の両側に二本の輝く剣を当てていた。


「………!」


 見えないだけではない。

 武器を振り下ろす音すら、聞き取れなかった。


「なんだこいつ? 鎧重すぎんのか。おにぎりみたいに転がってんじゃねぇよ」


 キボンが俺の背中に押すような、手加減した蹴りを入れた。

 俺は受け身を取りながら転がり、奴に相対し直す。


(なんて動きだ)


 背筋を冷たい汗が流れ落ちた。

 リーフロッテよりも速いのではないだろうか。


 もはや、感覚でとらえることができないレベルだ。

 自分が勝つことなど、欠片も想像できない。


「期待して、遠くからわざわざやってきたんだぜ? 英雄殿。いい所見せろよ」


 二本の剣の切っ先を肩の高さでまっすぐに向けるキボン。

 今度は俺が動くのを待っているようだ。


「あぁぁ――!」


 こいつには小細工など無駄だ。

 俺はドタドタと走りながら最短を駆けると、剣を袈裟斬りに振り下ろした。


 ガアァン。


「……だからふざけてんのかって言ってんだよ」


 キボンは俺の両手の渾身の一撃を片手の剣であっさりと受ける。

 一瞬生じた鍔迫り合いだが、ぐい、と押し返され、難なく俺の剣は払いのけられた。

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