第16話 第四処へ



 本日の食堂への疾走。

 もう優劣が決まっていて、俺は前から30番目くらいだ。


 食堂の入り口を通り抜ける前に、いつもの癖で、柵に囲われた脱落組の姿に目を向ける。


「……」


 俺は二度見した。


 シカが見えたが、背を丸めて座りこみ、その顔はぞっとするほどに痩せこけていた。

 末期患者のような風貌で、このままでは数日と持たないような空気を纏っている。


「おいおい」


 まだ疾走中なので立ち止まらすに抜けたが、その姿が目に焼き付いた。

 確かシカは第七処、あの細い石橋で試練を受けている最中のはずだ。


(もう長いな、あいつ……出られないのか)


 あそこは眠れないから、相当に堪えているはずだ。


 鹿に教えてもらったおかゆを二膳とり、焼き豚を載せて食べるのが最近の俺の流行りだ。

 そのほかには白身魚の甘辛ソース和えが好きだった。

 

 果物はグレープフルーツのような柑橘がさっぱりして、体の疲れが取れるのがいい。


 最後はユッケジャンスープのような辛口のスープでしめる。

 汗をかくせいか、塩分は多めに取った方が体の調子がいいことも、シカの食べ方を真似して知ったことだ。


「ふぅ」


 食べ終わったが、今日は水をすすりながらそのまま席で待った。

 待つこと30分弱、予想通り脱落者たちが我先にと入ってくる。


 もちろん料理が並べられていたはずの大皿には、汁しか残っていない。


 鹿は並ぶ元気すらないのか、一番最後になっていた。

 ふらついている様を見ると、もう歩くのも厳しそうだ。


 皆が残っていた汁をすくい、窯に張り付いたおかゆを必死にこすって取り、席に着く。

 鹿が汁のかけらだけを皿に載せて座ったところで、俺は彼の隣に移動した。


「元気ないな、鹿」


 鹿は俺を見ると、いつぞやに聞いたように、アオォンと鳴いた。

 だがその声にも力がなく、そのまま消え入りそうだった。


「――これを喰え」


 俺は焼き豚が山盛りにのった特盛おかゆを二膳、鹿の前に置いた。

 鹿の悪魔がはっとして、目を見開いた。


「―――!」


 違反行為なのかもしれない。

 周りの悪魔が立ち上がり、ずるいとばかりに大声でわめき出していた。


 やがて、白エプロンをした馬の悪魔がしかめ面をして厨房からやってくる。


「何を騒いでやがる――むっ?」


 馬の悪魔は、一目見て、俺の行為に気づいたようだった。

 俺を見て、次に鹿の悪魔に目をやる。


 だが――。


「おいランデッド、せっかく取れたのに、早く喰わないと冷めるぞ! さっさと喰っちまえ!」


 馬悪魔は言葉の勢いに反して鹿の背中を優しく叩くと、そのまま背を向けて厨房に戻っていった。


 鹿が猛烈な勢いで焼き豚おかゆを掻きこんだのは、言うまでもない。

 鹿の顔色はみるみる良くなっていった。


 その数日後、鹿は脱落組を抜け出ることになった。



 ◇◇◇



 矢の第五処に来てまだたった5日だが、物足りなくなっていた。


「もっとたくさん放ってくれよ!」


 俺は骸骨兵士たちに叫ぶ。


 矢が足りないのだ。

 もっと躱すところがないくらいに放ってくれないと、練習にならない。


 しかし骸骨兵士たちは当たらないことにうんざりしたのか、はたまた疲れたのか、放つ矢を減らす始末だった。

 俺は掴んだ矢を投げ返したりして、矢を射させる。


〈【悪魔の動体視力】がレベルMAXとなり、【魔神グレモリィの千里眼】を獲得しました〉


〈【矢躱し】・【矢掴み】がLVMAXに到達し、【魔神バルバトスの軽やかな心身】を獲得しました〉


〈【致命傷回避】がレベルMAXとなり、【魔神アンドロマリウスの不死】を獲得しました〉


 やっとの思いで最後のスキルを手にする。


 蛇に会ったら、クレームを入れるつもりだ。

 あいつら、全然真面目に働かねぇ。




 ◇◇◇




 白の世界を経由して移動させられた第四処。

 そこは屋外で、空には雲一つない青空が広がっている。


「うへぇ」


 しかし、目の前には身の竦むようなV字谷。

 落ちたら絶対に助からないだろうと思えるほどの深い谷だ。


 谷をまたいで両側を行き来できるよう、石の橋がかけられており、そこには線路が敷かれている。

 滑車のついた細道を渡るあの第七処に似ているが、横幅は大人が手を広げたくらいはあるし、長さも五〇〇メートルはありそうだ。


 橋の両側は、落ちないように背丈ほどの石の塀で遮られているのが心強い。

 後ろを振り返り、線路を目で追うと、どうやら尾根に沿うようにして遠くからずっと続いているようだ。


「これを渡れと言うことか……まあそうだよな」


 自問自答した俺は、辺りを窺いながら一歩ずつ橋を渡り始める。

 そうしていると、ふいに足場の線路が小さな振動を伝えてきた。


「ん?」


 前後を見るが、なにもない。

 かがんで、手で線路を触れてみる。

 陽光で熱くなっているが、確かにガタガタと揺れる振動が手に伝わってくる。


「なんだ……?」


 そこで、もう一度振り向いた背後。

 遠くに何かが見えた。


「………!」


 それはトロッコのようなものだった。

 規則的な音を立てながら、線路の上を走って、こちらにやってくる。


 トロッコの前面には横向きの歯車みたいなものが3つついていて、ぐるぐる回っていた。


 そう、ただの歯車ではない。

 まるで芝刈り機のような円刃だった。

 それが上、中、下と3つ。


「おおぉ!? 死ぬだろそれは!」


 もう戻って避けることもできない速さでやってくる。

 泡を喰った俺は、そのまま橋を走って渡り始めた。


 走る。走る、走る――!


 真後ろでガシャガシャガシャと音を立てるトロッコ。

 その音がだんだん大きくなってくる。


「うがっ」


 俺は十分の一も走っていない場所で巻き込まれた。




 ◇◇◇






 かつてない凄惨な死に方をしたような。

 ともかく四処の試練はなんとなくわかった。


 走って逃げて、ゴールの鳥居を駆け抜けろと言うことだ。


 橋に足を踏み入れた瞬間、遠くからあの殺人トロッコが走り出すのだ。


「くそったれがぁぁ――!」


 しかしここは、なかなかにしんどい。


 おわかりいただけるだろうか。


 向き合って戦って死ぬならまだしも、追いかけられて死ぬというのが精神衛生上良くないのだ。


(仕方ない)


 ここは速さを鍛える処なんだ。

 そう言い聞かせて地道に繰り返す。


 幸い息は全く切れない。【潜水力】の効果だろう。

 全力疾走をしていても、体が疲弊して重たくなってくるだけだ。


 いや、すぐにやられてしまって、まだ二〇〇メートルも走れていないだけかもしれないが。



 ◇◇◇



〈【俊足】LV1を獲得しました〉


 一時間もしないうちに、中間地点までは逃げのびることができるようになった。

 いや、その直後に死んでいるので、胸を張って言えないが。


 翌日からもっと逃げられるようになるだろうと思っていたが、なんと中間地点から殺人トロッコが加速し始めた。


「なんだそれ……ぐはっ!」


 ぐんぐんと追いかけてくるので、すぐに捕まってやられてしまう。

 つーか加速ってどんな原理だよお前。


 これは当分無理かと思ったが、そこで食事が入った。

 橋を渡る前のスペースでごろりと横になると、かなり本気寝したらしく、節々が痛い。


〈【俊足】LV2を獲得しました〉

〈【俊足】LV3を獲得しました〉


「もう物足りねー……」


 その日のうちにゴールに到着してしまった。

 もちろんゴールしては終わりなので、その手前で巻き込まれてわざと死ぬ。


 そのうちにトロッコが来る前にゴールをタッチし、橋の真ん中まで戻って再びゴールまで走る、というのが俺の課題となった。


〈【俊足】LV4を獲得しました〉


 翌日の食後からはそれでも物足りなくなり、ゴール到着後、スタート地点に戻って五秒正座することにした。


〈【俊足】LV5を獲得しました〉


「もっと速度だせねぇのこれ? 不良品だろ」


 スタート地点で正座しながら、ぼやく。

 死ぬために結構待たなくてはならなくなっていた。


〈【俊足】がレベルMAXとなり、【魔神マルコシアスの脚力】を獲得しました〉


 最後のスキルを手に入れると、トロッコが来る前にスタート地点まで三往復できるようになってしまっていた。


 もっと加速してくれなきゃ、練習にならん。

 また蛇にクレームを入れなければ。


 このころには、食堂への疾走で俺が断然トップに躍り出た。


 今まで前を走っていた悪魔たちは、俺に追い抜かされるたびに背後で悔しそうに吼える。


 それにしても、料理を一番先に盛ることができるというのは、なんとも気分がいいものだ。

 脱落組で指を咥えて待っていた頃を思い出すと、俺も随分成長したな。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る