第17話 第三処へ
「もうあの四処を終えただと!?」
「なんという早さだ……」
驚きを隠せずに居る『七つの大罪』たち。
本来第四処までに到達するに、八年と言われているのである。
それをイーラは半年もかからずに成し遂げていた。
「――早さだけではない」
蛇が『七つの大罪』の仲間に告げる。
「恐ろしいのは、あ奴がただ先に進むことを目的としていないことだ。その処で得られるものを残らず得て、この早さだということ」
「……では【魔神マルコシアスの脚力】までも?」
黒角黒ひげのM字禿げ悪魔が、目を細めながら訊ねる。
この男がサタンである。
蛇は頷く。
「殺傷車を前に、スタートとゴールを二往復。それでもゴールせずに死んで、どんどん記録を伸ばした結果、マルコシアスを手にした」
「馬鹿な……」
サタンが口をあんぐりと開けた。
『殺傷車』と呼ばれるトロッコが走る第四処は、第七処についで悪評が高い。
背後からあれに殺されるのを悪魔たちは畏怖し、嫌っているのである。
それだけに、サタンはさっさとゴールしようとしないイーラの心理が全く理解できなかった。
「なぜそこまで……」
「あ奴は狂気に取り憑かれている。それほどに、ひとりの女を助けたいのだ」
「女を?」
室内がザワザワとする。
そんな中でひとり、納得のいかない様子で立ち上がった者がいた。
「……単に馬鹿なだけ」
マモンである。
「……マモン、いい加減認めたらどうかね。あの男の努力を」
サタンはそんなマモンの肩に手を置こうとする。
マモンは目も向けずにそれをひょい、と避けた。
離れていく姿を恨めしそうに見ながら、サタンが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「――虫けらなどに敬意を表する様を、私は全く理解できない」
「あれはもはや虫けらではないじゃろ」
老婆ヴェルフェゴールが、マモンのほっそりとした背中に問いかける。
だがマモンはそれには返事をしなかった。
「………」
「マモンよ――」
ヴェルフェゴールの重ねた問いかけに、俯いたままのマモンがぽつりと呟いた。
「……たかがひとりの女のために」
「……今なんと?」
ヴェルフェゴールが問い返すと、マモンはようやく皆の方へ振り向いた。
「……どうしてあの虫けらは、あれほどに固執する? たったひとりの女に」
「よほど大事だったからかの」
だがマモンは即座に言い返す。
「ヴェルは信じるのか。男がひとりの女を大事にできると」
「………」
マモンの言葉に、男性陣が一斉に背筋を正した。
「一人の女にあそこまで執着できる男がいるのなら、今ここで手を上げて見せよ」
「……」
肩をすくめる者はあっても、5人の男たちは手を上げることはなかった。
蛇には、手がなかったが。
「人間とて本来は一夫多妻の生き物。いざとなれば、男は女を捨てられるようにするのが種としても正しい」
「当然だ」
「……そノ通リ」
「――言うまでもない」
マモンの言葉に、皆が頷いた。
魔界は一夫多妻制であり、その考えに異を唱える者はいない。
優れた男が数多くの妻を持ち、より多くの子孫を残すことが魔界の繁栄をもたらすと信じられているためである。
それゆえ悪魔の男は、一人の女に偏って愛することはないと断言してよい。
どんなに一人の女に熱愛の情を示していても、複数の女を同時に愛しているのが普通である。
マモンの言葉通り、女もそれがわかっている。
常に嫉妬を抱えながら、それを承諾するのだ。
「女はあの虫けらをかばって死んだ。なのになぜ、あそこまでこだわる」
男と女が同時に命の危険にさらされた場合、魔界において身を挺して死ぬ側は決まっている。
優れたオスを守り、支え、そして身を挺するのが、ずっと昔からのメスの役目なのである。
メスが自分を守って死ぬことをオスは当然と考え、死んだメスに対して涙するなどは決してない。
むしろ、そのメスのためにもほかのメスとより多くの子孫を残すことが手向けになると考える。
「なぜなの……」
マモンが口にした疑問は、嫉妬に慣れないうら若い一人の女として、当然感じるものと言ってよかった。
「………」
誰も答えを見つけられず、無言の時間が過ぎた。
「……まあ、あの男の場合は、女というより勇者への復讐の念も強いのだろうがの」
老婆が肩をすくめながら口を挟むと、マモンがすぐさま言い返した。
「違う。あの男は女が助かるとわかって初めて、我らに応じた。あの男のすべての始まりはひとりの女」
「……なんじゃ。ワシよりよく見ておるではないか」
ヴェルフェゴールがしたり顔をしてマモンを見ると、マモンは老婆をぎっと睨む。
だがそれも飽きたのか、マモンは背を向け、髪に指を通す。
「わからない……」
誰に問うでもなく、マモンは呟き続けた。
◇◇◇
蛇に「特殊なので中で説明しよう」と言われて移動した、第三処。
降り立ったそこは、白い大理石で作られた神殿のようだった。
篝火が左右に整然と並び、まるで進む道を示してくれているようだ。
足元を見るが、蛇は見当たらない。
「まあいいか、次は……」
俺は気配を探りながら、ゆっくり足を進める。
今までと違い、なにかが居るようだ。
「あれは……」
遠目で見た感じでは、つきあたりは行き止まりになっており、そこに何かが恐ろしく太い鎖で手足を繋がれている。
進んでいくにつれ、俺の顔は否応なく険しいものに変わった。
「ルゥゥ……!」
それが吼え始める。
そこには、壁に鎖で四肢を繋がれた、人型の魔物がいた。
ライオンのような鬣と顔を持った、白い翼を持つ者。
見た途端に腹の底で熱い怒りがたぎった。
そう、それは紛れもなく天使だった。
「驚いたか。ここは一人ずつしか入れない」
俺の後ろから現れたのは、蛇。
蛇が俺の横に並んだとたん、その天使は突然立ち上がり、牙を向いてこちらを威嚇し始めた。
「こいつと戦う試練なのか」
身構えながら、隣の蛇に訊ねる。
「馬鹿な。ここで鍛錬を積む程度の者では到底倒せぬよ。こいつは下級三隊の一番上にいる、
「
見覚えがあった。
キボンが襲撃してきた時に、混じっていた気がする。
「こいつは我々が偶然生け捕りにできた奴でな。こうして死なぬようにしながら、試練のひとつにしている」
俺は首を捻った。
「戦わないとしたら、どんな試練なんだ?」
「奴らの能力に慣れろ」
「奴らの能力?」
「すぐにわかる。そうそう、ひとつよい知らせがある」
「いい知らせ?」
「ここからは一日一回弁当も与えられる。今日はこれを持っていけ」
そう言って蛇は俺にずっしりと来る三重になった弁当箱をくれた。
「マジかよ。生活が激変するぞ」
1日二回の食事になるということだ。
「期待しているぞ」
そう言って、蛇はするすると石畳を這って去っていった。
俺は弁当を懐に仕舞うと、よくわからないまま天使に向き合った。
「能力……こんな奴の?」
その姿を見ているだけで憎しみが湧いてくるのは、どうしようもないだろう。
その時、
「ルゥゥ――!」
次の瞬間、視界がぱっと明滅した。
足元が縦に揺れ、耳をつんざくような轟音が響き渡る。
「あがっ!?」
口から苦悶の声が漏れた。
俺の全身から、焦げ臭い煙が上がる。
魔法のような光で、俺は撃たれたようだった。
「ま、さか……これは……」
倒れながら気づく。
(これは、あの魔法……か……?)
俺はそのまま、意識を失った。
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