第3話 リーフロッテとのひととき


 木剣がぶつかり合う乾いた音が、鳴り響いている。


 あれから3日。

 俺たちウィンドモラ王国の生き残りは、山奥にある小屋を拠点にして、ひっそりと暮らしていた。


 朝起きると、小川の冷たい水で顔を洗い、野生のうさぎを弓で狩り、さばき、焼いて食する。


 みんなお腹が空いているのはわかっていたから、食べ物に関しては俺はできるだけ遠慮した。


 見た目通り、毎日たらふく食べて生きていたし、みんなより栄養状態に余力があるから。


 トムオは好き放題に食べて、しかも残していたけどな。


 空いている時間はこうして、リーフロッテが俺を稽古してくれている。

 木から削り出した木刀で、互いに打ち合うのだ。


 今の俺はこの世界で皆が着ているシンプルな灰色のローブの上に、騎士たちが身につける小さなチェインを多用した軽鎧を着て木刀を振るっている。


 いずれも小さかったけど、なんとか入った。

 チェインメイルは、留め金をしてないけどね。


 あー、もっと痩せとくんだった。

 動くたびに躍動する腹が邪魔で邪魔で、しかたがない。


 すぐに息がきれるし。


「今の打ち込みは鋭いですね! さすがですよ」


 銀髪をポニーテールにしたリーフロッテが、俺を褒めたたえる。


 彼女はいろいろな意味で頼もしい存在だった。

 野宿らしいことをしたこともない俺たちの身の回りの世話をし、この世界で生きていく知恵を与え、夜にはさまになった料理をふるまってくれた。


 こういう人を、才色兼備と言うんだろう。


 それだけではない。

 リーフロッテは内面も澄んでいる。


 こんな状況でありながら、否定的なことは一切言わないのが、俺には信じられなかった。

 こういう前向きな人には、今まで出会ったことがなかった。


 だから馬鹿な質問だなと思いながらも、この世界についていろいろ訊ねることができた。

 その都度、彼女は見惚れるような微笑みをくれながら、面倒な様子を一つも見せずに教えてくれた。


「やぁ――!」


「いい踏み込みですよ!」


 ところで、なぜこの異世界で、ただの地球人だった俺達が英雄などと特別待遇を受けるのか。

 それは【聖人】と呼ばれる、通常よりもステータスの伸びの大きい『光の民』となるほか、与えられるスキルが格段に違うかららしい。


 この世界の住人は若いうちにスキルを獲得するが、たいていが〈N〉か〈R〉、よくて〈HR〉だそうだ。

 一方、異世界から召喚された者は下限が〈HR〉。まれにトムオのようにとてつもない能力を持つ〈UR〉スキルを引くという。


 なお勇者は必ず2つの〈UR〉スキルを持つというから驚きだ。


「……」


 むなしくなるから、話を変えよう。

 

 レベルというのは言うまでもないが、各人の強さの基準のようなものだ。

 誰もが最初は1から始まり、魔物討伐や特別な訓練を受けることで上昇し、ステータスもわずかずつだが、伸びていく。


 レベルの最大値は知られていない。


「もっと腰で打つようにすると、力が乗って威力が増します」


「なるほど」


 俺は言われた通りに剣を扱う練習をした。

 訓練だけなのに、リーフロッテのおかげでこんなデブの俺がレベル3になっていた。





 ◇◇◇





 赤い夕陽が、生い茂る木々から木漏れている。


 この生活が始まって、二週間ほどが経っていた。

 冷えきった空気のせいか、訓練を終えて鎧を脱ぐと、体から湯気が上がる。


 ちょっとだけだけど、痩せたかもな。

 チェインメイルがわずかに着やすくなったし。


 でも驚いた。

 運動らしいことなんて学校の体育くらいしかやってこなかったのに、こんなに楽しいとは。


 ひとえにリーフロッテと一緒だからなんだろうな。


 ちなみにトムオは鍛練には参加せず、あれからずっと「食糧確保」という名目で小川で釣りを楽しんでいる。


 この世界に来たばかりなのに、アストの何倍も力のある魔術師であることがわかり、誰も何も言えなくなったのだ。


 確かにトムオがいれば、勇者たちが来ても戦えるかもしれないんだけど。


「ふぅ」


 シャツを脱いで上半身裸になり、ざらざらした布で、汗を拭く。

 

 リーフロッテは男の裸を見慣れているのか、デブに魅力を感じないのか、目を逸らすなどということはせず、ハンカチで自身の首元を拭きながら俺に微笑みかけていた。


「イーラ様はきっと強くなります」


「そうかな。こんなデブだよ」


 その澄んだ笑顔を見返す。

 俺はいつの間にか、彼女の笑顔に癒やされるようになっていた。


「飲み込みが早く、実践するのがうまいんですよ。私が今まで見た中でも群を抜いています」


 リーフロッテが、さすが英雄様ですね、頼もしいです、と俺を上目遣いに見た。


 こんなに誉められたの、生まれて初めてだよ。

 ちなみに、こんな綺麗な女性と仲良くなったのも初めてかもな。


「そうかな……でももう少しまともな職業なら良かったんだけどな」


「『 食の競争者フードファイター』と言う職業は、前衛職なのかもしれませんね」


 リーフロッテが俺に歩み寄り、頬に流れていた汗を拭ってくれると、ふわりといい香りがした。


 彼女が言った前衛職とは、近接戦闘を行う職業のことだ。

 戦士や盾職、格闘家なども含まれる。


 この世界では、フードファイターという言葉はあまり馴染みがないようだった。


 確かに暴飲暴食して金を稼ぐ人など、こんな時代にいてはいけない気さえする。


「それにしても、ずいぶん強いんだな。全くついていける気がしない」


 俺は肩をすくめながらリーフロッテを見た。

 後何年修行すれば、この人と肩を並べられるようになるのだろう。


 差はそれほどまでに開いている。

 いや、まず痩せるところからか。


「……あ、私ですか?」


「他にいないだろ」


 周りを見て、そうでした、と口を押さえてクスクス笑う。

 ここにいる誰よりも強いのに、全然気取った様子がない。


 異世界に来てあんな凄惨な場面に出くわしたのに、俺が落ち着いていられるのは、ひとえにこの人のおかげだと思う。

 この人ならなんとかしてくれるという安心感があるのだ。


 『政務官』と言う立場についている以上、武だけに長けているわけではないんだろうな。


 そして、息を呑むほどに美しい。


 静かに微笑んでいるこの人は、今までの日々、いったいどれほどの苦労を重ねてきたのだろうか。

 命のやり取りもきっと一度や二度ではないだろう。


 ただ学校の授業をぼんやりと聞いて、食べることだけを楽しみにしてきた俺とは、雲泥の差だ。


「私などまだまだです。あの場にキボンが居なかったからお救いできたものの」


 彼女の言うキボンとは、ホワイトル帝国で3年前に召喚された勇者の名前。

 キボンはすでに皇帝となり、国を支配している。


「そんなに強いの」


 リーフロッテが真顔になって頷いた。


「噂では双剣を使う『金色の覇王』という職業で、動きは目で捉えられないそうです。何十人と相手にしても傷ひとつ負わないとか」


「金色の覇王……」


 俺の謎職業とは違い、わかりやすいチートだ。

 間違いなくそれを引き当てたら、百人が百人とも当たりだと思うだろう。


 勇者、【金色の覇王】。

 うーん、マジ強そう。


 一方の俺、【 食の競争者フードファイター】。

 ゴミかよ。


「噂ではレベルは1000を超えているそうです」


「ま……マジかよ」


 俺は耳を疑った。

 桁が二つ違う。


「それだけではありません。キボンはURスキル【聖なる護衛】で、強力な上位天使を召喚できるのです」


「天使……だと?」


 キボンの召喚する天使は人に従うことなど信じられないほどの高位の存在で、光り輝く武器をかざし、この世界にない魔法を操るという。


 それだけでも十分恐ろしいのに、もっと恐ろしいことがある。

 なんとその天使、下級天使の軍団を引き連れるというのだ。


 それゆえキボンが一人いるだけで、数百という天使の総力になる。


「下級天使一体とて、相応の物理攻撃力と魔法を併せ持つ万能型の魔法戦士。私も先日戦いましたが、一体、頑張って二体が限度」


「おいおい……」


 俺は例によって、また変な汗を掻いていた。


 それが数百の軍勢ともなれば、どれほどに破滅的なものかは想像に難くない。

 数か月前に滅んだガナム王国という国との戦いでは、三万の軍勢が、皇帝キボン一人と天使の部隊に敗れたという。


(そういえば)


 転移した時、敵軍に『白翼の生えた人型のなにか』が混じっていたのを覚えている。


「あれが天使だったのか……」


 血に飢えた、凶悪な表情を浮かべていた。

 俺の中では人と認知できなかったくらいだから、本の中でよく見る心優しい存在とは到底思えない。


「他国が歯が立たない理由です……」


 リーフロッテが俯いて呟き、ポニーテールに手をやる。

 キボンはその圧倒的な力でいくつもの国を呑み込み、現在、大陸の4割強を手中に収めているのだ。

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