第43話2人の溝

 ファルリンはちゃんと声を出したつもりだったが思っていた以上に涸れた声が出た。自分の右手に視線を向けるとジャハーンダールがファルリンの右手を握ったまま顔を伏せて眠っていた。

 天蓋はカーテンが閉じられていてどこの部屋のベッドに寝かされているのかファルリンには判らない。天蓋越しにも陽の光を感じるので、まだ昼間のようだった。天蓋のカーテンは紺色の布地で金糸で細やかな刺繍が施された豪奢な品だ。ファルリンの寝かされているベッドはふかふかで肌辺りが心地よい。

 ファルリンは、なんとなくジャハーンダールの私室では?と予想していた。

 ジャハーンダールは全体的にこざっぱりとした格好で、ファルリンが気を失う直線に見た服装とは違っていたので一段落できたのだろう。メフルダートとも、王様の時とも違うシンプルで上質な服装をしていた。

 ファルリンは右手に力を入れてジャハーンダールの手から逃れようとした。ジャハーンダールの温もりは嬉しいが、この手を取るのは自分ではない気がしていた。

 手を無理矢理外そうとしたのがまずかったのか、ジャハーンダールが気がついた。ジャハーンダールは顔をあげ、ファルリンと視線が交差した。ジャハーンダールは目を大きくし次に、嬉しそうに笑った。


「気がついたのか……!」


 ジャハーンダールは立ち上がってファルリンの枕元に寄ってきた。ファルリンに向かって腕を伸ばしてジャハーンダールは腕を降ろした。ファルリンが今にも泣きそうな辛そうな顔をしたのだ。


「すまない」


「いいえ。陛下が謝ることではありません」


 ファルリンはジャハーンダールの謝罪が何をさしているのか尋ねなかった。今までメフルダートとして接していたこと、ましてや、星空を見た夜のことを謝られたのだとしたら、ファルリンは立ち直れない。

 身を引くと決めたのだから、美しい思い出はそのまま美しいまま残しておきたい。


「ファルリンが謝ることは無い」


 ジャハーンダールは言った。二人の間に沈黙が訪れる。以前はそのようなことも無かったが、今は沈黙がお互いを居心地悪くさせる。


「……もう以前のようにはいかないか?」


 ジャハーンダールが珍しくしょげたような、弱々しい声を発した。いつも強気で自信溢れる話し方をする人であったので、ファルリンは驚いて目を見張った。

しかし、すぐに無礼だったかと無表情に戻る。


「陛下は、この国を統べるお方ですから」


 ファルリンは、幼い頃祖父からヤシャール王国の国王は冷酷無慈悲であり、仇敵であるとずっと教えられてきた。ヤシャール王国に屈してからだいぶ経ち、砂漠に住む者バティーヤの人々のそのような意識は薄れてきたが、小さい頃に植え付けられた記憶というのは、なかなかぬぐい去れない。

 王の痣マレカ・シアールを自分が宿していると物心ついて自覚してからは、祖父の言う「仇敵」と「王の痣マレカ・シアールの役目」の二つの間でファルリンはずっと揺らいでいた。


「同じ立場の者同士でなければ親しく出来ないというのであれば、俺はずっと孤独だ」


「王は、孤独であるべきです」


 ファルリンは、情に訴えようとするジャハーンダールにぴしゃりと言い返した。

 ファルリンとて、族長に零落したとはいえ元々は小国の王族だったのだ。王とは、王族とはということを一族の間で伝えられている。


「それでは、俺は死ぬまで一人で居ろというのか!」


「貴方を支える人はたくさん居ます。……貴方の手を取る人も、身分相応の人が居ます」


 ファルリンが祖父の代の時のように王族であったらジャハーンダールとの政略結婚もあったかも知れない。しかし、今は。

 今は、ファルリンは被征服民であり、下層階級と蔑まされている身分だ。砂漠に住む者バティーヤとして砂漠で生活しているときは、それほど差別されていると気がつかなかった。しかし、王都での生活は違う。

 父親がなぜ、ファルリンを送り出したのか最近ようやく判ってきた。何でも良いからきっかけを作って、砂漠に住む者バティーヤ全体のヤシャール王国での地位を向上させたいのだ。

 そのためには、「女」という武器を使った王を色香で落とした方法ではだめだ。実力でもって王宮で確固たる地位を確立し、「砂漠に住む者バティーヤここにあり」と言わしめないとならないのだった。

 実力主義の砂漠に住む者バティーヤらしいやりかただった。


 ファルリンは目を伏せてジャハーンダールと目を合わせようとしなかった。ジャハーンダールは髪を掻きむしり、体の内に溜まった熱をため息として吐き出した。


「言いたいことは判った。……先に医者を呼ぶ。話はその後だ」


 ジャハーンダールが折れたのだ。ファルリンは、自分が助けられてお礼すら言っていないことに、今更ながらに気がついた。

 ファルリンは、天蓋から出ようとするジャハーンダールの背中に言葉を投げかけた。


「あの……ありがとうございます。助けてくれて。この上も無い感謝と忠誠を陛下に」


 ジャハーンダールは、ファルリンの感謝の言葉を背に受けて振り向かずに天蓋から出て行った。ファルリンは、まったく振り返ってくれなかったジャハーンダールの態度に傷ついたが、これからは今までのような親しい態度は二度としてもらえないことを覚悟する必要がありそうだった。





 ファルリンの経過は順調だった。医者の見立てによると神聖魔法での治療が大変良かったらしくあと二日もしたら起き上がって良いらしい。

 ファルリンは意識も確りしているので、自分の宿舎に戻ろうとしたがあと二日この部屋にいることをジャハーンダールに命じられた。

 ファルリンの見立て通りファルリンが寝かされているのはジャハーンダールの私室だそうだ。


(通りで、寝返りを打つたびに陛下の香りがする……と……)


 ファルリンはここまで考えて、今の状況に恥ずかしくなり体を丸めて顔を赤くした。彼の前では心を凍らせると自分に言い聞かせているが、一人きりの時は心の内で彼を想っていた。


 部屋の扉を叩く音がして、ファルリンが返事をするとジャハーンダールが入ってきた。ジャハーンダールの私室だというのに、ファルリンが居るからと彼は気を遣って必ずノックして部屋に入ってくる。


「ファルリン、体調はどうだ?」


 天蓋のカーテンが開いて、ジャハーンダールが顔を見せる。今日は、豪華な王様の服を着ている。


「もう大丈夫です。陛下」


「そうか……一週間後にホマー城での戦の祝賀会がある。ファルリンも参加せよ」


「はい、陛下」


 ファルリンは、ジャハーンダールの顔を見ないで返事をした。貴人を直接見てはいけないという礼儀作法に従って、天蓋を開けてジャハーンダールが入ってきたときから、ファルリンはずっと顔を伏せている。


「ファルリン」


「はい」


「ファルリンの顔が見たい」


「どうか、お許しを」


 ジャハーンダールが切なそうな声を出すのでファルリンは、鼻の奥がつんとして声が震えそうになった。今回は、声が震えずにうまく応えられた、と自分では思っていた。しかし、今日は違った。毎回同じようなやりとりをして、ジャハーンダールが引き上げていたが、しびれを切らしたのかジャハーンダールがファルリンの顔にそっと手を当ててファルリンの顔を正面に向かせた。


 ファルリンは呆然と至近距離でジャハーンダールの顔を見返した。ジャハーンダールは、ファルリンが今まで見たこと無いような優しい目をしていた。

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