第32話マハスティとジャハーンダールの初恋
ファルリンがカタユーンに、詳細な事情を聞こうとしたところ、突然アナーヒターが椅子から立ち上がった。
「誰かが後宮の結界を超えようとしているわ」
アナーヒターが、部屋の窓から飛び出した。今度はカタユーンも止めない。アナーヒターは空中で一度停止すると、振り返って言った。
「先に不届き者を吊し上げてるわ」
アナーヒターは軽やかに空を飛び一直線に後宮を目指した。
「私たちも行きましょう。アナーヒター様は、時折侵入者に容赦がないことがありますから」
実は、毎回侵入者には容赦が無いのだが、いらない情報をファルリンに伝えて怖がらせてはいけないので、カタユーンは真実を覆い隠した。
二人が後宮近くまで来ると、女性の高い声での言い合いが聞こえた。一人は、女神アナーヒターだろう。そして、もう一人の声も二人には心当たりがあった。
「そこをどきなさい。私はそこの新しい女主人になるのよ」
マハスティだ。女神相手に居丈高に命じている。昨日までは王宮を闊歩するマハスティでも、女神アナーヒターには、多少の遠慮があった。しかし、今はそれがない。
女神への敬意が感じられない話し方に、カタユーンは青くなってツバを飲み込む。アナーヒターは人が好きな神様だが、無礼な人に容赦は無い。
「認めないわ。後宮の女主人は王妃か側妃か。貴女はそのどちらでもないわ」
「私は王妃になるのよ。今日の御前会議で正式に決定するの」
マハスティはいつになく自信たっぷりに言い放った。
「そのような議題は上がっていません」
カタユーンが女神アナーヒターと、マハスティの間に入った。このままアナーヒターと対峙させておくと、アナーヒターがうっかり人を殺しかねない。
「あら、どうしてそのような事が言えるのかしら?お父様は、昨日、王宮から帰らなかった私を心配して、なぜ王宮に宿泊したのか知りたがりますし、使用人達は、みんな噂していてよ『ようやく幼馴染みカップルがくっついたって』」
マハスティは、ファルリンの方に顔をむけて話を続ける。
「私とジャハーンダール陛下が、幼馴染みカップルだって言われていたことをカタユーンは知っているわよね」
カタユーンを横目で見ながら、マハスティはファルリンを挑発的する。ファルリンは、そんな噂が使用人達の間で流れるほど仲が良かったことを知って、愕然とした。
「存じ上げてはいますが、そのような呼び方は単なる噂好きの使用人達の申すことでございます」
「昨日の夕方だって寸暇を惜しんで会いに来てくれたわ。恋人ならしてくれることでしょう?」
「昨日の夕方は、会議ではなかったのですか?」
先ほどカタユーンから聞いたことを元に、ファルリンは反論をした。
「会議は、暗くなる前に終わったの。終わってすぐ私に会いに来てくださったわ。寸暇を惜しんで」
マハスティの言い方に矛盾はない。ファルリンは二の句が継げずに押し黙った。脳裏に、昨日の夕方の親密な二人の様子が思い浮かぶ。
「貴女、ジャハーンダール陛下が好きなのね」
マハスティは、獲物を見つけた猫のように目を光らせてにんまりと笑った。
「あいにく、陛下は私が初恋の相手よ。初恋同士、恋人になって結婚するの」
マハスティは、ファルリンにゆっくりと近づいていった。おもむろにファルリンの目の前に自分のつけていたイヤリングを見せる。
「これ、ジャハーンダール陛下から頂いたの。美しい私に似合うって。奴隷のように薄汚い
マハスティが手にしているイヤリングは、繊細なワイヤーワークで作られた薔薇の形をした飾りがついている。薔薇の芯の部分には真珠があしらわれていて、繊細で優雅な造りの宝飾品は、とても高価そうであった。
「誕生日に貰ったのよ。私が生まれてきてくれたことがよっぽど嬉しかったのね」
何も言い返せないファルリンに、勝ったとばかりにマハスティは高笑いをした。
ファルリンが、泣くのを堪えているのを見て、マハスティは嬉しくて仕方が無いようだった。
「さあ、私こそ女主人に相応しいのだから、どきなさい」
マハスティは、門番のように後宮の入り口に立っているアナーヒターに向かって言った。
「いつから、女主人になったのだ」
いつの間に来ていたのか、ジャハーンダールが素顔のまま、王様の服装で後宮まで来ていた。
「まあ、陛下。後宮に入る私を心配して?」
ファルリンと少し距離を置いてジャハーンダールは立っている。とても機嫌が悪そうだ。
それもそのはず、また後宮に侵入者がいるということで慌てて駆けつけたのだ。
ジャハーンダールは、ファルリンが居ることを気にしているようだ。ファルリンのことをちらりと見て、何かを言おうとして口を閉じた。
「ご尊顔を存じ上げております。陛下」
ファルリンはジャハーンダールに最敬礼をした。もう、一介の魔術師メフルダード相手の振る舞いは二度と出来ない。
ファルリンは、堅く心を閉ざした。
「後宮に侵入者がいると俺に連絡がくるのだ。さあ、認められていない者を後宮に入れるわけにはいかぬ。出て行け。男であれば死刑だが、女だから無罪なのだ」
「まあ、酷い。初恋相手が私であることをばらしたことを怒っていらっしゃるの?」
「俺の初恋はお前ではない」
ジャハーンダールのそっけない返事に、マハスティが「照れていらっしゃるのね」と高笑いしジャハーンダールに近づき彼の腕に自分の腕を絡めた。
「いい加減に離せ」
「照れなくても、私たちが初恋同士の恋を実らせたカップルだって王宮の使用人は全員知っていることですわ」
マハスティは嬉しそうに笑って、ジャハーンダールの腕に頭を寄せる。どうみても、仲の良い恋人同士のじゃれ合いにファルリンの表情がみるみる消えていく。
「だから、違うと」
「だったら誰何ですの?陛下は私以外の女性を侍らせたこと何て無かったではありませんか。幼い頃からずっと一緒で……私はこのまま陛下と結婚できるものと思っていましたのに」
マハスティは、うるうるした瞳でジャハーンダールを見上げた。ジャハーンダールは、黙って熱くみつめてくるマハスティを見下ろす。
お互いの瞳を覗き込まんとするほど、熱心に見つめ合っている。
「言いたくない」
ジャハーンダールは、ぷいっとマハスティから顔を逸らした。マハスティが絡みついていた腕も振り払い、距離を取る。
「照れてないでおっしゃって。
「ジャハーンダールの初恋の相手は僕だよ」
出てくるタイミングを見計っていたヘダーヤトが、二人の間に割り込んだ。とんでもない事実という爆弾を投げ込みながら。
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