第49話ジャハーンダールの告白

 ジャハーンダールとファルリンは、中央の一番大きな市場バザールまで戻ってきた。夕食までは時間があるが、小腹が空く時間だ。

 市場バザールの屋台から美味しそうな香りが漂ってくる。


「ファルリン、好きな物はなんだ?」


 ファルリンは即答できなくて、首をかしげた。砂漠に住む者バティーヤとして砂漠で放牧生活をしていたときは、小麦を粉にして焼いた薄いパン、羊のチーズかバター、紅茶が食事の全てだった。祝い事があると羊の肉を焼いて食べることもあったが、年に一回あるか無いかだ。

 王都スールマーズに住み始めてから騎士団の宿舎での食事は色とりどりで食べたことのない物ばかりだった。美味しいとは思ったが、食材の名前はほとんどわからない。


「食材の名前がわかりません」


「食材……」


 ジャハーンダールは衝撃を受けた。ファルリンは食材を調理した物に料理名が付いていることを知らないのだ。


「ファルリンは、砂漠での生活では何を食べていたんだ?」


「パンと羊のチーズかバター、紅茶です。あ……羊のチーズは好きです」


 ジャハーンダールは、ファルリンの食生活を貧しいと思うのは間違いなのだろうとわかっていた。砂漠に住む者バティーヤでは当たり前で伝統的な食生活なのだろう。しかし、食生活が寂しいと思う気持ちはぬぐえない。


「俺の好きな物を食べに行かないか?」


「ジャハーンダール様の好きな物でしたら、食べてみたいです」


 ファルリンのふわっと浮かれるような声を聞いてジャハーンダールは嬉しくなった。屋台料理で最高に美味しい料理をジャハーンダールは知っている。

 シャワルマだ。焼いた肉と野菜を一緒に薄く焼いたパンでぐるっと巻いてある、食べ歩きに向いている料理だ。

 ジャハーンダールは、ファルリンの機嫌が良さそうなので、普通に繋いでいた手から、指を絡ませて繋ぎ直した。

 ファルリンの体が緊張したのが手を伝ってジャハーンダールに伝わる。ジャハーンダールは意地悪に笑いながら、ファルリンを見ると困ったように見上げるファルリンと目が合った。


「がっちり繋がれていると、いざというときに武器を抜くのが遅くなります」


 てっきり照れて困った表情をしているのかと期待したジャハーンダールは当てが外れた。ファルリンはこんな時でもジャハーンダールの護衛をすることを忘れていないのだ。

 ジャハーンダールは、ファルリンらしいがもうちょっと自分にわたわたと慌てる姿が見たいと思う。


 ジャハーンダールは、以前お忍びできたときに美味しかった屋台にファルリンを連れて行く。肉の焼ける香ばしい匂いが、ますます食欲をそそる。店主が一人で売り子をしているお店だ。二人分を注文すると、店主が炭火で焼いている串に刺さった肉の塊から、ちょうどよく火が通った部分を薄く削ぎ切る。熱した鉄板で薄く焼き上げたパンに肉と、葉物野菜を千切りにしたものを乗せてくるくると巻く。持ちやすいように油紙で包んで、店主がジャハーンダールに手渡した。

 ジャハーンダールは二つ受け取り、一つをファルリンに渡して、二つ分のお金を払った。


 ファルリンはジャハーンダールにお礼を言って、シャワルマに齧り付いた。さくっとした薄いパンの歯触りに肉は簡単にかみ切れるほど柔らかい。肉のうま味と葉物野菜の味が混ざって食べやすく美味しい。


「おいしいです!」


「そうか。それはよかった」


 ジャハーンダールとファルリンは、人にぶつからないように注意しながら、市場バザールを歩く。ジャハーンダールのお目当ての場所に行くのにちょうど良い時刻だというのだ。

 まだ手にはシャワルマが残っている。


「最高のスールマーズを見せてやろうではないか」


 ジャハーンダールが向かっているのは、王都スールマーズで一番大きな神殿だ。まだ礼拝の時間には早いので、神殿に人はまばらだ。

 ジャハーンダールは、神殿に幾つかある尖塔ミナレットの一つに向かった。

 尖塔ミナレットは通常は鍵がかけられ登ることが出来ないのだが、今日は特別にジャハーンダールは鍵を開けるように命じておいたのだ。

 最上階まで続く螺旋階段を登っていく。


 やがて最上階まで来ると大きな窓があった。そこから外の景色を見ると、スールマーズが一望できる。ちょうど太陽が地平線へと傾いている時刻で、陽の光に照らされて王都が黄金色に染まっていた。

 徐々に太陽が濃い橙色に変わると、王都スールマーズも深い赤色に染まる。


「綺麗です」


 一枚の絵のように美しいこの景色の中で、たくさんの人々が今日を懸命に生きているのだ。宝石よりも美しい光景にファルリンは見とれていた。

 ジャハーンダールは、ファルリンとの距離をこっそり詰めて隣に並び、ファルリンの腰に手を回して自分の方へとそっと引き寄せた。

 ファルリンはそのままジャハーンダールの胸に自分の頭を寄せる。


「これが俺が見せたかったスールマーズだ」


 王宮でも似たような光景を見ることは出来るが、町との距離はもっと遠い。大きな庭や、防御用の外壁があるからだ。

 神殿の尖塔ミナレットは見張り台の役割をしているので、町との距離は近い。


 ジャハーンダールは、ファルリンを引き寄せてすっぽりと腕の中に納めて抱きしめた。


「ファルリン、好きだ」


 太陽がゆっくりと地平線に姿を消し、あたりが夜の色に染まる。紺色の空には満天の星が輝いていた。

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