第35話なぞの青年

 脱出劇は、順調だった。順調すぎて、ファルリンは逆に不安感に襲われていた。城壁を抜け、荒野にでても魔獣達の追跡がなかったのである。それだけ作戦がうまくいっているという証であれば良いが、確信はない。

 民間人を四千人近く連れて大行軍なのだ。近衛騎士団を周囲に配置しているとはいえ、ファルリンの位置からは先頭がどういう状況なのかまったく判らない。


 前方で土煙と悲鳴があがった。獣の咆吼が聞こえる。魔獣が現れたのだ。ファルリンは前方を警戒して武器を構える。すると、天上から青年の声が降ってきた。


「へぇ……人間ってだいぶ面白いことをするんだね」


 ファルリンが警戒しつつも驚いて、上空を見上げると怖いぐらいに容姿の整った青年が、ファルリン達近衛騎士団を睥睨していた。

 空に浮かんでいると言う時点でまっとうな人間ではない。あの天才ヘダーヤトでさえ、魔法で空に浮かぶことは出来ない。今のところ、ファルリンが知っている中で空中に自在に浮かんでいるのは女神のアナーヒターだけだ。空に浮かぶというのは、神の御技のなせることであった。


「誰だ!」


 ピルーズもファルリンと同じように空に浮かぶ青年を警戒している。


「僕が誰でも君には関係ないと思うが……」


 青年はファルリンの前に降り立った。武器を構えているファルリンなんかお構いなしに近づき、ファルリンの顔をじっくりと見つめる。


「これが、あの金星の種アルゾフラ・ビゼル?」


 ファルリンは、不審人物をどうすることもできないでいた。明らかに怪しいが何もしてこない者を切ることはできない。


「……まだ、力は未開花って感じかなぁ?」


 ファルリンの品定めが済んだのか、青年はファルリンから距離をとった。


「闇落ちさせるのも面白そうだね」


 青年は、指で中に円形を描くとその後をなぞるように青白い炎が出現する。その炎から青白い炎の鬣を持った魔獣が姿を現す。

 魔獣の咆吼と同時に、一緒にいた民間人達から悲鳴があがった。


「逃げて!」


 ファルリンが振り返り叫ぶと、一斉に人々が走り出した。魔獣達は、逃げていく人に興味は無いようで、ファルリンを一心に見つめている。


「逃げない度胸は評価してあげるよ」


 青年の言葉を合図に、魔獣達が一斉にファルリンに襲いかかる。ファルリンが盾を構え一斉攻撃をやりすごそうとしているところに、ピルーズが魔獣を一閃する。


「ピルーズ!」


 ファルリンの前に槍を構えたピルーズが、立ちふさがる。


「民間人は全員、騎士団のみんなが連れて行ってくれた。ここは僕たちで防ごう」


 背後から魔獣に攻められたら、行軍自体が続けられなくなる。ファルリンとピルーズはお互いに顔を見合わせて頷く。

 魔獣達が一斉に襲いかかってくるのを、ファルリンとピルーズの連携でいとも簡単に倒していく。ファルリンは、近衛騎士団に入り王の痣マレカ・シアールの力を安定的に使えるようになっていた。

 ピルーズが、魔獣を攻撃しファルリンが魔獣の攻撃を受け止める。無駄のない流れるような動きに、青年は感心する。


「未開花とはいえ、そこまで力が制御できるのか」


 青年は、ピルーズが向ける槍を右手で押さえ込んでファルリンに近づく。ピルーズは押さえ込んでいる手を振り払おうとするが、まったくびくともしない。ファルリンは、曲刀を構えて青年に斬りかかる。

 ファルリンの曲刀が青年の肩を捕らえる直前でファルリンは斬りかかった姿のまま停止する。振り下ろそうとしても、それ以上刀を動かすことができない。


「どこにそんな力が……」


 抑えていたピルーズを片手で軽く押すと、まるで軽い石のようにピルーズが後方へ吹き飛ぶ。すぐさま、青年はファルリンの額に手を当てる。


「ああ……ようやく見つけた。アナーヒターと……ティシュトリア?君、ティシュトリアに恋をしたの?」


 どうやら青年は、ファルリンの額に手を当てることで、ファルリンの記憶を読み取ったようだ。ファルリンが何かを言うより早く、ファルリンを押さえつけていた手を離し、軽くファルリンを放り投げた。空中で一回転して、ファルリンは受け身をとったが地面に激突した衝撃で、咳き込む。


「じゃあ、僕はアナーヒターに会いに行くことにするよ」


 青年は、そういって空に溶けるように消えていった。

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