第42話手を握る人

 アパオシャが霧散して、しばらく周囲を警戒していたジャハーンダールとヘダーヤトであったがしばらくしても何も起きなかったので、警戒を解いた。


「終わった……と思って良いのか?」


 ジャハーンダールは、ほとんど崩れてしまった神殿を見回した。あちこちでけが人が大勢手当を受けている。脅威は去ったが、これからが正念場だ。


「はやくファルリンを医者に見せないと」


 ファルリンはカタユーンがジャハーンダールから与えられた魔法道具を補助に神聖魔法を使っているのでなんとか傷がふさがっている状態だ。ちゃんと治療するのであれば、医者に診せないとならない。

 ヘダーヤトにせかされてジャハーンダールは、ファルリンを抱えて医者に診せられそうな安全な場所まで移動した。

 アナーヒターは、ファルリンを抱えて去って行くジャハーンダールの背中を見ながら呟いた。


「終わりだったら……いいわね」


(最後の瞬間、逃げたわね。アパオシャが消滅していたら、私も……消えているはずだもの)


 アナーヒターは、ふとあることに気がついて周囲を見回した。自分を手こずらせた人間の娘、マハスティがどこにもいないのだ。

 脅威が去って安全な場所に移動したのだろう、とアナーヒターはこの時は思い、ジャハーンダール達の後を追うように、空中に浮かび上がった。




 ファルリンは、長い夢を見ているようだった。ふわふわと体が軽く、上が下に下が上になるような世界で、長い物語を見ていた。その世界では酷い干魃に見舞われ人々が苦しい生活を送る中、一人の青年が立ち上がり仲間と協力して水源を見つけ、豊かな国を作り上げていた。青年と仲間のうちの一人の女性が誰かに似ている気がしたが、誰だか判らなかった。


(とても……とても大事な人だったと思うのに)


 青年の笑顔を見ると嬉しい反面、目の奥が熱くなって涙が溢れた。


(何故だろう、彼を見ていると嬉しくて、悲しいんだわ)


 仲間のうちの一人が青年の名前を呼んだ。


「ティシュトリア!」


 ファルリンは、彼の名前を知って違和感を覚えた。


(違う……そうじゃない。彼じゃ無い、もっと違う人が忘れてはいけない人だった)


 ファルリンは再び、暗くたゆたう世界に意識を奪われていった。

 次に、ふたたびゆらめく世界に降り立ったのは、暫くしてからだ。誰かが、彼女の名前を呼んでいる。


 暖かくて、優しい声だ。ファルリンはその人から名前を呼ばれるのが好きだった。名前を呼んでくれるだけでも良かったのだ。


「はい、陛下」


 ファルリンは、今度こそ誰だか判って返事をした。ジャハーンダールの声だ。自分は彼の呼びかけに応えて目覚めなければならない。

 今度こそ、間違えない。


 彼の隣に誰が並んだとしても、絶対に彼と大事な人を守り抜く。


 ファルリンは、地の底から空に向かってふわりと浮かび上がるような感じがした。このまま上に向かっていけば、大丈夫だ。徐々に意識が浮上する。

 手と足にぬくもりが戻る。あたりは静まりかえっていて物音がしない。右手は誰かに握りしめられているようだった。

 薄い膜を破るかのように、ファルリンはそっと目を開けた。

 目に入ったのは、見たことの無い豪奢な飾りのついた天蓋だった。


「どこ、ここ……」

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