第13話 愛の覚悟
気づくと僕は城の自分の部屋のベッドにいた。鳩が僕の周りを飛んでいた。やけに静かで、彼の羽音以外は全く聞こえなかった。ディーンはため息をついて部屋の外に出た。
「ちょっといいかな」箒を持った女中に声をかけた。
「はい」彼女は無機質な声で僕に答えた。
「センブリを呼んできてくれ」
「かしこまりました、センブリをお呼びいたします」と彼女は機械のように言い、直角に曲がってそのままどこかへ消えいった。
十分後、センブリが不機嫌そうな顔をしてやってきた。
「お目覚めですかな、ディーン大将」勿論嫌味だ。
「ああ」ディーンはため息をついた。
「ちょっとこれは何でも、ひどすぎるんじゃないか?」
「貴方も少々やり過ぎたとは思いますよ」と彼は淡々と言った。面倒臭い案件を抱えてしまった、とでもいうように。お互いため息をつきたいのはやまやまなのだろう、彼の語尾はおのずと下がる。
「とはいえ、僕を拘束しすぎじゃないか?」
「そう思われるかもしれませんが」とセンブリは淡々と言った。
「私たちには貴方様を管理する権利があります。これは決まりなのです」
「愛する妻にも会わせないってか」ディーンは吐き捨てるように言った。
「人権侵害も何も、あったもんじゃないな。本当にここは最高だね」
「あなたが羽目を外せば外すほど」と彼は淡々と言った。
「私達は貴方様をより監視しなくてはならないのです」
「素敵なルールだね」ディーンはため息をついて首を振った。
「センブリさん、あなたには愛する人がいないのかい?」
「いますが、今はいません」彼は淡々と答えた。まるで天気の事でも話すような口ぶりだった。
「……」ディーンは戸惑った。予想外の返しに、なんて答えていいのかわからなかったのだ。
「まさか、」
「死んではいません」と彼は淡々と言った。その冷静さがかえってディーンをひるませた。センブリからは、まるでびくともしない道をふさぐ岩のような強さを感じた。
「私の愛する人は死んではいません。生きています。ただ、ある意味では死んで生まれ変わったのです。ただそれだけです」
「死んで生まれ変わった……」
「そうです」
「それは僕のおじいちゃん、キッシンジャーじいちゃんみたいに、本になったり……、あるいはあのドブネズミみたいに……」
「そうですねえ」と彼は一度上を見上げた。
「本来あるべき姿に戻ったのです。彼女は……外国人ですが、ある国の后となりました」
「っていうことはもう彼女は……」
「結婚しております」彼は淡々と答えた。
「それも、一国の主と」
「……」ディーンはいよいよ言葉を失ってしまった。沈黙が訪れた。
「気にすることはありませんよ」相変わらずの口調でセンブリは言った。
「私は元来、彼女と恋人関係や夫婦になる事なぞ、望んではおりませんでした」
「……」
ディーンは自分を恥じた。自身の想像力のなさにほとほと嫌気がさした。
「彼女はもうすでにご結婚しておられます。一国の主であり、とても誠実な方です。彼といれば、彼女はおそらく幸せでしょう」
「あなたは……」ディーンは声を震わせて言う。
「貴方はそれで幸せなのですか?」
「幸せです」センブリは即答した。そこには何のためらいもなかった。
「私の愛する人が幸せである。これ以上何を望みましょう?」
「……」ディーンは何も言えなくなってしまった。それは究極の愛であり、正しい形だった。
「そうですよね」ディーンは冷静になろうと、深呼吸をした。
「あなたの言う通りです」彼は低い声で言った。
「好きな人の幸せである。これ以上の幸せはない」ディーンはまっすぐセンブリの目を見る。
「けど」彼はじっとセンブリの目を覗き込んだ。
「自分の幸せは、後回しなんですか?」
「それは不可分です」彼の口調は変わらなかった。
「私の人生は、とうに彼女と、彼女のすばらしい旦那様に託してしまいました。彼女が幸せで、彼が彼女を幸せにして、国が豊かになって……。それが私の望む世界です。今私にできることは、私を救ってくださったティム様の幸せを全力でサポートすることだけなのです」
「なるほどね」ディーンは笑った。
「貴方もなかなかだね。しかしまあ、ここで個人的な見解を述べさせていただきたいんだ」
「なんなりと」
「幸せってのは、自分で見つけるもので、他人が見つけるものじゃない」
「それはそうですね」センブリはため息をつき、あっさりとした口調で言った。
「それはもちろんそうです。でも、そのためのお手伝いはできます」
「筋金入りですね、あなたも」ディーンは笑った。
「まあ、そうですね。こういう風にしか生きられないのです。私は……」
「ここまで清々しいともう、何も言えないよ」彼は伸びをした。
「でも、僕はレベーカを愛している」ディーンはセンブリの目を離さずに言う。
「レベーカのことが好きだし、会いたいし、心配だ。婚約者なんだ。彼女がどこにいて何をしているのか、それくらい知る権利はあるだろう?」
「なるほど」センブリは顎に手をあて、きっかり三秒沈黙した。
「あなたは、婚約者様の動向を逐一把握したいと。そういうことですね?」
「別に逐一じゃないよ。ただ、こんなにも長い間離れいてると、心配なだけ」
「逐一ではないのですね?」
「ああ、本当は毎日会いたいけどね。せめて週に一回くらいは会いたいよ。それくらいいだろ」
「なるほど」センブリは顎を手で押さえて五秒思案し、
「ならばティム様に相談してみましょう」と、あっさり言った。
「鋭意検討してくれるはずです」
「ありがとう」ディーンは頭を下げた。ここ数日で、初めてディーンは心から笑った。
「よかったら、貴方の話も聞かせてくれないか……その、貴方の愛する人のこと」
「ああ」彼は顎に当てていた手を離した。
「話すことはありません。私は彼女と、二度ほどしか話したことが無いので」
「なるほど」ディーンはさらに面食らってしまった。
「ダンテの『神曲』みたいだね」
「まさに」と彼はゆっくり言った。
「彼女はベアトリーチェのようです」
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