第31話 レメディオスの子守歌
「その姿はなんだ? よく似合っているが」ティムは優しい口調でディーンの黒髪を見て言った。
「ああ……イメチェンだよ、軽いね。ちょっと黒くしたい気分なんだ。父さん……シリウスが死んだ」ディーンはぽつりと言った。
「ああ、我が同胞だった。私の研究を唯一理解してくれた相手だった」彼は極めて冷静に言った。
「シリウスの息子も死んだ」
「彼も随分優秀だったと聞くね……。直接会ったことはないが、この国において惜しい人材を亡くした」
「……エネ大王は母さんに会いたがっている……。僕の母さんに関する記憶をおそらくエネ大王に渡したと思うけれど……彼は満足していない」
「レメディオスをエネ大王のもとに連れて行け、と?」
「許可が欲しいのです」
「どうやって連れて行く?」
「水槽を移動させるか、魂を僕に転送させるかどちらかにします」
「前者にしろ。すぐさま許可を下す」
「術者の援護をお願いします。先に僕が母さんを説得させて移動経路を確保します」
「私ものちに出向く……」
「失礼します」ディーンは寝室に急いで戻った。
「母さん」
「ディーン、どうした、主の髪と肌は……。なんと、目まで黒いじゃないか」
「母さん、おじいちゃんのところへ、エネ大王さまのところへ行こう」
「まあたその話か……まったく……」
「僕が水槽を動かす。だからおじいちゃんのところへ行く準備をしよう」
「ふむ。まったく。父さんも、聞かん人間よ、のう。ちょっとお主、呪文で強く耳栓をしろ。今からちょっとだけこの城の者を眠らせる」
「え、ええ、え?」
「儂の歌を聴いたものは皆儂に操られてしまうのじゃ。ほら、早くしないと主も危ないぞ」
「ちょっと、母さん?」
言うや否や、彼女は水槽の中で身長を5メートルにまで増大させた。体のサイズが、縮尺そのままに大きくなる。
「え?」ディーンは一瞬、鼓膜の機能をシャットアウトさせた。彼女は大きく息を吸い、にっこりと笑った。
〽
ねむれ よいこよ
母の胸に
ねむれ よいこよ
母の手に
こころやすき歌声に
夢見よ 安らかに
あたたかき腕に
つつまれてねむれや
空が共鳴し、同じように歌い出した。「空」は歌詞を雲で作った。その声はだんだんと大きくなり、やがて「空」全体での合唱となった。
夢見よ 安らかに
あたたかき腕に
つつまれてねむれや
母の手に
夜が明けるまで
ひとしく ふかく
ディーンは直接それを聞かなかった。だが、雲の変化と、風のざわめきによる木々の揺れを感じていた。
「母さん……? 何を……」
木の上から鳥がばさばさと落ち、野良猫はうずくまる。
「母さん……、何かが変だ……」
レメディオスには何も聞こえていないようだ。彼女は構わず歌い続けた。ディーンは思わず部屋の外に出る。廊下でメイド服の女中が壁に背をつけて寝ていた。
「メイドさん」ディーンは彼女を起こさせようとした。
「どうしました、具合が悪いんですか」彼女を揺さぶったが、気絶したように反応が無い。思わず彼は彼女の手首の脈を測る。幸いそれは正常だ。心臓もきちんと拍動している。呼吸も感じられる。
「寝ている……だけなのか?」ディーンは半信半疑だった。
「誰か……誰か……!! そうだ、医局に……」
彼はすぐに医局へと向かった。途中で同じように別の女中が廊下で体を横にして寝ていた。
「この人も……なぜ……」
彼は全速力で走った。
「ダカーサ先生!!!!」
「おお、お前は起きているのだな……って、どうしたその髪の毛!!」
「イメチェンです。そんなことより、城の皆が寝てしまっているのですが」
「おそらく強力な一種の自縛呪文だな……。いや、それにしても不思議だ……。普通の呪文とは違う……、おそらく神経を動かせて『強制的に生物の呪文がかかったと同じ状態にしている』といった感じかな。幸い私は寝ている間も自身の魂を保護するための呪文をかけておる。呪文を引き起こすために必要なホルモン調整剤だってここにはごまんとある。おそらくいつか呪文は解けるだろうが、強制的にこの薬で起こすことも可能だぞ、どうする?」
「一応所持してください。これは僕の母が行っていることです。今僕は彼女と意思疎通することができない。僕は彼女の声を聞けないし、彼女も僕の声を聞けない」
「いったい何をしようとしている?」
「わかりません……、僕は」
ディーンが言いかけたとき、ずどん、と音がし、城が揺れた。
「え?」
ディーンは思わず窓を見る。
「母さん?!」
体長約10メートルほどにもなったレメディオスの足が、城の壁を突き抜けて庭先に見えていた。
「母さんが外に……死んでしまう!!」
ディーンは外に出た。窓を突き破り、そのままレメディオスの足を追った。
「母さん、母さん、どこにいくんだ、僕だ、母さん、」
ずんずんと彼女はただ黙って突き進んだ。足の裏だけでもおよそ一メートルもあるかもしれない。彼女が歩くたびに地面は揺れ、城も揺れ、鳥たちはどこかに飛び立ち、雲がよけて移動した。
「母さん、待って……」レメディオスにディーンの声は届いていなかった。
「待ってってば……」ディーンはようやくレメディオスの片足に両手でしがみついた。
「母さん、死んじゃうよ……」しかしレメディオスはまったく気にしない。ディーンがいようといまいと、反応すらしない。夢遊病患者のように彼女はただひたすらに歩いた。
「母さん、水槽に戻るんだ……」
ふわり、と風の舞う音がした
銀色の髪をなびかせ、城の中から、ディーンの背後から「彼」は唐突に現れた。
「レメディオス、君の呪文を変えさせてもらうぞ」シリウスだ。
「父さん!!!!」
「ディーン、レメディオスは催眠状態に入っている。彼女が自身に呪文をかけたのだ。その呪文をはね消すか、さらに強力な催眠呪文でも使わなくてはならん」
「わかりました!! 僕が母さんの解除呪文を行います!!」ディーンは呪文の体勢に入る。ティムは自分の右手首を左手で握る。レメディオスは一瞬体を震わせ、歩みを止めた。
「……仕方ない」ティムは箱を取り出した。
「ディーン!! エネルギーのマスクを作れ!!」
「はい!!」ディーンは口から吸うタイプのエネルギーの盾を思い描く。城のどこかに存在していたのであろうそれは、窓を打ち破って最速で彼の手元に収まる。ディーンはそれをティムに向けて思いっきり投げた。
「これを」
ティムは箱を開け、銀色の液体を手で操り、そのままマスクの蓋からねじ込み、そのまま一気に地面を一蹴りして、十メートルほど跳んだ。彼はその間にマスクの紐を全開にし、レメディオスの頭の上からそれを被せた。彼は地面に落下するわずかな時間で、マスクをレメディオスの口の部分に持ってきた。
「いい子だ、愛しい人よ……」
「父さん!! やった!!」マスクをつけたため、とりあえずレメディオスが死ぬことは免れた。だが次の瞬間、彼女は低いうめき声をあげながら、再び湖に向かって
歩き出した。
「ゔ・・・・ゔ・・・・ゔゔヴヴ・・・・・・・・・・・」催眠呪文は解けていない。
「母さん!!!!」ディーンは両手を自身の心臓部分に置き、再び呪文をかけた。催眠の解除呪文だ。ティムも同時に詠唱破棄で呪文をかけた。
「…………」一瞬の沈黙が訪れた。が、彼女はやはり再びゆっくりと足を動かし、湖に向かって一心不乱に歩き出した。
「解除呪文が……弱い……?」正直に言えばディーンはエネルギー切れだった。ティムのように箱も持っていないどころか、まして先日エネ大王に記憶を与えたばかりの彼は、体内のラヴが極端に不足していた。
「違う!!!!彼女は自身に呪文をかけたのではない!!!!エネ大王が彼女を操っている!!!!」後ろから低い女の子の声がする。ぼろぼろで黄ばんだ白衣を羽織り、サンダル。振り返るとダカーサがそこにいた。しかし髪の毛が白い。
「先生?!」
「レメディオス自身にかけても効かん!! 神経の興奮を見ればわかるだろうが!! 彼女はおそらく『血の共鳴』によって神経の興奮したエネ大王と精神を繋げておる」ダカーサが声を張り上げた。
「わかりません!! 神経なんて僕には見えません!!でもありがとうございます!!」ディーンは思ったことをそのまま叫んだ。
「エネ大王が呪文をかけているのですね?」
「呪文と言えるかはわからん。少なくとも『魂の深部』から共鳴し、神経が高ぶり、ホルモンバランスを乱し、結果的に呪文がかかった状態を同じような作用を及ぼしている」
「ならば湖に僕が行き……」と言いかけたところで彼は気づいた。遠くから、地鳴りの音が一定間隔で聴こえる。地面が微かに揺れている。ずん、ずん、とそれは心臓を揺るがせ、腹の底をも響かせる。その音は全身で感じることができ、聞く者の呼吸を乱させる。
「……あ・・・・・・」彼は思わず声を出すが、言葉は失われる。やがてその影は近眼の彼でもはっきりと見えるような姿になっていく。その像は次第に大きくなり、解像度を増していく。
かつて大地震をこの国に及ぼし、人々を一夜にして葬り去った存在。
誰もが知りながら、それでいて存在を無視し、ただ彼が静かに眠っていることだけを望んでいた。
この国を創造しながら、破壊をもたらすこともできる、たった一つの存在。
この国のエネルギーである「ラヴ」を合成する際に使われる元素「エネ」は彼の名を冠している。
エネ・アヴァン・シュタルト大王。この国の創造と破壊をつかさどる者。
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