第6話 死神の訪れ
彼の二十歳の誕生日の夜だった。まさに彼が二十になったその瞬間、オータス家のリビングの窓が何者かに破壊された。
「何者か」は窓を壊して直接この家に侵入してきた。まず初めに気付いたのはディーンだった。彼は寝間着の裾を結び、その上からコートを羽織った。キッシンジャーを探し、脇に抱えリビングに出た。
次に起きたのはオトメイアであった。何かが足の周りを貼っていると思ったら、なんとそれはドブネズミだった。動物の嫌いな彼女は悲鳴とともに起き上がった。その声でブライアンが起きた。
ディーンはシドの部屋に向かった。ドアを呪文で開ける必要はなかった。既にそれは開いていた。彼が中に入ると、白い仮面をかぶり、黒い装束を着た長い髪の男がいた。死神がいたら、こんな姿なのだろうか。彼は寝ているシドに向かって立っていた。
「何者だ」
ディーンは相手の筋肉の動きを止める呪文を使った。今までは魚を相手にしていただけに効果がどれほどあるかはわからない。
「あらあら」と死神は言った。思ったより声は高い。
「呪文なんか学んじゃって、この坊っちゃん」
仮面があるから確信は持てない。でもその仮面が、少しだけ笑ったような気がした。その間、後ろからごそごそと布団が動く音がした。
「何……ディーンか?」シドが目を覚ます。
「セㇷ゚ラ」死神は叫び、手をシドに向けた。その瞬間シドはベッドに倒れこみ、また眠った。
「鈍ったねえ」彼は腕を自分の顔に近づけ、手を開いたり閉じたりした。少しは呪文が効いているのだろう。
ディーンは走った。特に考えがあるわけでもないが、この男がシドを殺そうとしていることは直感でわかった。
「セㇷ゚ラ」見様見真似だった。ディーンは今覚えたばかりに呪文をこの大男にかけようとした。
「フィール」死神は即座に保護呪文を張った。
「あらあら」彼はシドに背を向け、ディーンの方を向いた。
「坊っちゃんはずいぶん威勢よく育ったものですな、キッシンジャー様」
「左様」キッシンジャーは静かに口を開いた。
「儂に気づいておったか」
「初めから」
仮面は笑わないはずなのに、ディーンには少しだけ口角が上がっているように見える。
「キッシンジャー様ですか?この坊ちゃんに入れ知恵をしたのは」言いながらい彼はキッシンジャーに向けて手を開いた。
「フィール」キッシンジャーの保護呪文の方が早かった。
「しゃべっているときに不意打ちは良くないぞ、小僧」いつになく低い声でキッシンジャーが言う。
その間にディーンはシドに向けて保護呪文をかけた。
「リグ・フィール」
「フィール」死神が遅かった。間一髪でディーンはシドに保護呪文をかけられた。
「坊ちゃん、こんなにでしゃばると少々傷つけますよ」
「望むところだ」
一瞬の沈黙もなかった。死神とディーンはたがいに呪文をかけあった。相手の動きを止める呪文、炎を出す呪文、相手を凍らせる呪文。互いに呪文をかけあい、そのどれもがお互い外れた。部屋の一部は焦げ、氷った。
「セㇷ゚ラ」
キッシンジャーが叫んだ。死神はよろけ、床に膝真づいた。何か言いたげに口をパクパクさせたが、口すらも動かないらしい。
「キッシンジャー様!」ディーンは叫んだ。
「何、相手の動きを少し止めただけじゃ」キッシンジャーはゆっくりと言った。
「こ……お……が……」死神はなんとか呪文に抵抗してしゃべろうとした。
「口だけは動けるようにしてあげよう」キッシンジャーの本の表紙に何か呪文が浮かび上がる。
「はあっはあっはあっはあっ」相手は大きな呼吸を繰り返した。
「お前には吐いてもらわねばならんことがあるからの」キッシンジャーの声は低い。
「ディーン、こ奴が少しでも変な真似をしたらこ奴を凍らせろ。これは命令だ」
「わかりました。キッシンジャー様」
「左様」
彼は徐ろに自分の一ページを開いた。
「さて」とキッシンジャーは言った。
「お前はどこの馬の骨の者だ?」
「……ある高名なお方に仕えるものです」
「……ティムか」
「ティムって、お義父さんのお兄さんの、現首相ですか?」ディーンは驚いた。
「……」
「……」
誰も何も言わない。
「ディーン、彼の目を凍らせて、瞬きができないようにしろ」キッシンジャーが命令した。
「わかりました」
ディーンが言われた通り呪文をかけようとしたその時、
「だとしたらどうする?」死神はやっと口を開いた。
「誰に仕えていても、私は貴方がたの敵であることには変わりない」
「そうだな」キッシンジャーはゆっくりとしゃべった。
「しかし、こちらは相手を知らなければならない。たとえ少々……」キッシンジャーは相手の両手に炎をつけた。
「手荒なことをしてもな」
「下衆が」
相手が吐き捨てるように言う。相当両手が痛いはずなのに、顔色を変えないのはさすがはプロだ。
「しかし、昔の力はご健在なようですね。詠唱破棄で呪文を扱えるなんて」
「話を逸らすのはよせ」キッシンジャーは一層声を低くした。
「お前が誰の差し金かどうか吐くまで、内臓を一つ消させるぞ」
「おお、怖い」死神はおどけて見せた。
「仰る通り、私はティム様にお仕えする身ですけどね。だからと言ってなんです?これから何人もの貴方の息子が孫を襲いますよ」
「そうならないために儂がいるのじゃ」
「タキファイ」死神はキッシンジャーが言い終わるか言い終わらないかのうちに、キッシンジャーの本体に火をつけた。
「ウォール」慌ててディーンはキッシンジャーに水をかけた。キッシンジャーは宙に浮かび、部ぶるぶると犬のように体を震わせ水滴を飛ばした。
「やはり内臓を一つずつ抉り出そうか? 小僧」キッシンジャーがどすの利いた低い声で言う。
「いいでしょう、どのみち次の王位はティム様のご子息が継がせてもらいますからね。ここは根競べでもしましょうか、本のおいぼれさん」
「タキファイ」ディーンは死神の両足に炎をつけた。
「いい加減にしないとお前を全身焼かせるぞ」
「おお、こわい」
彼は表情も声色も変えなかった。両手両足が火傷しているはずなのに、耐えている。
「坊ちゃんも怖くなりましたね。そうかっかしないでくださいよ。私は貴方を傷つけるつもりはありませんのでね」
「シドをどうする気だ」
「シド? この子はどうでもいいでしょう。あなただって昔から彼にいじめられて嫌な思いをしたでしょう?」
「なぜそれを……」
その時だった。ディーンはいきなり宙に浮かび、重力が効かなくなった。
「わわ」
振り返ると、そこには一匹のドブネズミが部屋を横切った。
「遅いんだよ」
死神は吐き捨てるように言った。
「悪かったな」とドブネズミは言った。
「セㇷ゚ラ」
暗闇の中の遠くで声がした。暗闇が襲ってくる。
そこでディーンの記憶は消えた。
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気が付くと彼は馬車に乗っていた。ご丁寧に布団までかけられてある。馬車に馬は不在で、どうやら呪文によって動いているようだった。未だ外は暗く、三日月がきれいに見えていた。馬車の荷台にはドブネズミが一匹、チーズをかじっていた。
「やっこさん、やっと起きたね」ドブネズミが口を開く。
「お前は何者だ?」ディーンは身構えた。
「あっしは只のドブネズミでさあ」
「ティム首相の差し金か?」
「まあ、ティム様にはちょいと御恩がありますがね」馬車は誰もいない町を駆け抜ける。夜風が彼の体に沁みた。
「僕をどうする気だ?」
「ちょいと、ティム様を謁見してもらうだけですよ、正味な話」
「シドはどうなった?」
「ああ、シドって、あのブライアンのバカ息子ですかい?」ドブネズミはチーズを食べる手を休めずに言った。
「どうなんでしょうね、あっしにはわかりませんや。あっしはただ奴さんを運んだだけなんでね。どうかな、賭けます?キッシンジャー様が勝ってシドが生きているのと、マンデイが勝ってシドが死んでいるのと」
どうやら死神は「マンデイ」と言うらしい。
「僕はシドが生きている方に賭ける」
「参ったな」ドブネズミは自分の前肢で頭を掻いた。
「あっしも奴さんと同じ意見でさあ。シドの坊っちゃんは生きていると思いますね。正味な話。昔の力はないにせよ、キッシンジャー様にマンデイが勝てるとはどうも思えなくって……これじゃあ賭けにはならないっすなあ、奴さん?」
「前は誰の味方なんだ?」
「だからあっしはただの運び屋兼情報屋でさあ。便利っすよお、この身体。何の違和感もなく家に入れますからね。初めドブネズミになっちまったときはどうしようって思いましたがね、慣れるとどうってことないもんですよ、奴さん」
「もとは人間だったのか?」
「そうですねえ、正味な話。まあでも、昔の話ですよ、奴さん。自業自得ですわ。罪人だったあっしはティム様によってこの姿にされ、生かされたんす。まあ、正味は話、ティム様はただ都合の良いい便利屋が欲しかっただけなんですけどね。実際便利ですよ、この身体は。食費もそんなにかからないし」
「お前の名は?」
「別になんて呼んでくれても構わないっすよ」
「デモンでもグリムリーパーでも」
「デモン」ディーンは吐き捨てるように言った。
「まあ、なんでもいいっすよ、正味な話。あたしは名無しなんでね。奴さんの好きなように読んでくださいよ」
「デモン、僕らはティム首相のいるところに向かっているんだね?」
「そうですよ、ただ謁見するだけですよ。気張らなさんな」
「わかった」
「歌でも歌いましょうか?」
「別にいい」ドブネズミはディーンの言葉を無視した。
ぶつぶつと独り言ばかり言って
自分でも年をとったなと思う
時々こんな事はもうやめたいとは思うけれど
何か上手くかみ合わなくて
ぐずぐずと
眉間に皺を寄せて嫌な顔をして
他には何もすることがない
雨の日と月曜日はいつも気が滅入る
こういう感覚を
人は『憂鬱』と言うのだろうか
特に何かが間違っているわけじゃないけれど
自分のいる場所はここじゃないような気がする
孤独なピエロみたいに
ただウロウロ歩き回ってる
雨の日と月曜日はいつも気が滅入る
低い声だった。彼の歌はお世辞にもうまいとは言えなかったが、味があり、なかなかこの寒い夜にはディーンの心を打った。
「何の歌?」
「坊ちゃん、ラジオは聞かないんですかい? 今すごく流行っているバンドの歌ですよ」
「聞かないね」
夜風が寒かった。
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オータス家では死神・マンデイがシドの部屋に横たわっていた。
「何事です?」
オータス家に現れ、シドの部屋まで入ってきたのは他の誰でもなくレベーカだった。キッシンジャーが残りの力で呪文をかけ、彼女を呼び寄せたのだった。
「我はキッシンジャーと申す、元首相だ」
キッシンジャーは本の姿をレベーカに晒した。
「キッシンジャー様?」
レベーカは訳が分からなかった。突然体が勝手に動いてで呪文を家に来て、本が喋っていてそれがキッシンジャーであるという状況を理解するまでには頭のいい彼女でも数秒かかった。
「左様、事は急を要する」
「何事でしょう」彼女は努めて冷静に言った。
「この家のシド……はお主も知っておるな、ディーンの義理の兄だ」
「はい」
「そやつが今しがた命を狙われた、こやつにな」
キッシンジャーがマンデイの方向へ向き直る。マンデイは両手両足を火傷し、気絶したまま横たわっている。
「今儂が気絶する呪文をこやつにかけたのじゃ。こ奴の力にもよるが、もって一時間というところだろう」
「ひどい……なぜこんなことに……」
「こ奴は主にシドの命を狙った。ディーンは傷つけずに仲間にさらわれた。こ奴は儂の息子、ティムの差し金じゃ。おそらく、次の首相の座に就こうとする人間を暗殺しようとしているのじゃろう」
「そんな」レベーカは息をのんだ。
「左様、しかし現実じゃ」
「ああ……、キッシンジャー様、それで、ディーンは……」
「わからない。さらわれたのじゃ。申し訳ないが儂の責任じゃ」
「ああ」レベーカは膝を床につき、涙を流した。
「彼はどこにいるのです」
「わからん、だが探すことはできる」
「ああ」レベーカはまたも声を出して泣いた。
「彼は生きていますよね?」
「確信は持てんが、わしのカンでは生きておる。なぜならここでマンデイ……、こ奴の名前じゃが(気絶しているマンデイに向けて自身の本の栞を向けた)、こ奴がディーンを殺さず、わざわざほかの仲間を利用して連れ去ったのには訳があろう。じゃから、ディーンが生きている可能性は非常に高い」
「……っ」レベーカは肩を震わせて泣いた。
「ああ、明日彼が二十歳になれば私は晴れて花嫁となろう……」彼女は顔に落ちる涙を拭いた。
「探しに行きます」彼女は震える声で言った。
「私は愛する夫、ディーンを探しにゆきます」彼女の瞳はうるんでいたが、まっすぐにキッシンジャーを見つけていた。
「よかろう、レベーカ・『オータス』」
キッシンジャーの声が厳かに響いた。
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