第15話 ティムとワールテロー
「僕の……お父さんが生きていただって?!」
「まあ、端的に言うとそうですね坊っちゃん」
「嘘をつくな」ディーンは声を荒げた。
「お前の事なんか信用できない」
「まあま」飄々とワールテローが答える。
「そうかっかしなさんな、奴さん。まあ、結構確かな筋だとは思いますけどね、いかんせん証明が難しいや」
「御託は良い」ディーンは衝撃を隠そうとして、声を荒げた。
「さっさと答えろ」
「へいへい……。全く、気が荒いんだから……」
ドブネズミはぶつぶつ文句を言っていたが、ディーンに向き直り、
「鳩を最近見ませんでしたか?」と言った。
「鳩?」鳩なんかそこら辺にいるじゃないか、と言おうとしたその瞬間、彼は思い出した。覚えがあった。いつだったか、暗号を解読していた際に寝室に来ていた鳩がいた。
「見かけたけどそれがどうかしたのか?」
「奴さんの父親は鳩になっておられます」ワールテローが淡々と言った。
「バカ言うな、お前じゃあるまいし」
「いや、逆ですよ。ネズミという存在のあっしがいるから、奴さんのお父様も鳩である可能性は十分あるわけです」
「……」これに対し、ディーンは何も言い返せなかった。
「まあ、受け入れたくない気持ちもわからなくもないですがね」ネズミは体勢を変える。
「でもこれはおそらく事実だと思いますよ。いかんせん証明が難しいですけどね」
「……そもそも」
ディーンは口を開いた。その声は震えていた。
「そもそもお前はどうしてネズミになったんだ?」
ディーンのこぶしに力が入る。
「……捕まって、助けられたんすよ。ティム様に」
「……」
「錆も垢もついた話でさあ。大して面白くありませんや」
「いいから話せ」
「……あっしには身寄りがありませんでね。ゴミ捨て場を漁るようなガキでした。当然、学もありゃしません」
ネズミは語り始めた。
「あっしにできることと言えば、盗み、ピッキング、引ったくり、喧嘩。そんなもんですよ。たまあに新聞なんか読んで文字を覚えましたけどね、本当は全然読めませんや、正味な話。とにかく悪いことはいろいろやりましたよ、ええ。まあ殺人なんかはあっしに勇気が無くてできないですけどね。そんなことをしていたもんだから、当然目立っちゃいましてね。しかしあれがまさか幸福な第二の人生の始まりだとは思いませんでした」
ネズミは一気にしゃべった。
「ある日、あっしがまだ二本足で歩いていた時ですね、ふふ、可愛かったものですよ、その時あっしは相変わらず盗みを働いておりました。痩せこけて、今みたいに太ってなんかいませんや。とにかくあの頃は、まあ今でもそうなんですけどね、普通の幸せな少年少女たちってのが、まあ憎くてしょうがなかったんですよ。お恥ずかしい話ですけどね。家に帰れば父親と母親がいてご飯も満足に食べられてベッドで寝られる。こんないい話が、こんなうまい話が他人の身になんの苦も無く起きているなんてね、あっしはほんとうに許せませんでしたや。神様なんか糞くらえですよ。あっしは世界の全てを呪って生きていました。この世の全てですね。何もかもに腹を立てていましたよ、あの頃は。だもんで、ちょっとしたいたずら心だったんです。今考えると若気の至りですな」ワールテローは目を伏せた。
「あの時のことは一生忘れませんや」
彼は一息ついた。
「よく晴れた日でしたね。平日の三時くらいだったかな、学校が終わる時間くらいですよ。あっしはいつものごとくゴミ捨て場の巡回をしていました。昼間ってのは大体偵察をしたり寝たりしているもんでね。仕事で留守の家に忍び込むのもだいたいは昼間なんですけど、学校帰りの少年たちがわんさかいる時間は鬼門ですね。
ちょうどあっしは銀色の髪の、とても目立つ青年を目にしました。一目見て、ああ、こいつは金持ちなんだなあ、ってわかりましたよ。オーラって言うんでしょうかね、とても気品が溢れていました。なんていうんでしょうね、ちょっと目が離せない存在なのです。自然と吸い込まれるような。彼は級友たちと楽しくお喋りしながら帰宅していました。胸元には他の子が着けていないきらきらしたバッジなんかもつけちゃって、そりゃあまあ目立つわけです。男なのに透き通るような銀髪と吸い込まれるような銀色の瞳。あっしはなぜだか、すごく彼をめちゃくちゃにしたかったのです」
ここまで一気に喋ってしまうと、ネズミは恥ずかしそうに左肢を動かして絨毯に円を描いた。
「でもまあ、それは奴さんもご想像の通り、失敗に終わりました」
にか、と彼が笑う。出っ歯が目立った。
「まあ、本当にだめでしたね。実力差がありすぎました。当時は若かったですからね。あっしはティム様に向かっていき、彼のカバンやバッジを奪う算段でした。忍び足には自信がありましたし、俊敏さだって右に出るものはなかなかいなかったですからね。でもティム様は即座にあっしに気付き、保護呪文をかけ、あっしを逆にのしました。何をされたかははっきりと覚えておりゃしません。気づいたらまあ、夢にも見たことないような豪華絢爛な部屋のベッドに横たわっていたわけです。そんでティム様がお声かけくださって……」
そこで一度、言葉は途切れた。ディーンは何も言えなかった。ワールテローも何も言わなかった。彼は鼻をすすった。
「すいません、ちょっと感傷的になっちまいましたね」
ディーンは首を振った。
「そんで、あっしの今までの様々な悪事が露見したことも、ティム様は優しくお伝えくださいました。次期首相候補の自分を傷つけようとした罪は重く、生半可な刑では免れられないことも……。
しかしですね。そこからが違いました。
彼はあっしの半生をしみじみと聞いてくれました。ほとんど汚い話です。大抵はつまらない話でしたが、ティム様は何も否定せずに聞いてくださいました。その時のことは今でも忘れません」
ワールテローはもう一度鼻をすすった。
「すいませんね、なんかこんな話」
「いいや」ディーンは冷静に言った。
「続けて」
「痛み入ります、坊ちゃん。そこからはご想像の通り、交渉でした。不思議な提案でした。あっしの年齢は正確にはわかりませんが、おそらく13か14かそこらだったと思います、その時期のあっしには究極の二択でした。姿を変えて生き延びるか、そのままの姿で刑を全うするか、ってね」
ワールテローはフフッと笑った。
「奴さんならどうしますかい? あっしは勿論、腹の中では決めていましたよ。話を聞いた瞬間にね。でも急なことでしたからね、一晩考えさせてほしいと言いました。ティム様は了承しましたが、いずれ裁判になるだろうから、なるべく早く決めてほしいとも仰られました。あっしには時間がありませんでした。その日は生まれて初めてふかふかのベッドで寝ましたが、全然眠れなかったもんです。あっしにも可愛い時期がありました」
ディーンは姿勢を崩さずに聴いていた。
「そんなわけで、目にクマを作りながらあっしは翌朝宣言しましたよ。姿を変えて生き延びる。ってね。ティム様は仰られました。名前も役職も渡す。ただし僕に一生を捧げてほしいと。私は初めからそのつもりでした。いちいち確認するまでもないことでしたね。あっしはティム様にだけ仕えて生きようと決心したのです」
彼はディーンの眼を真直ぐ見て答えた。彼の瞳には輝きが残っていた。
「……とまあ」
ワールテローは大きく深呼吸した。
「ざっとこんな感じです。あっしの昔話は」
「……なるほど」
「たいして面白くないでしょう?」
「いや」ディーンは即答した。
「興味深いよ」
「それは良かった」
ワールテローは前歯を見せ。にっこりと笑った。
「本当に」ディーンも深呼吸をし、体勢を崩した。
「しかしわからないな、なんで僕の父が姿を変えたんだ?」
「坊ちゃんの父上も狙われているからです」
「なぜ?」
「さあ、そこまではわかりませんよ」
ワールテローは飄々と答える。
「でも何か、城の中では水面下で動いてそうですね。わかりやせんけど」
「信じられないな」
「まあま、信じるか信じないかは坊ちゃん次第ですからね」
「第一この話を僕にしてお前にメリットはないだろう?」
「まあ、ありませんね」
ワールテローはけろりと答える。
「というより、デメリットの方が大きいかもしれませんね、正味な話。だからこれはせめてものお礼と好意です」
「好意?」
「ええ、坊っちゃんのことはあっし、個人的に好きなんです。なんとなく憎めなくて」
「そりゃあどうも」ディーンはため息交じりに言った。
「本当ですよ」
ワールテローはディーンの目を離さなかった。
「まあ、興味っていうんでしょうかね。ティム様とはちょっと違いますけど、坊っちゃんもなかなか興味深いんですよ、正味な話。だもんでついつい、ちょっかいかけたくなっちゃうんですよ」
「感謝するよ」
「ええ、ええ」ワールテローは笑った。
「まあ、信じなくてもいいですけどね。この姿でうろうろしていると、思いがけず情報が入ってきます」
「悪いけれど」ディーンは姿勢を正した。
「お前の言うことは100%信用できるかをいうと、そうじゃない」
「でしょうねえ」
「何しろ、情報の出所がわからない」
「何のことはない。あっしが湖で見たんですよ。黒い髪の、水も滴るいい男をね。なかなか美男子でしたね、ありゃ。湖からばさばさとあがってきて、昆布なんか顔に巻き付けて、男が言うわけですよ、『ディーンは知っているか』って」
彼はあっさりと言った。
「……なるほど?」ディーンは半信半疑だった。
「初めはびっくりしましたねえ。なんせ湖から黒髪黒目の美形がネズミの私に話しかけるので。でも私はすぐにピンときましたよ。坊ちゃんの父親なんだって。で、私はまあ、申し訳ないですけど、城に使える身なので詳しくは言えない、って言いましたね。こっちもわが身がかわいいもんでさ。でもきっとまあ、あの人ならその言葉だけで坊ちゃんがどこにいるか、理解できるでしょう」
「お前の身は大丈夫なのか?」ディーンは恐る恐る聞いた。
「何がです?」
「お前、危ないんじゃないのか」
「まあ、危ないでしょうね」
彼はさらりと答える。
「でもまあ、やりたいように生きてみるのも楽しいもんですよ。坊ちゃんには期待していますから」
「……」ディーンは何も言えなかった。頭の中で言葉を浮かび上がらせようとしても、何も浮かんでこなかった。
「ま」
「いつかわかるでしょうな」
そう言ってワールテローは去っていった。
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