第16話 鳩
あくる日の夜。
その日もディーンは暗号を解読することはできなかった。
疲れて床に就こうとしたまさにその時だった。ここここ、と音がした。
ディーンは窓を見やった。
窓には鳩がいた。
ディーンはじっとそれを見つめた。ここここ、と鳩は窓をつついた。首を振って窓の中を覗き込むような動作をし、またここここ、と窓をつついた。ディーンはゆっくり窓に近づき、窓を開けた。鳩はひらりと部屋を舞い、彼のベッドに座った。
「あなたは?」ディーンは話しかけた。
「あなたは誰なのですか?」
鳩はベッドの上に座っていた。ただくるくると周り、その居場所を確認していた。
「貴方は誰なのですか?」
ディーンはもう一度聞いた。鳩は何も答えなかった。そうだ、あのドブネズミの言うことなんか気にしなくていいのだ。ただの鳩じゃないか。あいつに何か言われたからって、真に受け過ぎだ。第一、僕の父が生きている保証なんてない。そんな考えがディーンによぎる。
鳩はゆっくりとディーンのベッドに座った。ディーンは身構えた。しかし目の前の鳩が何も攻撃せずに鎮座していることから、しだいに気が抜けてきた。ただの思い過ごしだったかもしれない、と思った。そう思うと少なからず心の中でほっとしている自分がいることにも気づいた。そどうしてだろうな、父がいてくれてうれしいはずなのに。
鳩は何も言わなかった。沈黙が続いた。
「貴方は僕の父ではないのですか?」突拍子もない話だった。話しかけて返事が返ってくるなんて期待してもいなかった。クックと鳩は喉を鳴らした。何も伝わってこなかった。諦めかけたその時、後ろから突然声がした。
「何をやっている。……ってお前、ディーンか?」
振り返ると、窓の外にもう一匹の鳩がいた。
「お前、ディーンか? 本当にディーンか?」鳩はばさばさと興奮気味に羽を開いたり閉じたりした。
「本当にディーンなんだな。十七年ぶり、か」
「あなたは僕の父なのですか?」ディーンは再度目の前の鳩に聞いた。
「うーん、まあ名づけの親ではある」
「名づけの親?」
「ま、ゆーてお前がまだ2歳のころまでしか育てなかったから覚えていないだろう。私はシリウス・パーカーと言う」
「パーカー?」思わず僕は眉を動かす。その名前には覚えがあった。
「僕の友達のジャンも同じ名前だ……」
「ジャン?! ジャンだと?!!!!!!」
鳩は唐突に大声をあげた。
「ジャンはどこにいるのだ?」
「わからない。僕はむりやりここに連れてこられたから。ずっと会っていない。中学からの友達なんだ」
「友達?!」
「うん。僕の唯一の親友。ジャンは初めて僕の話について来てくれた人間だったんだ」
「ジャンは……お前は……」
「お父さん、って呼んでいいのかな」
「ああ」と鳩は首を縦に振った。
「もちろん」
「お父さんはジャンのことをなんで知っているんですか?」
「そりゃあ、私はあいつの父だからね。戸籍上でも血縁上でもまごうことなき父だ」
「え?」
「そうだ。私はあいつとお前を二年間一緒に育てていた」
「ジャンが僕のことを知っていた?」
「そのはずだ。ジャンが三歳のときにお前を泣く泣く特別支援孤児院に入れたのだ。それをあの人は望んでいたからな」
「あの人?」
「ああ、そりゃお前の、」
突然、後ろから声がした。
「誰かいるのか?」冷徹で、それでいてドスのあるような声。センブリだった。部屋の外にいても、扉越しからもその圧は伝わってくる。
「いえ、」ディーンは咄嗟に反応する。
「窓に鳩がいたもので」
「鳩?」
「ええ。ずっと窓を叩いていたもので」
「そうか……」と声の主はため息交じりに言った。
「お前は時に何歳だ?」
「ええと、20になりますが……」
「そうか……まあ、誰にでも……『そういう時期』はあるだろうな……」
「え?」
「お前も世間と隔離されてなかなかつらいのだろう……気持ちもわかる……」
「え? なんですかセンブリさん!!」ディーンは咄嗟に扉を開ける。
「今日はゆっくり休むと良い……」センブリはいつもの淡々とした口調で、しかしどことなく暖かいような目でディーンを見ていた。
「勝手に納得しないでくださいよ!!」言うや否や、すでにセンブリは別の仕事場へと消えていった。その背中を数秒見つめたのち、彼はため息をつき、振り返った。
鳩はもういなかった。
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