第21話 フラスコの中の小人(ホムンクルス)

「君は……『フラスコの中の小人(ホムンクルス)』とレメ一族から生まれた第一世代だ」


 ティムの声が反響し、その後に静けさがかえって強調された。


「僕は………別に何もできない……。特に僕には強い力もない。ちょっと人より物事の覚えが早いだけ……。僕は……僕は……別に何も……」

「君はレメの子だ。君がどんな体の構造になっているのか、私にもわかりかねる。君がレメ同様にエネを吸収し、ラヴを合成できるのか、はたまた人間と同じ構造なのか、私にもわかりかねるところだ。見たところ君は地上でも不自由なく生活できると見えるが、私の形質が強く出てしまったのだろうか……」

「僕は……僕は母さんの子で……僕は父さんの子で……ティム様の子で……キッシンジャーとエネ大王がおじいちゃんで……僕は……僕は……」

「君はすごく優秀な人物と言える。大学を飛び級し、その年で論文を発表してしまうんだからね。肉体も強靭だ。自然物理学の法則も理解し、呪文だって操れているだろう。このうえなくこの国に優秀な人材だ。まさに私が設計(デザイン)したとおりだよ」

「僕は……別に何も……ただ愛する人を守りたくて……」

「誰かをいつくしむ気持ち。それこそが君主に最も必要とされる精神だ。慈愛だ。アガペーだ。素晴らしい。私の想像以上に君は君主にふさわしい人間になっていたらしい。私は今かつてない喜びに満ちているよ」

「僕は……そんな大層なことなんか……考えていない……ただ僕は……自分の興味のあることをやってきただけ……。ただ単純に知識が身について行くのが楽しかったんだ……本当にシンプルなことだ……。何か一つできることが増えるのが楽しかっただけだ……。ただ……延々と続く砂浜の波打ち際で貝殻を拾って……遊んでいるだけ……」

「ディーン、君は君が思っている以上に君主に相応しい」ティムは膝真づき、彼に目線を合わせて言う。小さな子供を諭すときの様子のまさにそれだ。

「君はこの国を統べる者なのだ。初めからそれは決められていた運命なのだ。星々が古くからそう言っている。誰にもそれを変えることはできない」

「僕は……いったい何を考えて……息をすればいい……誰のことを……おもえば……僕はまだ……たくさんの人のことを考えることなんて……」

「明日、エネ大王と交渉するのだ」とティムは言った。

「レメは幸せに生きている。エネ大王とレメを直接に引き合わせるには、少なくとも技術的に一週間はかかる。まあ、手っ取り早い方法もないことはないが少々危険だ」

「教えてください」ディーンはすぐに返事した。

「人類のためなんて大層なことはまだ考えられないけど、エネ大王が寂しいことはわかるから」

「まあその……君の魂を一時的に取り出して別の場所に保存し、体を一時的にレメに預けるのだ」

「それって……」

「法律にはぎりぎり触れない。しかし勿論リスクが大きすぎる。魂が再度体に定着するかがわからないからな……」

「やりましょう」とディーンは言った。

「明日エネ大王と直接交渉します。もしそれでダメなら、そのプランでいきましょう、陛下」


 その日の夜、ディーンは生まれて初めてほわほわとした気分になり、高揚して眠れなかった。それでいてリラックスしているような不思議な気分だった。

 彼は帰り際、レメディオスに聞いた。

「お母さん」彼が初めて使う言葉だった。

「なんじゃの」

「また、来ていいのかな」

「ああ。おい、ティム、お前ここの鍵をディーンに渡せ」

「もうディーンはここの合言葉なら知っているよ、なあ?」ディーンは頷く

「母さん、今日、ここで寝て良いかな」

「ほお?」レメディオスは不思議な顔をした。

「おお、おお!! もちろん歓迎じゃ!!! 今宵は夜通し子守唄を歌うぞよ。さて何がいいかな。リクエストはあるぞえ?」レメディオス顔を赤く高揚させた。

「二週間ほど眠っておったからの。儂は今夜お前をずっと観察できるぞ。二十年分たっぷりとな。ほれセンブリ、ベッドを用意せんか」

「良いよお母さん、僕が勝手に布団を持ってくるから……」

「今夜は親子水入らずじゃのう。おいセンブリ、今日は久々に鯛を食いたいぞ。エネばかりじゃ味気ないからのう」

「母さんって普段何食べるの?」ディーンは素直な好奇心から質問した。

「だいたいはプランクトンとエネと時々魚じゃな。まあ魚は食べなくても生きていけるのだが、あれを食うとふわふわした気持ちになって気分が高揚するんじゃ」

「それって酔っぱらって……」

「わかりました、鯛、ですか。厨房に刺身が無いか確認してみます」センブリはディーンの言葉を聞かずに深く礼をし、そのまま部屋を出て行った。

「今夜は二人で話すとよい。私が布団を持ってくる」ティムが優しく言い、センブリに続いて部屋を出て行った。

「ほうほう。ずっと眠っていたから腹が減ったわ。今日は鯛じゃぞ、鯛は食べれるか?ん?」

「大丈夫」ディーンは子供のように無邪気な母親を見て微笑んだ。

「母さんは男の時期もあるの?」

「今はホルモン注射を打っているから、女と『女じゃない』時期を交互に繰り返しているな。妊娠の機能が失われる期間があると思ってくれればいい」

「大変じゃない?」

「別に大変じゃあないぞ。ティムはどう思っているかわからんがの」

「父さんのこと、好き?」

「ふふ」レメディオスはにやりと笑った。

「なんじゃ、親の色ごとにも興味が出てきたのか。もう二十だしのう」

「母さんは父さんのどこが好きなんだろうって」

「そうじゃのう……」レメディオスは三秒沈黙して、目を瞑った。

「初めは只の興味じゃった」と彼女はぽつりとつぶやいた。

「あやつが儂に興味を持ったのは、儂の類まれなる身体的特徴、エネからラヴを作り出せる体質だったのだと思う、初めは」

「……父さんは母さん自身を愛していなかったってこと?」

「初めはそうだったのかもしれんな」レメディオスは軽くため息をついた。

「儂だってそうじゃ。あの小さな湖から飛び出したかった。父さんの監視から逃れたかった。一族の生き残りだとか、結婚とか、そんなことは微塵も考えたくなかった。毎日毎日鳥かごの中に入れられているような気分だった。あそこから出るために、儂は結婚した。初めは、初めはそうだった。儂らはお互いの利益のために……一緒になった」

ディーンはじっとレメディオスを見ていた。彼女の銀色の瞳が美しく光っている。

「儂は自由を、あやつは自分の夢のために我々は結婚した。当然、純粋な恋愛感情がないことを父さんは気づいておった。儂は色恋に昔から興味が無いんじゃ。賭け事はもっぱら好きじゃがの。それでもわが娘の決めたことだからと……反対しなかった。父さんは儂の母さんを好いていた。父さんは一人娘の、儂の母の血を絶やさぬように、儂を守ることに全ての命を懸けていた。父さんの生きがいは儂なのだ」レメディオスはそこで深呼吸した。

「儂はティムと契約を結んだ。自由を売る代わりに実験対象となることを自ら選んだのだ。そこでお主が生まれた。お主が生まれたことは、我々に変化をもたらせた」レメディオスの表情が少し明るくなる。

「本当の人間じゃ無なくっても、たとえ水槽の中から出られなくっても、一人の人間を愛することができる。我々はお主を育てるうちに、お主に、実験対象のお前に必要以上に愛着を抱いてしまった。ティムとて息子を愛せずにはいられんのだ。たとえ人類を永続させるために実験対象だとしてもな」

「でも父さんは僕を外に出させて……」

「お主はどのみち存在が明らかになれば暗殺されただろう。伏兵はいろんなところにいる。権力をもくろむ輩だけでなく、己の正義観と倫理観でお主を殺す奴も出てくるだろう。それはティムが一番よく知っていることだ。ティムはな、儂にはあやつの記憶があるからわかるが、あやつは自分の出自を他人に理解してもらえない苦しさをよおく知っておる。だからこそ……一人でいるやつやはぐれ者には優しいのじゃ。センブリだってあやつの素性はよくわからん。ティムが家柄なぞ関係なしに人を評価するのは、ティムが一番孤独の苦しみを知っているからじゃ」

「父さんは人類を救いたいんだよね?」

「そうじゃ。かつて起こったこの国の大地震で我々の種族も人間も死んだ。その地震はエネルギーバランスの崩壊によっておこるとも言われている。あやつはそれを止めようとしている。あいつはずっとずっと昔から誰よりも、人類の存続を望んでいるのじゃ」

「それが父さんのやりたいことなら、それを僕が引き継ぐのかな」

「ティムはそれを望んでおる。お前は強い。なかなか優秀そうじゃし、女子にも可愛がられそうじゃしの。え? いい相手はおらんのか?」

「そうだ。お母さん、僕今度結婚するよ」

「真(まこと)か?!ああめでたいのお。いつじゃいつじゃ。まったく子供とはすぐに大きくなるのお。ちょっと二十年ほど目を離したすきに結婚なぞしよる。女中がいつか言っておったわ。子供なんてあっという間に大きくなるとな、あれは本当じゃったの」

「そういえばお母さんって何歳なの?」

「儂はあんまり覚えておらんが、おそらく今年で130歳くらいだと思うぞ。もっといっているかもしれんがな」

「え? ええ?」ディーンは驚いて前のめりになった。

「どうじゃったかなあ。150だった気もするし140だった気もするのお」

「すごいアバウトなんだね。母さんの寿命って長いんだ」

「まあのう。最近はラヴが不足しているから長生きできるかわからんが、孫を見るまでには死ねないのう。おれおれ、今度ちゃんと相手を連れてこんかい」

「連れてくるよ。まったく父さんったらここに僕を軟禁させるんだもん、僕がレベーカに会いたくてもすぐ城に連れ戻すんだ」

「それはいかんのう。若いころはあやつも毎夜湖に来て儂の名前を声がかれるほど呼んだくせにな」

「ふふ」ディーンは笑った。

「ふふ」レメディオスは笑った。

「ディーンは、良い子じゃの」レメディオスは彼を水槽越しに抱いた。

「いい子いい子、じゃの」彼女は頭をなでる仕草をした。

「歌ってあげるぞ」



急ぎなさい、花婿がおいでになる

立ち上がり、灯火を取れ!

ハレルヤ!

婚礼に備えよ

花婿を迎えにゆくのだ!

彼が来られる、彼が来られる

花婿がおいでになる!

シオンの娘たちよ、出ておいで

彼は天より下り

おまえたちの母の家に急いでおられる

花婿がおいでになる

目覚めなさい、勇気を出して!

花婿を迎えなさい!

ご覧、そこに彼が来ておられる

いつおいでになるのですか、私の救いよ

私は、おまえのもとへ行く



ディーンはいつのまにか床に横になり、眠りこけてしまった。

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