第23話 箱の第一の記憶
ざわざわと葉の揺れる音がする。どこかの森。ディーンとセンブリは知らぬ間に夜の深い闇の中にいた。フクロウの声と羽音が聞こえる。彼らは何も言わずに前進する。彼ら二人は歩いてもいないのに景色が前に移動し、木々が勝手に遠ざかった。彼らは大きな力により前進していた。遠くに明かりが見えた。ぱちぱちと音がする。どこかで焚火を焚いているらしい。そのまま彼らは『箱』に従ったまま移動した。彼らは木々のない草原にたどり着いた。そこには巨大な銀色の水槽に五つの十字架が刺さっていた。黒いフード付きのマントを被った人間がその周りを二十人ほど囲っていた。
「儀式を始める」フードを被った者の一人が挙手し、水槽の中から巨大な、三メートルほどはあるであろう十字架を片手で引っこ抜き、天へ仰いだ。周りの黒服が一斉に膝真づいて祈った。
後方の黒服の二人が棺を運んできた。中には黒髪の老人が一人入っていた。十字架を持った黒服は棺に近寄り、そのまま死体の心臓めがけて十字架を射した。銀色の液体がびちゃびちゃと周りに飛散した。黒服たちは何も言わずにそれが終わると十字架を抜き、死体をそれに紐でくくりつけた。周りの黒服たちも手伝い、みんなで死体付きの十字架を水槽の中に射した。死体からは銀色の液体が絶え間なく流れ続けていた。ガラガラと音がする。また次の棺が運ばれてきたのだ。今度は黒く長い髪の女性だった。
「母さん……」ぽつりと黒服の誰かが言った。それは声変わり前の幼い男の子の声のようであった。
「この国のために……」もう一人の黒服がぽつりと言い、両手を組む。ディーンは思う。
誰に祈っているのだ?
ディーンは思わず何か言いかけたが、『箱』の中では声が出せないことに気付いた。
「……」黒服の一人が膝真づいて、うつむいたまま、そこから微動だにしなかった。儀式は淡々と着実に行われた。先ほどの老人と同様に死体の女性は心臓に十字架を突き付けられ、磔にされ、水槽に野ざらしとなった。ディーンは見ていられなかったが、『箱』の中では目を離すことも移動することも許されなかった。目をつぶっても映像が流れてくる。この中に入った以上、真実を受け入れるしかないのだ。
全部で五人の黒髪の人間が磔にされた。
「これで今年も我々は救われたのです」と一人の黒服が威勢よく宣言した。
「我々の繁栄のために」黒服たちは一斉に膝真づき、手を組み、祈った。何処からともなく音楽が聞こえた。誰が歌っているわけでもない。空から勝手に流れてくるのだ。
〽
この世には秘密のコードがあると聞いたことがある
それはダビデが奏でたもので、主を微笑ませた
でも、皆そこまでこの音楽に繊細ではない、そうだろ
そのコードはこういう風に刻む
4度、そして5度の和音、短調で下げて長調で上げていく
困惑しながら王は、主を讃える曲を作ったのだ
ハレルヤ、主に感謝し、喜びと賛美を
皆、ただひたすらに祈っていた。空から聞こえる音楽はまだ鳴り響いている。
と同時に、ごごごごと不思議な音が聞こえる。空からではない。地面からだ。視界が揺れる。重力がめちゃくちゃになる。ぴしぴし、と下の方から不思議な音がする。地面が割れている。
突如、地面から銀色の水しぶきとともに、巨大なナマズが姿を現した。
「ジャン!!!!!」
黒服の一人が声を荒げ、もう一人の黒服を抱きかかえた。黒服たちは逃げまどい、ある者はナマズの下敷きに、ある者はナマズの口の中でごきごきと骨の音を立てて朽ち果てた。
「ああ、ああ」
〽
ベイビー、私は以前ここに来たことがある
この部屋も見たことがあるし、この床も歩いたことがあるんだ
君と知り会う前は、私はずっと一人で住んでいたのだ
マーブルアーチの上で君が旗を掲げるのを見た
しかし、愛は勝利を見せびらかせるようなものではない
愛は冷たく脆いモノなのだ、だからこそ救いを求め主を讃えるのだ
ハレルヤ、主に感謝し、喜びと賛美を
黒服のほとんどはナマズにより魂を奪われてしまった。
ただ二人、ただ二人だけがひたすらに森の中を走っていた。
「ああ、ああ」
子供を抱えた黒服はただひたすらに逃げまどっていた。
「主よ、どうかこの子をお守りください」
息も絶え絶えに黒服がその言葉を唱えると、二人は強烈な光に包まれた。
〽
そういえば、君に教えられた時があった
目下で本当は何が起こっているのかを
だが、もう君は私の前に姿を現さなくなった、違うかい
私が喜びを覚えた時のことを思い出させ
聖なる鳩は飛び立ち
私たちから出た息吹すべては神を讃えるものだったのである
ハレルヤ、主に感謝し、喜びと賛美を
やがて二人は光に包まれ、次第に姿を消した。
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