第26話 ディーンの策
ディーンは目を開けた。
「ねえ、来たよ」
がぼがぼと口を動かし、呪文でテレパシーを送る。エネ大王はすぐには応答しない。彼は自身の相手のペースに乱されることを嫌っていた。交渉に置いて一番重要なのは、相手にいかに自分のペースに引き込むかであることを彼は心得ている。
エネ大王は今まで圧倒的な力を持って他者と接してきた。それは往々にして、いや、ほとんどの場合において有利に運んだ。彼は今までずっと強気で他者に臨んできたし、ほとんどの他者は彼の要件をすんなり飲み込んだ。ただ一人。、彼の愛しい一人娘、レメディオスを連れて行ったティム・オータスを除いては。
「ねえ、だから、そこ、どげてっっっっってばああああああああああああああああああ」
声の主はどんどんと近づいてきて、気づいた時には、ついぞエネの真上、頭上から本の数ミリのところにいた。わずかに彼の頭をディーンの頭がかすめたが、幸い彼は間一髪でそれを躱した。
「申し訳ございません、勢い余ってコントロールが効かなかったんです」とディーンは言った。彼は呪文で、自身の身体に息のできる盾を張った。
「まあいい、次から……」と大王が言いかけたその時、
「お、わりい」また頭上からシリウスが来た。またもや運よく彼は機転を利かせて躱すことができたが、一瞬でも足を動かすのが遅かったら、確実にぶつかっていただろう。
「わりいわりい……俺、これ慣れないよ。いっくら呪文があるっていっても、やあっぱ息苦しいって。ヒト型を保っているだけで結構疲れるしさ」シリウスがけだるく言う。
「誰だ貴様は」大王が内心はらわた煮えくりかえるのも無理はなかった。
「ディーンの育ての親で……(一瞬シリウスは考えるよう真上を見た)、ティムの悪友です。以後お見知りおきを」
「ふん、ティムの周りの人間には碌な奴がおらん」
「まあ、そうですね。あなたの娘さんを除いては」
「まあ、そうですね」ディーンも納得した。
「認めるのか、まあよい。それで、レメはどこだ」
「母さんは今城の水槽の中にいます。僕と昨日、水槽を隔てて寝ました。歌を歌ってくれて。母さんは僕のことを覚えていてくれた。水槽越しだけど、抱きしめてくれた。僕が初めて受け取った種類のものだった。それを僕はあなたにあげることはできる。僕の記憶と引き換えに」
「見せてくれるのか」
「勿論差し上げます。あなたがお望みならば。それであなたのお気持ちが鎮まるならば」
「しかし儂は本物のレメディオスを連れてこいと言ったはずが」
「彼女はこの湖と同じ水を含んだ水槽の中にいます。彼女がここに実際に移動するとなれば、どう少なく見積もっても一週間以上かかるのです。肉体をもここに移動させるならば、の話ですが」
「というと?」
「魂だけ彼女をここに呼ばせることはできます。勿論一か八かの賭けになります。魂が再び母さんの肉体に戻ることができず、一生魂のままこの世をさまようことになるかもしれない。もちろん、その時は僕の魂もどうなるかはわかりませんが……つまり、一時的に僕の肉体を借りて彼女を呼び出すことはできます」
「そんなことは可能なのか」
「理論上は可能です。でも僕はやったことがありません。ティム様やキッシンジャー様ほどの人間なら、やれないこともないかもしれない。けれど、キッシンジャー様は現在魂を本に定着しておりまして、肉体自体はこの世から既に亡くなっているのです。また、ティム様はこの国を統べる者として重要な立ち位置にいます。万が一この実験に失敗したとしたときに、リスクが大きすぎます。おそらくこの国で現在、母さんの、レメディオス様の魂を肉体に貸すことができるのは僕しかいません」
「ふむ……それでは、お主が呪文で一時的に肉体を放棄し、レメディオスの魂を入れるということか?」
「そうなります」
「その時お前の魂はどこにいるんだ?」
「この世のどこかですね。もちろん一時的に何かに定着させてもいいですけど、その場合、また肉体に戻すときに反動が来ると思うので、この世を彷徨っている方がいいでしょう」
「お前の肉体から魂が剥がれた後に、レメディオスがお前の体に入らない可能性は?」
「もちろんあり得ます。ただ、僕は彼女の血を分けている唯一の人間だ。僕の肉体と母さんの魂は他の肉体より連結するはずだ……。もちろん推測にすぎませんが」
「なるほど……」
「勿論これは賭けです。これはどうしてもあなたがレメ様と『今』対話したいと仰った場合の最終手段です。僕としては、母さんの魂がこの世のどこかに行ってしまうリスクを冒すくらいなら、僕が初めて母さんからもらった記憶のエネルギーを貴方に渡して手放してしまう方がいい。すべては大王様次第だ」
「記憶なら、俺にもある」とシリウスが口を開いた。ディーンもエネも、ついでに人形の振りをしているワールテローをも、彼の方を一斉に振り向いた。
「俺とティムは正直言ってレメディオス様に惚れていた。研究対象としても、異性としても……」
「義父さん、」
「正直に言う。ジャンの母親はおそらく、いやそうとしか考えられないのだが、レメディオス様だ。だが俺はレメディオス様との子を産んでいる」
「え?」「え?」ディーンもエネ大王も思わず声を出していた。
「俺自身にも実ははっきりわからないのだ。というのも、レメディオス様と俺は性交渉をしたことはない。ジャンは……俺の息子だが、ディーンと同じ、シャーレの中から生まれた。ディーン、お前はおそらく、ティムの精子とレメディオス様の卵子を人工的に受精させてできた子供だ。もちろんあくまで俺の予測にしかすぎないが、な。一方ジャンの場合は少し違う。俺の幹細胞……つまりこれからどんなものにでもなれる細胞ってことだが……と彼女の幹細胞を育て、人工的につなぎ合わせたのがジャンだ。あいつの髪が黒く俺に似ているのは、ほぼ俺の細胞を使っているからだろうな。むろんそんなことでヒトになり得るのかというと、俺自身驚いている。俺とティムは学生時代に夢見た『ラヴを合成する人間を作る』と言う夢の一つを、別々の方法で叶えていたわけだ。もちろんそれがどんなことかも知らずに……」
「義父さん」
「愚かだ……非常に愚かな話じゃないか……。昔レメの一族をエネルギー資源として根絶やしにしたのは、お前たち人間だろうが」エネはどすの利いた声でシリウスに吠えた。
「勿論ラヴを使うために人類はあの一族を利用した。歴史は隠しているが、俺は知っている。今でも暗号として残っている。キッシンジャーが強力な暗号で歴史書を書き換え、誰かが真実に届くようにとそっと隠した。俺は知っている。俺は暗号の一部を解いたからな」シリウスも吠えた。湖の水面が大きく揺れる。
「キッシンジャーは歴史も、この国のエネルギーの成り立ちも知っている。故に彼は本に姿を変えられた。俺だってそうだ。倫理的に問題のある実験を行った罪で、俺は鳩に変えられた。俺はずっと鳩になって、ジャンを支え、ディーンを手放し、なんとかここまでやってきた。
それでも俺の!! 俺のジャンは!! 死んだ!! 自ら生をなげうった!! 頭もよく、将来を渇望された若い人望のある唯一の俺の息子!! ジャン!! ジャン!! 死んじまった!!!!!ジャンは!! 死んじまった!! 俺の唯一の生きる希望…………」
シリウスの言葉は途切れた。彼は膝真づき、声を出して泣いた。さすがにエネ大王も固く口を結び、何も言えなかった。ディーンも肩を振るわせ、耐えかねたように声を押し殺して泣いた。
「お前は……レメディオスを愛していたのか?」エネ大王は優しくシリウスに問いかけた。今までディーンが聞いた中で、一番甘い問いかけだった。
「勿論」
「そうか。ならばお主にも、レメの記憶はあるわけだな?」
「俺はティムと一緒の研究室にいた。一緒にラヴを合成する研究をして、一緒にレメディオス様を発見し、一緒にレメディオス様を口説いた。最も、あいつは俺よりもはるかにうまくやったけどな」
「そうか……それならば」エネ大王は決めたようだった。
「お主とディーン、お前たちの記憶を儂によこすがよい。本物は一週間後にまた連れてこい」
「お望みならば最高の箱を作りますよ。どんな箱にしましょうか。蓮の花をあしらってあげましょう」
シリウスの頬は涙に濡れたままだった。
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