9節

「おはようございます。本日もお世話になります」

 書き物をしていた福寿さんが振り向いて、三つ指をついて出迎える。利用客でもないのにむずむずする。客なのはむしろ修理を頼む店のほうだ。

 狭い部屋に二人きり。こうした状況で何を話したものか、あるいは話さないでもよいのか。考えあぐねている間に福寿さんが立ち上がり、羽織っていた打ち掛けを搬器と反対の側に置いてある衣桁いこうにかけた。

「冷める前にいただきましょう」

「そうですね」

 食事が始まってしまえば、話のために口を開かなくてもよくなる。まさか食べながら話せる口もあるまい。食べ終えたらすぐ仕事にとりかかればよい。

 漆塗りの箸に手を取っていただきますと唱和して、汁物から口につけた。前にあった梅干しはなく、代わりに小魚の佃煮がついている。やはりご飯には甘辛いものがあう。酸っぱいのはいけない。

 会話がないとなれば、また別の問題が生じる。膳を挟んで福寿さんと正対しているので、目のやり場に困ってしまうのだ。用もなしに人を見るのも見られるのも苦手だ。それに無言でいれば目線が強調される気がする。彼女をあまり捉えないよう、飯を口に運んで、目を鋼索通信の方へ向ける。

 搬器を納める窪みの上部は絞りがついていて、花頭窓状になっている。鋼索通信の搬器を通す十分な大きささえ取っていればいいので、形状は意匠上のものにすぎない。当時の施行者が内装にあうようにしたのだろう。

 目を反対に向けると福寿さんが先ほど脱いだ打ち掛けがかかっている。

 白地の衣装にはところどころに黄色い花が刺繍されている。それが福寿草だと気づくのに時間はかからなかった。おそらくは、彼女の名前の由来。福寿草はまだ雪が解けないうちから深い黄色の花を咲かせる。雪を割って咲くのか雪の薄いところに咲くのか。打ち掛けには花の他に、ぽつぽつと黒い小さな斑点も刺繍されていた。小動物の足跡を意図したものだろう。白地を雪に見立てているのだ。

 ぼんやりと見ていたものだから、箸が止まっていた。

「お口にあいませんでしたか?」

「いえ少し考え事を」

 福寿さんに問われ、私は慌てて飯をかきこむ。

「手が止まるほどの考え事、学校のことですか、それとも――い人のことだったり?」

 かきこんだ飯でむせそうになり、温い茶をぐいっと一気にあおった。

「あらごめんなさい、そんなに驚くなんて思いもよりませんでした」

 口元に手を当ててうつむく福寿さんはどこか子供じみていた。いいようにからかわれているのかもしれない。私は矛先を逸らすべく、文机に所狭しと載った紙の束を指さす。部屋に入った時、福寿さんは机に向かってなにかを熱心に書きつけていた。

「それは鋼索通信で送るものですか?」

「これは……、まあそんなところかもしれません」

 なんだか曖昧あいまいな言い方だ。話題にしたくないものだったかもしれない。適当に切りだしたとはいえ、そのまま続けていいものか迷っていると、先に福寿さんが口を開いた。

「向かいの子も古い機械のためにわたしに付き合わされて、大変なものです」

「あまり乗り気ではないんですか?」

「愚痴が書かれていた試しはありません。律儀に毎回なにかしらをつづって送ってきますよ」

「顔を合わせても何も言い合わない?」

 すると福寿さんは少し目を丸くした。

「顔を合わせたことはないですよ。鋼索通信を介した仲ですから」

 今度は私が目を丸くする番だった。顔を知らないとは、文通相手のようなものだろうか。

「わたし達は易々と外へ出られない身なんですよ。出られる時があるすれば、年季が明けたときか落籍ひかれたときか、年に数度の紋日のときぐらいです」

 私は迂闊な質問をしてしまったようだ。福寿さんは少し熱のこもった調子で、店の女が置かれた立場を口にする。

「鋼索通信を使えば店にいながら連絡ができるわけですね」

「搬器というのでしたか、箱ごとに送り先は固定されていますけれどね」

「しかしいまはその鋼索通信がなくなりつつあるそうですが……」

「いまは町内であれば、文使いをって自由にやり取りができます。ただそれは鋼索通信よりも前の時代と同じやり方に戻っただけみたいですよ。機械から人手になったので、見た目には後退と映るかもしれません」

 人から機械へ。科学的にも文明的にもそれを指して発展と呼べるのであろうが、まれに機械から人へと後戻りしてしまう事例もある。簡単な話、機械の維持費より人件費のほうが安く上がるからという理由だ。鋼索通信もその例なのだろう。現に吉永さんが同じ指摘をしていた。

「もっとも、鋼索通信があって、楼主がそれにまだ見世物としての価値を見いだしている店では、わたしたちが腹の中でどう思っていても、実際に毎日使って見世物として動かさないといけないのです」

「少なくなったから、かえって珍しくなったと吉永さんも言っていました」

「あの男は番頭だから店の肩を持つでしょう。使わされる側の立場なんて二の次ですよ。修理屋のあなたはどう思いますか? こんな古くて故障しやすい機械に付き合わされて」

「僕はまだ二度目ですからなんとも。しかも前回は先輩がいましたから、今回が実質的な初めてですよ」

 明確な回答を避ける。それが彼女の期待にう返事ではないのはわかっている。しかしこちらも仕事を請ける身だ。発注元の事情にとても口出しはできない。

「そうですよね」

 福寿さんも、こちらのはっきりしない返答を予期していたように言う。

「向かいのお相手の心中はわからないような言い方をされましたが、福寿さんご自身はあまり望んでいないのですか?」

「やり取りしたい気分の時や相手、そうじゃない時や相手、いろいろあるでしょう。しんどいって思う時も少なくありません。早いところなくなりゃ楽になれるのに、と思ったことだって何度もありますよ」

 自分で聞いておきながら、私は気の利いた言葉を返せなかった。

 そもそも彼女がどう望んでいるかを聞いたのが失錯。私は機関調律師で、この店には鋼索通信を修理するために来ているのだ。言ってしまえば彼女の望みを拒絶するために働いているようなものである。

 〇鉢屋の仕事を請けているからには、その方針に反する彼女の望みには賛意を示しづらい。鋼索通信がなくなればいいと思っているかどうか、という修理の如何いかんを超えた立場での考えの表明など僭越もいいところである。

 かといって個人的な立場でものを言えるほど、花街の事情に通じているわけでもなし、福寿さんと特別に親しくなったと感じているわけでもなし。いまのように返答に窮してしまうのが関の山だ。

「あなたが正直だというのはわかりました」

「そんなことは……、気が利かないだけです」

「その場限りで耳障りのいいお追従ついしょうを言うよりかは好ましいですよ。修理する身のあなたに向かって、鋼索通信がなくなりゃいいなんていっても仕方がありませんものね。不平を聞かせてすいませんでした」

 こちらの心中をお見通しの福寿さん。この人は相当に聡い。

「あなたはあの子に、わたしとやり取りをしている向かいの店の子に似ています。あの子だって、バカ正直に文を送らなくてもいいのに……」

「どういうことですか?」

 鋼索通信を動かすため、半ば強いられる形でやり取りしないといけないのではなかったか。そこには正直も偽りもないはずだ。

「空箱のまま送り出してやればいいんですよ。番頭もいちいち箱の中身まであらためはしません。それをいつも律儀に中身を入れて返すのですから、やっぱりバカ正直なんですよ」

 あっけらかんと言われて、そういう方法もあるのだと私は感心した。外から見て箱が動いてさえいれば、中身の有無は関係ないのだ。

 なるほどそれに気づかない私は福寿さんからすれば正直、それもバカがつく類なのだろう。

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