10節
「見学していいですか?」
修理の段取りになって福寿さんが見学の許可を求めてきた。
「気が散るようなことをされないのであれば……、大丈夫、だと思います」
はっきりしない返事になったのは、ことさら人目にさらされながら作業をした経験がほとんどないので、私としてもどうなるかは不明だからだ。よいとも駄目とも言いきれない。
学校の演習授業では、何度か人前で腕前を披露はしたけれども、それはあくまで人前での演習を前提としたもので勝手が違う。
また学外でこれと同じように仕事で修理をしたこともあるものの、それとて先方が気をきかせて一人にしてくれたり、あるいは存在を意識されないでいたりして、このように見られるという状況はなかった。
緊張するようならばしっかりお断りしよう。福寿さんからそこはかとなく感じ取れる優しさに、断っても嫌な顔はされないだろうという、甘えと打算がなかったとは言いきれない。
「珍しいからって一人で騒いだりはしませんよ」
福寿さんはおかしそうに言う。相変わらず見透かしているのか、口調そのままに面白おかしく言っているのかは判別がつかない。
「わかりました。ところで故障というのは、どの段階で気づいたのですか? 故障前に機械の調子が悪かったり、おかしなことがあったりはしませんでしたか?」
まずは故障箇所を発見しなければならない。探り方は色々あるが、まず日常的な使用者に質問するのが妥当なところだ。真砂先輩がしていたように、普段の使用者である福寿さんに簡単な質問を投げかける。
機械に不審な点がなかったか。普段と違って具合が悪くなかったか。無茶な使い方をしなかったか。どういう時に止まったのか、あるいはいつ止まったのか。
しかし先に言っておけば、これで目途がつく例は多くない。修理を依頼する人は機械に詳しくない。不審な点や普段と異なる点を見抜けないから、故障を招いて修理を頼むのだし、機械にとって無茶かそうでないかの線引きも、よほど乱暴に扱った心当たりがなければそれとわからないものだ。調子の悪い機械に苛々して八つ当たりする福寿さんの姿は想像できない。
聞いても無駄とばかりに、いきなり特定から始める人もいるぐらいだ。
福寿さんが、もっといえば〇鉢屋の人々が機械に疎いのはわかっている。にもかかわらず、なぜ私は彼女に質問するのか。
それをはっきり言い表すのは難しい。取りかかるにあたってあらかじめ問診して、そこから手順や方法を洞察していく。理由としてはそうなるのだろうが、目途がつく確率が低いのでは合理的とはいえない。
問いはむしろ感情的な側面が強い。
各家庭にあるような広く世間一般の人々が扱う機械は、機械に明るくない人々による日常的な使用に堪えられるように設計されている。人々に馴染めるように作られているともいえる。鋼索通信は一般家庭にはない特殊な装置であるが、それとて日常の使用者は福寿さんのような人たちで、設計の主眼は同じだろう。そうした機械がおかしくなってしまうというのは、機械と人の関係がずれてしまったからではないか……。もっと言えば、そうした機械と人との間に生じたずれを埋めていくのが、機関調律師の役割ではないか。そんなふうにさえ考えているのだ。
誇大である。身の丈に合っているとはとうてい言えまい。もっともそれとて、そうはっきり考えているわけではないのだ。豊富とは言いきれないこれまでの経験の中で、漠然とそのように捉えているだけである。頭に『現時点における考えとして』と断りをつけなければならない。これから考えが変わる可能性も十分にある。その修正を期待して臨時の雇いを請けているのかもしれない。
いずれにせよ、まだ誰にも打ち明けない秘めた考えだ。
他の機関調律師がどう考えて修理を行っているのかは知らない、と付け加えておこう。
「故障なんですが、動くには動くのです。台座は上がるのですが、搬器が向こうに送られなくなったのです。台座が降りてきても、ずっとこちら側に残ったままでして」
「台座は上まで動くのに、搬器がこちらから送り出せなくなったんですか?」
私の確認に福寿さんが首を縦に振る。
「わかりました。とりあえず見てみましょう」
台座を見てすぐに原因らしきものがわかった。いや、機関調律をかじっていなくても目途はついただろう。
「福寿さん、これではさすがに」
「はい?」
「搬器の蓋が閉まりきっていません」
「だめ、でしたか?」
「はい、だめですね」
乱れ箱を取りだすと、支えを失った蓋がすとんと落ちた。
「蓋が開いていると上から送り出す時に、蓋が出口に引っかかって搬器が出て行かないんですよ」
「蓋が開いたまま送り出さない仕組みになっているんですね」
「そうです。てっぺんまで行って台座を傾けた際に、中に入れたものが開いた蓋からずり落ちて、表の通りや台座の上に中身を散乱させないためです」
「安全のためなんですね。確かに中身がこぼれて、通りを行く人にぶつかったら事ですね」
蓋が閉まらないで動かないのならば、蓋が閉まった状態でも動作しないのか試してみればよいではないか。それで動けば原因は推測できるだろうから、店のほうでも私を呼ばず、給金を支払わなくても済んだであろうに。それを試しもしないとあって、いまや彼女と〇鉢屋の面々がどれだけ機械に疎いのかがよくわかった。
先輩直伝の修理メモを見ていても、機械の故障というよりも、こうした人為的な失敗のほうが多いようだ。店の人が故障といっているのは、大半が機械への無理解と、ややこしいものという先入観から来るものだ。見当がつかないから機械に原因を求めてしまう。これでは病気になった人を、
一方で機械は難しいという先入観ゆえ、修理に従事する先輩や私に全幅の信頼を置いてくれてもいるようだ。しかしそうした態度にあぐらをかいているのでは、無知につけこんで金をせびる悪徳業者のようで決まりが悪い。先輩はそうではなかったようだが。
「もうすっかり動くのでしょうか?」
「おそらくは。ですが本当に蓋だけが原因であったのかはわかりません」
「他にも何か不味いことをしでかしていたでしょうか?」
「それを見るのが点検ですよ」
もしかしたら別の箇所にも不具合、あるいはその兆候が発生しているかもしれない。手抜かりがあっては私としても面白くないし、それで店にいたずらな出金を強いるのも心苦しい。やはり店の者に簡単な点検や保守の方法を教えるのが、結果的に安くあがるのではないかとも思う。
吉永さんに提案してみるのも悪くはないだろう。店の人たちにはもう少し機械に対する理解があってもよいだろう。
点検通路まで見たが異常な点はなく、結果的に蓋が原因であったと特定できた。竃に火を入れてもらい、時間に相当の余裕があったので店で鋼索通信の稼働を見ていくことにした。
福寿さんが文机の横の操作レバーを下ろす。くぼみの向こうから重い駆動音が聞こえてくる。台座がゆっくりとせりあがっていく。窪みからうっすらと湯気が漏れてきた。点検通路内の蒸気が冷えたものだろう。部屋が少し蒸れた心地がする。
駆動音が止む。台座が上に達したのだ。ほどなくして、一筆を納めた搬器が中空を滑っていく。シャァァ、というかすかな擦過音をたてながら、搬器は向かいの店へと消えた。福寿さんの部屋からその様子を見ていた私は、またくぼみに目を向ける。やがてゆっくりと、音もなく台座が下がってきた。
「向かいのお店もよく故障するのでしょうか」
「そういう話は聞かないですね。もし故障していれば、あの子がそれを書かないわけがありませんから」
福寿さんも降りてきた台座を熱心に見ている。眇められた右目ばかりではなく、左目も細めて何事か考えこんでいる様子だ。
「どうかされましたか?」
「昔の事故は与太だったのかもしれない、と思ったのです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます