17節
うまく考えがまとまらないまま、吉永さんに伴われて炊事場まで降りてきた。部下に竃の火を入れるよう指示を出した吉永さんは、そのまま私を裏庭へと連れ出した。
福寿さんが抱えていた空っぽの鉢が、縁台の上にぽつんと置かれていた。
裏庭へ入るのは今日だけでもう三度目だ。
「店ん中は誰が聞き耳を立てているかわかりゃしません」
吉永さんは私を連れ出した理由を口にした。裏庭を見回す私がなぜここに連れて来たか疑問に思っているように見えたのだろう。吉永さんは空の鉢をひょいと脇によけて座り、こちらにも座るよう促す。私も向かい合う縁台に腰を落とした。
「福寿が恨み言を吐いてたみたいですね。あれも困った女でしてね、昔に囚われすぎているのですよ。自分を鉢の花と言ったり籠の鳥と言ったりして、失意の淵で漂う不幸ごっこをしている。地面に咲こうが鉢に咲こうが、花は花でしょうに」
私はぎょっとした。そしてすぐに、彼が言う聞き耳の意味を理解する。確かに店の中では話を聞かれてしまうのだと。それは吉永さんが、福寿さんがわざと〝故障〟に導いた事実をもすでに知り得ている可能性を示していた。彼女がそれを私に明かしたということも。その上で彼女が、どういう方法でやったかという言明を避けたのは、人に聞かれている可能性を考慮したからかもしれない。いずれにせよ吉永さんがどこまで知っているは不明だ。私と福寿さんのさっきのやり取りを廊下で聞いていたのか、それよりも前から福寿さんの事情を知っていたのか。
「本題の前に故障について話したいことがありまして……」
「どうぞ話してください」
「まず今回の故障についてなんですが、機械に原因があったというよりも、どうもたまたま落ちた簪が機械に巻き込まれていたみたいなんです」
故意ではなく過失。考えがまとまりきらないまま喋りながら、自分はどうやらそういう方向性に持っていきたいらしいぞ、と気付く。福寿さんは鋼索通信が壊れてしまえばいいと感じているのは確からしい。けれど打ち壊しのように積極な行動に打って出たとまでは
また別の観点からすれば、私が逃げを打ったとも言える。自分の任務はあくまで修理で、その原因について探りはするけれど、それより先の福寿さんの事情は修理とは関係がないので、私は見解を述べられない。あとは店の内々の問題だ。深くかかわる気はない。そんなふうに。
正解がない中、機関調律師としての立場を考えれば、妥当な線ではないかと思う。福寿さん自身も私に期待などしているふうではなかった。働きかけは僭越もいいところである。といって店に何も言わないのも、雇い主に対して不誠実である。
釈然としない点があるとするならば、私が決然と選べなかったことだ。結局これはどっちつかずの傍観である。決めあぐねながら話しているうちに、なんとはなしにその方に落ち着いてしまった。
「前回に関しては蓋の閉め忘れという、私からすれば故障とは言いきれない原因でした」
「このままでいくと、鋼索通信は今後も故障――あなたがそれを故障と言いきれるかは別ですが、我々からすれば故障と呼ぶに値する事態が発生すると思いますか?」
またしても私はぎょっとした。吉永さんの質問は福寿さん込みで聞いているように取れたからだ。とっくに彼女の言動は織り込み済みで、私の回答次第でその扱いを決しようというのかもしれない。彼女を別の部屋に移す処遇でもって応じるとか、鋼索通信への損失を理由に年季を延長するとか。私が今後も故障する見込みがあると答えた上でならば、処遇の変更は店の独断ではなくて、専門家の助言に基づいたものとの理屈も立つ。
私はしばらく迷っていたが、
「十二分に起こり得ると思います」
正直に話すとだけは決めていたので、所見を偽りなく披露する。はっきり聞かれたことに対して嘘はつけない。
「真砂先輩のころからちょくちょく故障していたそうですから、修理者が僕に代わってぴたりと止まる道理はないと思われます」
「
「それはいったいどういう……」
吉永さんの真意をつかみかねた。
「なにも変わりなく今まで通りで、ということです。仮に修理中にあの子がなにか言っても、適当に聞き流してやってくれればそれで構いません。どうせただの恨み言なのですから。ただ修理だけに務めて、暇があれば話でも聞いてくださればそれでいいのです」
ぴんと来た。吉永さんは福寿さんによる〝故障〟を織り込んだ上で私に頼んでいるのだ。
当初予定していた保守云々どころではなくなった。もはや機関調律というよりかは、福寿さんの話し相手だ。あんまりに侮られている気がした。こんなことのために仕事を請けたのではない。
吉永さんをじっと見つめる。彼は私の視線を正面から受け止めて、いたずらな弁明も責任逃れの釈明も用いなかった。ただ私を見つめ返す。
実をいうと私自身の視線には、大した力など込められていない。
侮られているとは感じたものの、それを怒りで返せばいいのか、嘲りで返せばいいのか、ともかく取りうる方法を見いだせなかったからだ。相手もそれを見抜いていたから、弁明で怒りを注ぎもしなかったし、釈明で嘲りを受けようともしなかった。彼のほうが年上だし、ましてや妓楼の番頭をやっているぐらいなのだから、こうした盤面における機微の駆け引きは私よりはるかに長けている。
「部屋を取り替えるなど、そうした措置を講じる気はおありですか?」
先ほどの、福寿さんへの処遇の変化を憂える私の心持ちとはあべこべな質問であるが、向こうにそんな気がないと予測しえたからこそ、聞けたことでもある。
「他に空きが出るか、福寿の売り上げが下がればそうなる可能性もあります。が、いまのところはまったく。それにあの子もときどき故障する鋼索通信を見て溜飲を下げているようですから。部屋を変えるとかえって何をしでかすかわかりません」
番頭の方針は決まっていた。現状維持。雇い主がそうであるのならば、交渉など無意味だ。請ける身としては受諾か拒否かの二択しかない。
「次は必ず請けるものとして、そこから先は次までに考えさせてもらう、というのは可能ですか」
「構いませんよ」
どれを採れば自分が納得できるのか、じっくりと考える時間がほしかった。果たして次も福寿さんに合わせる顔を作れるのか、という不安もあった。
「番頭ぅ、十分に火が焚けました」と炊事場から従業員が顔を出す。
吉永さんが、「わかった。福寿に伝えておいてくれ」と答えて立ち上がりながら、
「もう動くと思いますか?」
「おそらくは」
「なら安心です。お話も済んだようですので、表までお送りします」
通りへ出ると、吉永さんがふと上空を示す。
見上げれば搬器が静かに滑空していた。その影が私の顔をさっと横切り、箱ごと向かいの店へ没した。
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