16節

「どうして故障したのかを説明するのは難しくありません。ですが、なぜそうしたのかという事情は、解ってもらえないと思いますし、解ってほしいとも思っていません。なにぶんわたしの身の上話に絡みますので、そこまで打ち明けたくもありませんから」

 福寿さんははっきりと線引きを示す。他人に入ってきてほしくない領域は誰にでもあるものだ。ましてやこれは事件ではないのだから、彼女に全てを明かす必要はなく、こちらにも全貌を解明する権利がない。これからなされる告白は、これまでした彼女との会話の延長線上にあるものにすぎないのだ。

 私は理解を示すべく何度か首を縦に振ってうなずいた。

 文机に背をあずけて座る彼女は、いつも私の前でしている正座や女座りではなく、腿と膝を曲げた三角座りであった。着物の裾から紅絹もみ襦袢じゅばんと白いかかとがはみ出ている。

「鋼索通信がそのまま使い物にならなくなればいい、そう思っているからですよ」

「好ましく思っていないんですね。強制的に相手が限定されるからですか?」

 福寿さんが鋼索通信を歓迎していないのは、以前の会話からもうかがえていた。

「それほど現実的な理由ではありません」

「現実的ではない理由ですか。想像がつきません」

「嫌いなんです。この鋼索通信という機械が」

 福寿さんは壁のくぼみを見て、そこから搬器の動きをたどるように屋根、通りに面した窓へと視線をめぐらせた。

「わたしが嫌っているのは、この機械が同じところを往ったり来たりするからです。くびきでも嵌められたかのように、決まった道を疑いもせずに、人に動かされるまま……、それが嫌なんですよ。いいえ、憎いと言ってもいいでしょう」

「お心は察しきれませんが、その行ったり来たりが鋼索通信という機械の在り方です」

「でしょうね。結局は鉢の花と同じ」

 窓に向けていた福寿さんの視線は行き場を失ってさ迷う。彼女は力なくうなだれた。そうして声音もぐっと沈んだ調子になって、

「花は自分で咲く場所を選べないし、どこにも行けやしないさ、いわんやもとの場所から移し替えられてきた花においてをや……」

 妓楼という囲いの中で生きる境遇に、彼女は嫌気がさしているのだろう。そこいらの理由が、打ち明けたくないという身の上に絡む部分なのかもしれない。福寿さんは己の境遇を受け入れられていないのだ。ただ彼女自身が私に解ってもらう気がないという通り、彼女が漏らすのは断片的な情報でしかない。蓮っ葉な口調は独り言と同じだ。

 そこから福寿さんの内面を読み取るのは不可能だし、そもそも読み取ろうというのが身の程知らずであろう。また仮に読み取ったところで私になにができよう。なにかをしようというのもやはり身の程知らずな行いである。

 咲く場所を選べない花ならば、そこで咲き誇るしかないのではないか。咲けない花だって世の中にはあるのだ。咲けるだけ花としては恵まれているのでは。そんな考えが浮かんだものの、喉にさえ出させなかった。

 人は機械と違う。第三者が点検や修理などに関わるべきではない。それができるのは自分自身か、さもなくば信頼を寄せて心を預けられる相手だ。少なくとも私ではない。

 好奇心から半端に追及してしまった私は、己の態度にただただ恥じ入るばかりであった。

 どれだけ二人して沈黙していたか。

 ずいぶんと長い時間が経った気がする中、福寿さんが口を開いた。

「理由は解っていただけだと思います。しかしそうなった事情をあなたに向かって嘆いてみせても仕方がありません。変な話で暗くさせてしまいましたね、すいません。先ほど申しました通り、説明はできても解ってもらう気もありませんので」

 ぱっと顔を上げた福寿さんの表情は、特に普段と変わりなかった。沈みこんでいた面影も声音も消えている。気分をさっぱり切り替えたのだろう。私だけがまだ引きずられたままで、「はあ」と呆けたようにうなずくばかりであった。

 そのとき背後の扉が勢いよく開いた。振り向くと吉永さんが立っている。

「こちらにいらっしゃいましたか」

 福寿さんと私が正対して座っていたのを不思議そうに見ながら言う。

「先ほど戻ったのですが、食堂や裏庭にお見えにならなかったものですから。修理はもう少し時間がかかりそうですか?」

「それならいま済んだところだよ」

「まだ動作確認をしていませんが、おそらく直ったかと思います」

 福寿さんと私はほぼ同時に答えていた。

「では竃に火を入れさせて、その間に例の件について話しましょう。話している間に動作を確認できる頃合いになるでしょう」

 私は無言でうなずきながら、ちらりと福寿さんを見る。

「そうしてください。わたしが引き止めていても悪いですし」

「二人でなにか話しこんでいたみたいですね」

「客やあんたに聞かせられないことをちょっとね」

「お邪魔をしたかもしれません」

「わたしから解放されるのですから、かえってほっとしているんじゃないですか」

 そう言って福寿さんは私を送り出す。こうしてあいさつもなく彼女とは別れた。

 別れ際の彼女の表情からは何もうかがえなかった。そのために私は、福寿さんの話をどう扱えばいいか考えあぐねる。全てをうやむやにしていいのだろうか。

 吉永さんは私の雇主だ。福寿さんが鋼索通信にちょっかいをかけて〝故障〟させていたのが原因だとすれば、それに関しては報告をあげた方がよいだろう。詳細はようとして不明であるものの、彼女はなにかのっぴきならない事情を秘めているようだ。

 彼女が壊していた、とだけ伝えてしまっては一方的な悪者になってしまうし、番頭である吉永さんの心象も悪化するのが目に見えている。そうなれば担当教授に嫌われるようなもので、結果として店での福寿さんの居心地や立場をも悪くさせてしまいかねない。そうなっては私も目覚めが悪い。彼女がどうなるかは私の話し方にかかっている気がしたのだ。

 報告しない手もあるにはある。真砂先輩はこの手を用いていたことになる。おそらくあの人は、妓楼の女である福寿さんの心理を推し量り、あえて追求しないで何も知らないような態度を取っていたのだろう。

 ただし私にその手は使えない。数度は意図的な〝故障〟を導き、かつ鋼索通信が憎いとまで言った彼女の言葉を聞いてしまったからだ。聞き知って黙っているのは、雇い主に対する道義上の問題がある。雇われの身が仕事上で得た情報を雇い主に故意に伝えない。そんな道理がどこにあるだろう。

 目覚めの良さか道理か。それは感情か理性かと問われているようでもある。

 当事者ではないのだから、知った事実を全て話してしまえばいい。理性だけで判ずるならばそうかもしれない。しかし鋼索通信が憎いという福寿さんの声を思い出すと、一概に理性だけで押し切るのもはばかられる。

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