第4話 トランペットの松井さん

 またまた昼休み、年も明けたとても寒い昼休み、小西が俺を屋上に呼び出した。頼むから屋上はやめてほしいとお願いしたのに。

 

「青春の始まりは屋上からだ」

 と頭のおか、よくわからないことを小西は笑ってさわやかに言っている。その笑顔を見た同級生は黄色い悲鳴をあげているが、少しはこっちの気持ちを考えてくれ。


「時代は松井さんだぜ」


 少し前まで三原さんに夢中だった小西の信用度はゼロだった。


「小西さ。三原さんはいいのか?」

 にこやかに晴れやかに松井さんの事を話していた小西の顔に陰が差した。


 しばらくの無言の後、予想の範囲内の言葉が返ってきた。

「三原はクソだ。あんな女のことは好きになってなんかない」

 


 もう既に小西の中で、三原さんは『さん付け』するほどの価値すらないらしい。


 小西の言葉の裏には尻軽といった言葉が渦巻いているに違いない。


 それで松井さんにいったったと。

 



 松井さんは三原さんと同じ吹奏楽部にいる俺の先輩だ。

 三原さんと違って非活動的な松井さんは自分のペースでこなす人で、部内では美しさに敬意を込めて『姫』と呼ばれている。


 松井さんは美人で部外でもファンは多数いる。

 三原さんと違って男の影が全く無く、それ故に女性ファンも多いのが特徴だ。


 ただ、非活動的なのだ。

 三原さんがテキパキと作業をこなすのとは対称的に松井さんは良く言ってのんびりさん。

 悪く言うつもりは無いが、適切な言葉があるとすれば、寄り道さんなのだ。


 上手いのに目の覚めるようなソロを吹くのに、部活には来ない。


 いつも部活前に図書室で詩や本を読んでいる。

 他の先輩方が呼びに来ても無視して追い返し、やっとお話のキリのいいとこで本を置き部室にやってくる。


 だから出る練習は合奏だけで、個人練やパート練には出ない。


 そんなことをやっていると妬まれそうなものだ。

 なんたって吹奏楽は連携プレーで、一人が欠けるだけでもダメだ。

 と言われがちだ。


 それを一つの合奏で松井さんはひっくり返してしまう。


 透明感があり、尚且つ指揮者の意図をくみ取った緻密なソロ、その音は他の演奏者を虜にさせ、ミスも無ければ、たとえミスをしても他で盛り返してくる。


 そしてそんなすごいソロをやり終えた後、必ずいない観客に礼をするのだ。それが松井さんの人気の理由だ。



 いわゆる別格の天才。



「なぁ、頼むよ。あれでいいから、そのラインだけでもいいからさ」

 小西にそんなことを言われても、別格の天才と話すのに他の先輩が苦労しているのに、俺がなんとか出来るわけがない。


「それは無理だ。松井さんとそもそも話せないし」


「あー、小路でもダメか。お近づきになりたかったな。これは独り言だけど、そういえば小路は英語が苦手だった。と」

 それを言われて、小西の意図が分かった。


 それを言われたら、俺は小西の提案を飲まざる得なくなる。



「なんと小西君は英語が超絶ビックなほどに得意だ」


「……」


「だから明日提出の課題、手伝ってやってもいいけどな。すまん、長い独り言だった。忘れてくれ」


「分かった分かった、わかりました。理解したよ」

 小西が不思議そうな顔をした。


 その顔は「俺の友人はとうとう頭をやられたか?」とでも言いたそうな、ちくしょう、腹が立つ。


「どうした? 俺は何も言ってないぞ?」


「松井さんのラインをゲットするよ。その代わりこれから一か月分の英語のノートを見せてくれ」

 小西の顔が不思議そうなそれから、どんどん明るくなった。


 その顔は「しめしめ、とうとううまくいったぜ」って、こんな奴の安い作戦に乗らなくてはならん自分の英語力に絶望だよ。


「まさか俺の心を読むなんて、流石親友。じゃあ、よろしくな」

 小西が肩に置いた手を俺は払いのけた。


 小西はそんなことを気にしないかの様にスキップで屋上から降りてった。

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