妹の友だちがなぜか俺の部屋に遊びに来ます

藤井論理

プロローグに代えて ― おうちでトレジャーハンティング

「先輩、わたしと楽しいことしましょう!」


 琴吹ことぶきさんはそう元気よく言って俺の部屋に入ってきた。


 ショートボブの黒髪はさらさらで、切れ長の瞳は涼やかで、ピンク色の薄いくちびるはつやつやとしている。


 こんな容姿端麗の後輩が「楽しいことしましょう」なんて言って部屋に遊びにくるのを歓迎しない男はいない。


 と、ふつうは思うだろう。しかしそれは浅はかな考えだ。


 俺は部屋に視線を巡らせた。


 床のあちらこちらに漫画や小説が雑然と積まれている。窓際にはワンタッチ式のテントが鎮座、そのなかには寝袋と、なぜかたこ焼き器が収納されている。部屋の真ん中の小さな丸テーブルには空っぽのカップアンドソーサー、壁にはメイド服が掛けられていた。


 これらはすべて彼女が持ちこんだものだ。


 ――塵一つなかったころが懐かしい……。


 琴吹さんは身体の後ろになにか隠している。また持ってきたらしい。俺は大きなため息をつき、勉強机に身体を向けなおした。


 琴吹さんが俺の背中をぽんぽんと叩いた。


「かわいい後輩が遊びにきましたよ?」

「一年生最後の期末テストで成績が下がったから、つぎの中間テストでは盛りかえしたいんだよ」

「でも遊んだほうが楽しいので遊びましょう」

「一点の曇りもないダメ人間の思考」


 俺は参考書に集中する。琴吹さんはつまらなそうに「ふうん」と鼻を鳴らした。


 あきらめた――のかと思いきや、背後でなにやらごそごそとやっている音が聞こえてきた。俺は参考書の文章を小声で音読して、なんとか勉強を進めようと躍起になる。


「準備完了です」


 ようやく雑音がやんだと思ったら琴吹さんがそんなことを言った。俺は彼女に背中を向けたまま「……なんの?」と尋ねる。


「トレジャーハンティングですよ」

「トレジャーハンティング?」


 突飛な単語に俺は思わず振り向いた。琴吹さんは不敵に微笑む。


「隠されたお宝を探し出してください。制限時間は十分」

「お宝って?」


 尋ねると、彼女は手をもじもじしだした。顔をうつむけて、でもちらちらと俺のほうを見ながら言う。


「こ、この世にふたつとない、とても価値のある、た、宝物です……」


 顔が真っ赤だし、後半はほとんど消え入るような声だった。なにをそんなに照れているんだろうか。


「なんか恥ずかしいものなの? だったら見つけないほうが――」

「見つけてもらわなくちゃ意味ないじゃないですか!!」


 耳がきんとする。さすが元水泳部だけあって肺活量がある。


 恥ずかしいけど見つけてもらわないと困るもの……? ますます分からなくなる。


「ち、違いますよ? 変な意味とかじゃなくて、たとえ遊びでも真剣にやりましょうということです」


 琴吹さんはなぜか言い訳がましく訂正した。


 宝物に興味はない。しかし十分だけ付きあえば解放されるというなら、それでもいいかと考えた。


 俺はデスクチェアから立ちあがった。琴吹さんは一歩、後じさって壁際に移動する。


 部屋を見回す。といっても広さは六畳だ。隠す場所はそんなに多くない。勉強机は候補からはずれるから、ベッドか、クローゼットか、あとは琴吹さんが持ちこんだ私物の陰か。


 俺はベッドの下を覗きこみ、スマホのLEDで照らした。埃ひとつないフローリングの床が見える。お宝はない。ベッドの裏面も照らしてみるが、間柱とすのこが見えるだけだった。


 ベッドから這いでて、マットレスや布団の隙間に手を差しこんでみるが、それらしきものに触れることはなかった。


 琴吹さんを見る。彼女は口に手を当てて「くふふ」と笑い声をあげた。


 つぎにクローゼットを開ける。ブレザーやスラックス、Yシャツ、黒のジーンズが、まるで衣料品店のようにきれいに掛けられている。ポケットのなかをまさぐってみるがなにもない。三段の衣装ケースも、引き出しをはずして確認したがお宝らしきものはない。


「ほんとに隠した?」


 俺は琴吹さんに疑いの目を向けた。


「もちろんです」


 ポーカーフェイスの表情からはなにも読みとれない。


 俺は漫画や小説のページをぱらぱらとめくって確認した。それからテントのなか、メイド服、カップの裏まで探し尽くし、ベッドとクローゼットを再確認したが、やはりなにも見つからなかった。


「ほら、早く早く」


 琴吹さんはそわそわとしている。


 ――……?


 ゲームなのだから見つけられたら琴吹さんの負けなわけで、でも彼女はなんだか見つけてほしそうな素振りだ。どういう心境なのだろう。


「あと二分ですよ」

「ほんとのほんとに隠した?」


 琴吹さんは大げさにため息をついた。


「しょうがない先輩ですね。ではヒントを。――隠す場所は多くないので心理的な盲点をついています。もう一つ、宝物自体は大きくありませんが、得られるものは、と、とても大きい……」


 琴吹さんは言いながら、またひとりで照れている。


 ――もの自体は大きくないけど、得られるものが大きい……。


 なんだろう。株とか? いや、あれは損をすることもあるしな。じゃあ果物の種かなにかか。育てれば得られるものは大きいと言える。でも照れる意味が分からない。


 それと、心理的な盲点……。


 俺ははっとして天井を見あげた。しかしそこにはシーリングライトがあるだけだ。


「そうです、そういう視点が大事です」

「部屋のなかだよな?」

「間違いなく、部屋のなかにあります」


 俺は改めて視線を巡らせる。


「あと一分」


 ――くそっ。


 お宝に興味なんてないはずなのに、俺は焦っていた。すっかり彼女の術中にはまっている。


 ――……?


 そのとき違和感があることに気がついた。


 琴吹さんはなぜさっきからずっと、壁際に、気をつけをするみたいにぴったりと脚を閉じて突っ立っているのか。


 俺はほくそ笑んだ。


「琴吹さん――、後ろ、向いてくれる?」


 彼女はペンギンみたいにちょこちょこ足を動かして身体を反転させた。


 そこには――。


「なにもない……」


 発見があったとすれば、琴吹さんの膝の裏――ひかがみがとてもきれいということだけだった。


 彼女はまたペンギンみたいにちょこちょこと身体を反転させてこちらを向いた。


「わたしの身体には隠してませんよ」

「じゃあなんで歩き方が変なの? 脚にはさんでるんじゃないの?」

「オブジェになりきってただけです。ほらご覧のとおり――」


 琴吹さんはスカートをめくって見せた。


「ちょっ……!」

「なにもありません……って、なんで顔をそむけてるんですか」

「紳士だからだよっ」

「見なきゃ意味ないじゃないですか」


 と、彼女はダッシュで俺の視界に入ってきた。


 ――なんだこのアグレッシブな逆セクハラ!?


 高校二年生になったとき「これで俺も先輩になるのだなあ」と感慨深く思ったものだが、まさかスカートのなかを見せたがる後輩ができるとは思ってもみなかった。


「ほら、ね?」


 めくり上げられたスカートのなかは――スパッツだった。


「なにも隠してないでしょう?」


 スパッツはぴったりとしているから下腹部とか腰のラインが丸わかりだし、足ぐりが食いこんで琴吹さんのふとももの柔らかさを際立たせており、とても目に毒だ。


 俺は顔を伏せた。


「分かったから早く隠して!」

「もう隠したって言ったじゃないですか」

「そっちじゃなくてスパッツ!」

「なんでですか?」

「恥ずかしいだろ」

「わたしはべつに」

「俺が!」


「はい、隠しましたよ」という声で俺は顔をあげた。


 琴吹さんはスカートをめくりっぱなしだった。俺は弾かれたように顔を上に向けた。


「隠してないだろ!」

「リアクションが面白くて、つい」


 また「くふふ」と笑う。


「今度こそ隠しました」という声で、おそるおそる視線をさげた。


 ちゃんとスカートが下ろされている。俺はほっと息をついた。琴吹さんは、俺がなぜ大慌てしたのか皆目見当もつかないという顔をしていた。


 ――もう少し自分の『破壊力』を自覚してほしい……。


 彼女はどうも自分のことを地味と思っている節がある。


 たしかに派手ではない。髪は地毛だし、化粧っ気もない。


 だが考えてみてほしい。


 キューティクルでぴかぴかと光り輝く黒髪を脱色する必要があろうか? 

 透きとおるような肌にファンデーションを載せる必要があろうか?


 いや、ない。


 ぱっと目を引くわけではないが、よくよく見ると、その端正で非の打ち所のない美しさに目が釘づけになるような、そんな魅力を彼女は持っている。『足し算の美しさ』ではなく『引き算の美しさ』なのだ。


 でも琴吹さんはそんな自分の魅力に無自覚だ。自分のスパッツ姿が俺をどれほど動転させるかなんて考えもしない。


「しゅーりょー」


 琴吹さんは腕時計を見ながら声をあげた。


「え、もう?」

「先輩がわたしのスパッツに執着しているあいだに終わりました」

「誤解を受けるような言い方はやめてくれ」


 琴吹さんはやれやれというふうに肩をすくめた。


「見つけられませんでしたね、お宝。世紀の大チャンスだったのに」

「そんなに価値のあるものだったのか?」

「……それは先輩しだいです」


 ――俺しだいで価値が変わる宝物……?


 考えこむ俺を琴吹さんが見つめる。じとっとした目つきで、ぷくっと頬をふくらませて。


「な、なに?」

「見つけてから後悔しても遅いですからね」


 ちょっと怒るみたいに言って階段を降りていった。


 玄関のドアを開け閉めする音が聞こえてくる。琴吹さんは帰ってしまったようだ。


 ――俺が不甲斐なくてがっかりさせちゃったのかな。


 廊下に出て部屋を見渡したが、やはり宝がどこにあるのか見当もつかない。


 そのとき声がかかった。


「あれ? コト、帰ったの? 今日は早くない?」


 隣の部屋から出てきたのは妹の梨子りこだった。コト、とは琴吹さんのあだ名である。


「すまん、なんか怒らせちゃったみたい」

「お兄、クスリでもやってるの?」

「なんで急に覚せい剤取締法違反を疑われてるの?」

「コトが怒るなんてちょっと想像できないから」


 梨子はメガネをくいっと押しあげた。


「ところでお兄、背中のそれ、なに?」

「背中?」


 背中に手を伸ばすが、指先にはなにも触れない。というか、届かない。


「身体硬っ」


 梨子はムカデでも目撃したみたいに顔をしかめ、俺の背中からなにかをはぎとった。


 それは商品券くらいの大きさの紙きれだった。端に養生テープがくっついている。それで俺の背中に貼りつけられていたらしい。


 梨子は紙きれに目を落とし、難しい顔をした。


「なにこれ」


 紙きれの表をこちらに向ける。そこにはこう書いてあった。


『琴吹がなんでも言うことを聞く券』


「……お宝」

「は?」

「ああ、そうか」


 部屋に入ってきた琴吹さんを俺が塩対応したとき、彼女は俺に近づいてきて背中をぽんぽんと叩いた。あのとき貼りつけたのだ。そのあと部屋をごそごそやっていたのはフェイクだった。


 心理的盲点をついている。

 もの自体は大きくないが、得られる価値は大きい。

 しかしその価値は俺しだい。


 琴吹さんの出してくれたヒントが、パズルのピースのようにきれいにはまった。


「ちょっと、ひとりで納得しないでよ」


 梨子が不機嫌そうに言った。


「トレジャーハンティングをしてたんだよ。で、時間内に見つけられたらこれをあげるって」


 俺がそう言うと、梨子はメガネに指を当てたまま黙りこんでしまった。なにやら考えているようだ。


「梨子?」

「コトが怒ったのは、お兄がこの券を発見できなかったから?」

「多分そうじゃないかな」


 梨子は呆れたような顔で大きくため息をついて「なるほど」とつぶやいた。


「なんだよその顔」

「呆れてものも言えない顔」

「宝物を見つけられなかっただけでそんなに?」

「……そういうとこ」


 俺がぽかんとすると、梨子はますます呆れてうなだれてしまった。


「コトは怒ったんじゃない。すねたの」

「すねた? なんで?」

「ちょっとは自分で考えてよ。――たとえば、女の子が特定の男の子の部屋に頻繁に遊びにいく理由ってなんだと思う?」

「その男の子がゲーム機を持ってるから?」

「小学生か」


 これ見よがしにため息をつく。


「もうちょっと年齢を上げて」

「中学生?」

「高校生で」

「……ゲーム機?」

「年齢上げろって言ってんでしょ」

「上げたけど……」

「精神のほう!」


 なんで梨子はそんなにかりかりしているんだろう。


「男の子のことが気になってるとか?」

「おっ」


 梨子は目と口をまん丸にした。どうやら正解にたどり着いたようだ。

 しかし――。


「それと琴吹さんは関係ないだろ」

「は?」

「琴吹さんは梨子のついでに俺のところへ来てるんだし、学校でひとりの俺に同情してくれてるだけだよ」

「……」


 梨子はあんぐりと口を開けて固まっている。


「え、なにその顔」

「お兄、本気で言ってるの?」

「? もちろん」


 万が一、琴吹さんにその気があっても、妹の大事な友達に手を出せるわけがない。

 梨子は肩を落とし、うなだれた。


「いや、うん……。もういいや、それで。そのままにしておいたほうがかえって面白そうだし」

「……どういうこと?」

「うるさい身体硬男からだかたお

「唐突な罵倒!? 身体が硬いのは個性だと思う!」

「お兄のはただの運動不足」

「はい」


 ぐうの音も出ない。

 梨子は部屋に引っこんだ。


「なんだよ……」


 釈然としないが、ともかくこれでやっと勉強を再開することができる。


 机にもどり、『琴吹がなんでも言うことを聞く券』をごみ箱に捨てようしたが、なんだかもったいないような気がして、ブックスタンドのクリアファイルにはさみこんだ。


 ――また物が増えた……。


 今度はなにを持ちこまれるのか。憂鬱だ。でも心のどこかで楽しみにしている自分がいることに気がつき、俺はちょっと戸惑った。

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