第十一話 おうちでキャンプ2

 小ぶりなテントのなかで並んで座り、タブレットに映しだされるたき火をぼうっと見つめる。赤々とした明かりに照らされた顔や手足が、じんわりと温かくなってくるような気がするから不思議だ。


 沈黙も気にならない。足湯の泡と同じように、薪の爆ぜる音に耳を傾けていればいい。


 しかしそうしていると、どんどん眠たくなってきた。もともと眠るための暗示みたいなものだから、当然といえば当然だ。


 このままだと寝落ちしてしまいそうだと思った俺は、琴吹さんと話をすることにした。


「あのさ」


 と言ってから話題を探す。


「なんですか?」

「ええと――。そうだ、琴吹さんの下の名前ってなんなの?」


 琴吹さんは怪訝そうな顔をして、そのあとうっすらと悪戯っぽく微笑んだ。


 三角座りの膝にもたれるみたいにして、俺の顔を覗きこむ。


「なんだと思います?」


 語尾の「す」がまるでキスをするときの口みたいだ。揺らめく炎のせいで、つやつやしたくちびるがまるでべつの生きものように怪しく蠢いて見える。


 俺は顔を正面にもどした。

 琴吹さんはまるでジェットコースターだ。子供っぽさと大人っぽさの落差が俺をどきどきさせる。


「さあ、宴もたけなわなので」


 琴吹さんはそう言って、スポーツバッグからあるものをとりだし、タブレットと俺たちのあいだに並べた。


 それは三本のステンレスボトルと、ふたつのステンレスマグカップだった。


「たき火の前で温かい飲み物を飲む……。まさに至福です」


 左端のボトルの蓋を開け、中身をマグカップにそそぐ。


「はい、どうぞ」


 湯気の立つそれを受けとる。香ばしい香りがする。


「コーヒーか」

「たき火の前でひげ面のナイスミドルが苦み走った顔をしてコーヒーを飲んでこそアウトドアじゃないですか」

「なにその偏ったイメージ」


 分からないでもないけど。


 コーヒーをすする。舌の先がぴりっとするような苦み。そして口の奥に酸味が広がって、そのあと香ばしい香りが鼻を抜けていく。


「うまいな」

「さあ先輩、苦み走った顔をしてください」

「どんなだよ」

「こんなです」


 いきなり鼻先がくっつくくらい顔を寄せてきて、俺はコーヒーをこぼしそうになった。


「なんで逃げるんですか。ちゃんと見てください」

「そんなに近づく必要ないだろ……!」

「暗いから近づかないと見えないじゃなですか」

「たき火で逆光になってるからどっちにしろ見えない」

「それもそうですね。じゃあもっと近づかないと」


 琴吹さんは楽しそうに笑い声をあげながら、四つん這いで獣のように寄ってくる。


「そ、そんなことしないでもこうすればいい」


 俺はスマホのLEDで琴吹さんを照らした。


「ぎゃあ!」


 と、顔を手で覆って飛びのく琴吹さん。もちろんいきなり顔を照らすようなことはしていない。


「なにそのリアクション。バンパイアなの?」

「バ、バンパイアなわけないじゃないですか!!」

「ええ? すいません……」


 思ったより強く否定されて俺は思わず謝罪し、LEDを消した。


「こちらこそすいません。ちょっとびっくりして」

「それより二本目のボトルは?」


 変な空気にならないように、俺は話を進める。


「あ、はい。こっちはですね」


 マグカップにそそぐと、胸がすくような、さわやかで芳しい香りが立った。


「紅茶です。アールグレイ」


 すすると、柑橘系のような香りがした。


「アールグレイってよく聞くけど、どこの茶葉なの?」

「アールグレイは茶葉の種類じゃなくてフレーバーティーのことです。ベルガモットで匂いをつけてあります。極端な話、『ダージリンのアールグレイ』もあり得ます。多くの場合、ベースになるのは中国茶ですが」

「へえ……」


 単純に感心した。「ティーパックで適当に作ってきたんで分かりません」とか言われると思った。そういえばたこ焼きを作ったときも妙に手際がよかったし、料理が得意なのだろうか。


 紅茶もおいしかった。こうなってくると三本目への期待が俄然、高まってくる。


 琴吹さんは三本目の中身をマグカップにそそいで俺に差しだした。


 白濁の液体。ホットミルクだろうか?

 湯気が立ちのぼり、一緒に香りが運ばれてくる。

 

 磯の香りだった。


「ちゃんぽんの汁です」

「ちゃんぽんの汁!?」


 俺は思わず琴吹さんを二度見した。


「わたし、ちゃんぽんのこと……好きなんです……」


 手をもじもじさせながら、恥ずかしそうに言う琴吹さん。


 ――どうしてそんな恋する乙女みたいな顔を?


 相手はちゃんぽんなのに。


「どんなところが好きなの?」

「具がいっぱい入ってるところ……」


 理由は完全に色気より食い気だった。


 ちゃんぽんが悪いわけではないが、せっかくアウトドアな雰囲気で、コーヒー、紅茶とどちらもおいしかったのに、最後にちゃんぽんはないだろう。


 俺は少し鼻白んだような気持ちでちゃんぽんの汁をすすった。


「うんまあ!!」


 俺は思わず叫んだ。


「なんだこれ!? うんまあ!!」


 もう一回叫んだ。


 濃厚なコクとだしの旨味と磯の香りが渾然一体となって押し寄せてくる。


 ――ちゃんぽんってこんなにうまいものなのか?


 本場のちゃんぽんを食べたことがないから分からないが、少なくとも次回ちゃんぽんを食べるときはこの味が基準になるから、相当ハードルが高くなってしまうことだろう。


「スープだけなので、飲みやすいように牛乳を多めに入れてマイルドにしてます」

「これ一から作ったの? すごいな」


 琴吹さんはステンレスボトルの蓋にスープをそそぎ、口をつけた。


「おいし」


 ほう、と息をつき、微笑む。

 俺は琴吹さんの横顔をじっとみた。


 微笑までは見せてくれるようだ。しかし、笑いがある制限値を超えると、彼女はぱっと顔を隠してしまう。


 ――限界はどこにあるんだろう。


 彼女が急にこちらを見た。


「なんですか?」

「い、いや……」

「もっと飲みたいんですか? しょうがない先輩ですね」


 などと言いつつ、ちょっと嬉しそうな顔でちゃんぽんの汁をマグカップにつぎ足す。 


 無言でちびちびと汁をすする。


 温かい飲み物で身体が温まったせいか、眠気が強くなってきた。赤い炎の揺らめきが、まるで催眠術みたいにまぶたを重くさせる。


 薪の爆ぜる音。

 ぱちぱち。

 ぱちぱち。

 ぱちぱち――。

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