第十二話 おうちでキャンプ3

「うあっ?」


 気がつくと、視界にテントの天井が広がっていた。仰向けになっているらしい。知らないあいだに寝入ってしまったようだ。


 それにしても、エアーマットの寝心地は実にいい。とくに頭を支える枕部分はもちもちとした感触で、空気の層が厚いからか人肌みたいに温かい。


 ――でもちょっと高いかな……。


 空気を抜いて調節できないかと、俺は枕を探った。


「せ、先輩、くすぐったいです……」


 テントの天井だけだった視界に、琴吹さんの顔が現れた。ちょっと困ったような表情。


 ――……?


 寝ぼけた頭で考える。


 ――温かい枕、感触はもちもち、視界には琴吹さん、手で探ると琴吹さんがくすぐったがる……。


 俺はようやく理解した。


「だあっ!? ご、ごめん!」


 弾かれたように身体を起こした。琴吹さんは正座をしてこちらを見ている。案の定、俺は膝枕をしてもらっていたらしい。


 そればかりか、俺は琴吹さんのふとももをまさぐるなどという不届きな真似を……!


 土下座した。エアーマットを避けて、硬い床に額を打ちつける。


「告訴だけは勘弁を!」

「告訴? なんでわたしが先輩を告訴するんですか?」

「なんでって……」


 執拗にまさぐったからだ。


「だって、嫌だったでしょ?」

「膝枕がですか?」

「いや、その……。手で……触ったのが」

「嫌というか、くすぐったかっただけですけど」


 琴吹さんは俺の顔を覗きこむ。


「それより、おでこ痛くなかったですか?」


 ――じゃあ困ったような顔は、本当にくすぐったかっただけ……?


 まさぐっても怒らないどころか、俺の心配までしてくれる。


 ――天使……?


 俺は思わず手を組んで拝みそうになった。


「ほんとごめん。急に眠くなっちゃって……」


 すると琴吹さんははにかむような顔をうつむけた。


「い、いいんです。わたしも――いいものを見せてもらったので」


 きゃ、と悲鳴みたいな声をあげ、手で顔を覆う。


「え? い、いいものって、なに……?」


 琴吹さんはタブレットとスポーツバッグを回収した。戸口まで歩き、立ち止まって振りかえる。


 そしてちょっと照れながら言った。


「意外と……、かわいかったです……!」


 そして階段を駆けおりていった。


「なにが!?」


 慌てて追いかけて階下を見おろすも、琴吹さんはすでに玄関のドアを開けて出ていくところだった。


 ――寝てる間に現れる、俺の意外とかわいいところって……。


「なにがー!?」


 ドアは閉められた。声は琴吹さんに届くことはなかった。





 午前七時十五分。いつもの起床時刻に目が覚めた俺は、階段を降りてキッチンへ向かった。


 梨子がパジャマ姿で、マグカップに牛乳を注いでいる。


「おはよう」

「おはよう」


 挨拶を交わし、梨子はペットボトルのミネラルウォーターを、


「ん」


 とだけ言って差しだした。俺は礼を言って受けとり、朝学習をするために自室へもどりかけたが、その足が止まった。


 昨日のインドアキャンプを思い出していた。たき火を見ながら温かい飲み物を飲んでいるあいだ、俺のなかの不安や焦燥はまったく顔を出さなかった。


 キッチンに引きかえし、水をヤカンに入れて火にかける。

 梨子が怪訝な顔をした。


「どうしたの?」

「コーヒーを淹れようと思って。梨子も飲む?」

「わたしは、牛乳を飲むから……」


 なにか気味の悪い者を見るような目を向けてくる。


 コーヒーカップにインスタントコーヒーの粉を入れて、沸かした湯をそそいだ。


 リビングへ行くと、梨子がテーブルについて牛乳を飲んでいた。正面に座り、テーブルの上のテレビリモコンにスマホを立てかけると、iTubeの動画を再生させた。


 たき火の動画だ。


 俺はそれを見ながらコーヒーをすすった。

 梨子がじとっとした目つきで俺を見る。


「なにしてるの?」

「なにもしてないを、してるんだよ」

「なにその観光協会のキャッチコピーみたいの」


 俺はコーヒーを吹きだしそうになった。さすがは兄妹、感性が似ている。


「それにしても、なんでたき火?」

「落ち着くだろ?」

「まあ落ち着くけど」


 梨子は俺をじっと見たあと、「ふうん」と意味ありげに微笑んだ。


「クマ、ちょっと薄くなったんじゃない?」

「クマう――」

「略さなくていい」

「はい」


 せっかく柔らかい表情になったのに、すぐにいつもの顔にもどってしまった。もったいない。


 俺はカップを置いた。


「あんまりおいしくないな」


 苦みばかりが強くて、コクも香りも弱い。琴吹さんのコーヒーがうますぎたのかもしれない。

 梨子が言う。


「まあインスタントだし。いいやつ買っておく?」

「うん。――いや、ちょうど牛乳もあるし、どうせ買うなら」

「なに?」

「ちゃんぽんの汁がいい」

「なんでちゃんぽん!?!?」


 早朝のリビングに梨子の声が響いた。

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