第十三話 おうちでメイドカフェ1

 頭がぼうっとする。


 ここ数日、午後の授業になると、まるで電池が切れたかのようにやる気がなくなる。活力が湧かなくなる。


 栄養が足りていないということはないはずだ。ブロックタイプの栄養調整食品には各種栄養素がバランスよく配合されている。念のためミネラルウォーターを牛乳にしてみたが変化はなかった。


 脳の栄養素であるブドウ糖が足りていないのかもしれない。帰りにドラッグストアに寄って買ってみようと心に決め、俺は午後の授業に臨んだ。





 帰宅し、購入したブドウ糖のかけらを舐めながら勉強机に向かう。しかしあいかわらず活力はもどってこなかった。


 ――なんだよ、なにが足りてないんだよ……。


 額に手をやり、ため息をつく。


 そのとき、トントン、とノックの音がした。


「はい」


 ドアが開く。そこには――。


「おかえりなさいませ、ご主人様!」


 メイド服姿の琴吹さんが立っていた。


 突飛な姿に俺がぽかんとしていると、彼女は「あれ?」と首を傾げ、もう一度、


「おかえりなさいませ、ご主人様!」


 と言った。

 俺はなんとか言葉を返す。


「いや、結構前に帰ってきてたし……。というかむしろ、いらっしゃいませ、メイドさん」

「先輩、わたしと楽しいことしましょう!」

「それは言うんだ……」


 琴吹さんは部屋に入ってきた。肩には通学鞄、そして右手には納戸から持ってきたらしい小さな丸テーブル、左手にはハンガーにかかったメイド服。


 ――予告どおり、前より大がかりになってる……。


 手に持ったメイド服を俺は指さした。


「それは?」

「メイド服です」

「情報が増えない……」


 ひとつひとつ解明していこう。


「すでにメイド服を着ているのに、なんでもう一着手に持ってるの?」

「リリちゃん用です。一緒に写真を撮ろうと思ったんですけど、『それを着て写真を撮られるくらいなら舌を噛みきる』って断られました」

「うちの妹は忍びかなにかか」


 琴吹さんは余りのメイド服をクローゼットにかけた。

 俺はいよいよ核心を尋ねる。


「で、なんで琴吹さんはメイド服を着てるの?」

「メイドカフェを開店するためです! それと――」


 琴吹さんはくるりと一回転した。


「一回着てみたかったんですよ」

「よく似合ってる」 


 そんな言葉が口をついて出て、俺はちょっと驚いた。空気を読んだり機嫌をとるためではない褒め言葉をかけたのは、梨子以外では琴吹さんがはじめてのことだった。


 琴吹さんも意外だったらしく、目を丸くしたあと、うつむいてはにかむように微笑んだ。


「と、とくにここがお気に入りなんですよ」


 琴吹さんはスカートをめくり上げた。白いタイツを吊る白いガーターベルトと、白いふともも。


 俺は弾かれたように顔をそむけた。


「ほらここ、かわいくないですか? ――って、どこ見てるんですか?」

「とりあえずそれ仕舞おう!」

「どうしてです? ただのガーターベルトですよ? タイツを吊る布ですよ?」

「単品ではそうだけども!」


 そのベルトが、やわらかいふとももにむにっと食いこむ様が目に毒なのだ。


「どうしてもと言うなら仕舞いますけど……。おかしな先輩ですね」


 ――いや、俺おかしくないよな? 大丈夫だよな?


 琴吹さんと一緒にいると自分の常識や倫理観に自信がなくなってくる。


 目をもどすと彼女は釈然としない顔をしていたが、すぐにまたいたずらっ子のような顔になって、


「さ、先輩はいったん部屋の外に出て、三分くらいしてから入ってきてください。けっしてなかを覗かないでくださいね」

「鶴の恩返しなの?」

「ち、違いますよっ」


 琴吹さんはむきになって反論した。


 ――え、なにそのリアクション。ほんとに鶴なの?


「さあ、メイドカフェが開店しますから、先輩はいったん外へ!」


 問いなおす間もなく、俺はぐいぐいと背中を押されて部屋を追いだされてしまった。





 廊下で待つこと三分、ドアをノックすると「どうぞ」と声が聞こえた。


 ドアを開ける。


 琴吹さんが三つ指をついて俺を出迎えた。


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 深々とお辞儀する。


 ――なんかもう違わない?


 メイドというより旅館の女将おかみだ。


「琴吹さんさ、メイドカフェはちゃんと知ってるんだよね?」


 琴吹さんは目をそらした。


「……知ってますよ」

「なにいまの間」


 ――これ知らないな?


「こ、細かいことはいいじゃないですか! さ、お席へどうぞ」


 と、部屋の真ん中に設置された丸テーブルを手で示す。その上にはカップ&ソーサーが置かれていた。


 俺は促されるまま腰を下ろした。


 琴吹さんはバッグからステンレスボトルをとりだし、蓋に湯気のたつ茶色い液体をカップにそそいだ。


 香ばしい香り。


「ほうじ茶です」

「ほうじ茶」


 俺は思わずオウム返しした。やっぱりカフェと言うより旅館のもてなしである。


 琴吹さんはつぎにプラスチックの弁当箱を俺の前に置き、蓋をはずした。

 中身は白米に梅干し、たくあん、しゃけ、玉子焼き、かまぼこ、唐揚げ。


 これまたメイドカフェ感は皆無だった。

 俺は琴吹さんの顔を見た。彼女は気まずそうに目をそむけて言った。


「幕の内――。い、いえ、も、萌え萌え幕の内弁当です」


 ――メイドカフェ感ねじ込んできた。


 幕の内弁当のどこに萌え要素があるというのか。


「これ、琴吹さんが作ったの?」

「は、はい。その、時間があまりなくて上手にできなかったんですけど……、先輩に食べてもらいたくて頑張りました……」


 俺は顔を手で覆った。


 ――時間差で萌え要素来た……!


 これには不覚にも萌えてしまった。

 俺はどうにか表情を引きしめてから手をどけた。


「それで、おまじないは」

「え、おまじない?」

「おいしくなるおまじない。メイドカフェの定番でしょ?」

「あ、あ~、はい。おまじないですね。分かりました」


 琴吹さんは弁当の上でぱんぱんと柏手を打った。手を合わせ、目をつむる。


「ノウマクシッチリヤ、ジビキヤナン、タタギヤナン、オンバザラ、ギニヤキラシヤ、ソワカ」

「シンプルに怖い」


 俺の知っているおまじないと違う。


「ね、念仏? なんの念を送ったの? ――ええと、のうまくしっちりや……?」


 スマホで検索しようとすると、琴吹さんが大慌てで止めた。


「ほ、ほら先輩、お茶が冷めちゃいますし、スマホは置いて、ね?」

「でも」

「けっして検索などしないでくださいね……」


 手首をつかまれ、低い声で釘を刺された。


「はいっ」


 手首をつかんだ手の力強さに、俺は思わずいい返事をした。

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