第十四話 おうちでメイドカフェ2

 俺は幕の内――もとい、萌え萌え幕の内弁当に手をつけることにした。


 割り箸で、きれいな黄色をした玉子焼きを持ちあげて口に運ぶ。甘めの玉子焼きだ。しかるのち、俵型に成形された白米を梅肉と一緒に口に入れた。


 甘みと塩味と酸味が同時に押し寄せてきて、唾液腺のあたりがきゅんと痛くなる。


 カップのほうじ茶をすする。渋みが舌をリセットし、香ばしい香りが鼻を抜けていく。


 ――うっま……。


 やはり琴吹さんは料理がうまい。しかしいままでだっておいしい料理は食べてきたはずだけど、どうして彼女の料理は特別おいしく感じるんだろう。


「ど、どうですか?」


 琴吹さんは緊張の面持ちで尋ねる。


「めちゃくちゃうまい」

「よかった……」


 嬉しさと安心がないまぜになったような顔で小さくつぶやいた。その控えめな喜び方に、俺はなおさら萌えてしまう。


 久方ぶりの猛烈な食欲に後押しされ、ぱくぱくとハイペースで弁当をむさぼる。ちらっと「夕食が入らなくなってしまうかも」と思ったが、箸は止められなかった。


「ちょっといったん待ってもらっていいですか」


 弁当を四分の三ほど平らげ、残りはメインディッシュ(と俺が勝手に思っている)唐揚げ三つだけとなっていた。


 琴吹さんはバッグからケチャップの容器をとりだした。


「お絵かきです」

「唐揚げに?」

「そのために味を薄めにしてるんですよ」


 容器を傾ける。


「ふぅ……」


 琴吹さんは大きな深呼吸をした。


 ――……?


 味の感想を待っているときよりも緊張しているようだった。


 息を詰め、唐揚げに絵を描く。とはいっても小さな唐揚げだ、凝った絵がかけるわけではない。


 彼女が描いたのはハートマークだった。


「で、できました。わたしの――ハートです……!」


 この前のたき火の炎みたいに顔を真っ赤にしている。


 どうして照れてるんだろう。絵が苦手なんだろうか。


「上手に描けてると思うけど」

「は、はぃ……」


 ますます恥ずかしがってうつむいてしまう。

 俺は疑問に感じながらも、唐揚げをひょいと口に放りこんだ。


 ――これもうまあ……!


 ジューシーなチキンナゲットという感じだった。


 琴吹さんは唐揚げを食べる俺の顔を凝視している。

 俺はふたつ目をひょいと口に入れた。


「あ」


 琴吹さんが小さく声をあげる。

 俺は構わず三つ目を口に入れた。


「ああ……」


 琴吹さんがうめき声みたいな声をあげる。顔はさっきよりも赤くなっていた。


「どうしたの?」


 琴吹さんはスカートの裾をぎゅうっと握って、しばらく固まっていたが、意を決したように顔をあげた。


「た、食べちゃいましたね」

「?」

「わ、わたしのハート、食べちゃいましたね……!」


 よく分からないことを言いだした。


「そりゃ食べるよ。残したらもったいないし」


 琴吹さんはきょとんとした。


「そうじゃなくて、ハートですよ。わたしの」

「うん、おいしかった。ハートというか、唐揚げが」

「い、いえ、じゃなくて、ハートです」

「ケチャップも手作りだったってこと?」

「違うんですよ! 『わたしのハート』をかけてるんです!」

「うん、まあ、かけてるのは見てたし、知ってるけど……」


 琴吹さんが虚無の表情になった。


「ボキッ」

「『ボキッ』?」

「心が折れた音です!」


 バッグを引っつかんで戸口へ走る。いったん立ち止まり、こちらに振りかえると、折り目正しいお辞儀をした。


「お帰りなさいます! ご主人様!」

「う、うん、行ってらっしゃいませ……?」


 琴吹さんは逃げるみたいにして帰っていった。


 ――最後までぐたぐだだった……。


「というか、メイド服のまま帰るの……?」


 俺は琴吹さんのいなくなった戸口を呆然と見つめた。





「ううん……」


 翌朝、俺がキッチンでうめいていると、起きてきた梨子が怪訝な顔をした。


「なにしてんの?」

「弁当を作ろうと思って」

「どういう風の吹き回し?」


 昨日、俺の部屋で開店したメイドカフェ(?)で食べた弁当があまりにうまかったので、あれを昼に食べれば活力も湧いてくるのではないかと考えた。


 しかしなにから手をつけていいのか皆目見当もつかない。


 梨子は呆れたようにため息をついた。


「あのねえ、お弁当を作るなら前の日の夜から用意しておかないと」

「そうなの?」

「そうなの!」


 梨子は「まったく……」などとぶつぶつ言いながら、冷凍された白米を冷凍庫からとりだし、電子レンジで温めはじめた。


「なにしてるの?」


 今度は俺が尋ねる番だった。


「いまからだとおにぎりくらいしか作れないから」

「え? というか、作ってくれるの?」

「お弁当、食べたいんでしょ?」

「う、うん」


 作ってくれるらしい。


「やっぱり、梨子は優しいな」


 そう言うと、


「邪魔だから出てって!」


 と脚を蹴られた。


 俺はキッチンから退散しようとしたが、琴吹さんの不自然な言動を思い出し、立ち止まった。


「梨子、ノウマク……なんたらって知ってる?」

「脳膜? 髄膜のこと?」

「それじゃなくて、念仏みたいなやつ。ノウマク……なんだったかな。シッチリヤ、なんたらかんたらソワカ」

「ああ、おまじないでしょ。恋のおまじない」

「……」


 俺は固まる。梨子は眉根を寄せた。


「どうしたの?」

「恋、の?」

「うん」

「なんで梨子、知ってるの?」

「なんでって……」


 梨子は息を呑んだ。顔がかあっと紅潮する。


「違うから! 小耳にはさんだだけ! きょ、興味ないし!」

「そっか」


 俺は二重の意味でほっとした。


 まず、梨子に悪い虫がついていないらしいことに。そして、琴吹さんに他意がないことが分かって。


 梨子が小耳にはさむくらいだ、琴吹さんの耳にだって入っていただろう。メイドカフェの知識に乏しい彼女は、とっさに知っていた恋のおまじないを唱えただけだったのだ。


 安心した。しかし、ちょっと残念な気持ちになるのはなぜだろう?





 昼休み、梨子の握ったおにぎりを食べる。


 米は余り物、具は梅干しのみ。

 なのに。


 ――おにぎりってこんなにうまかったっけ?


 いままで食べたおにぎりのなかで、もっともおいしいと感じた。おにぎりが胃に落ちるたび、身体に活力がみなぎってくる気がする。


 食べながら頭に思い浮かぶのは、キッチンに立つ梨子の後ろ姿。


 ――そうか。


 誰かが俺のために作ってくれたという事実が、俺の身体を奮い立たせてくれるんだ。 


 食事でとるのは、栄養だけではないらしい。


 俺はおにぎりの最後の一口を飲みこんだ。


 今日は最後まで頑張れそうだ。

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