第二十七話 おそとでバンド活動1

 ふれあいパーク。毎年六月の第二土曜日、日曜日に、市のコミュニティセンター前で開催される地域交流会。


 基本的には陶器市であり、プロだけでなくアマチュアの作品も数多く展示される。地元特産の食材を使用した飲食ブースもあり、焼き物に興味のない人びとも足を運んでくる。


 小さな野外ステージもあり、ローカルタレントやお笑い芸人などがトークやネタを披露する。


 俺たちの舞台はそこだ。いまステージでは、司会のローカルタレントさんが焼き物にまつわる失敗談を軽妙な語り口でしゃべっている。けっこうウケているようだ。


 ステージ裏のタープで俺はそわそわと出番を待っていた。俺以外には姉小路さんと、新しく執行部に入ったキーボード担当の男子、それとドラム担当の女子。みんな派手なプリントシャツとハーフパンツの出で立ちだ。


 キーボードとドラムは付きあっているらしく、お互いにちょっかいをかけたり微笑みあったりして自分たちの世界に入っている。姉小路さんはパイプイスに脚を組んで座り、優雅な動作で紙コップの麦茶を飲んでいた。ド緊張しているのは俺だけらしい。


「赤羽利くんも飲めば?」


 姉小路さんは紙コップの麦茶を差しだした。

 俺は受けとったが、手が震えてこぼしそうで口元まで運ぶことができない。


「波の出るプールみたい」


 彼女は「うふふ」と笑う。


 俺が出てやるなんて豪語したくせに、格好悪いったらありゃしない。


「姉小路さんは緊張してないのか?」

「してはいるけど、心地よい緊張感、ぐらいかな」

「さすがに会長さんは度胸があるな」

「度胸があるのは赤羽利くんのほう」

「こんなに震えてるのに?」

「緊張してしまうのは、それだけ本気だから、よ。でもこうやって舞台に立とうとしている。わたしなら逃げたいって思っちゃうもの」


 姉小路さんはまた例のまぶしそうな顔で俺を見た。


「どうしても舞台に立ってベースを弾かなきゃいけない理由があるのね。それってすごく――ロックだと思う」

「なんだよ、執行部に招きたくなったのか?」


 俺は無理やり不敵な笑みを形作った。姉小路さんは首を振る。


「赤羽利くんの時間を奪ったら、きっと寂しくさせてしまうから」

「は? なんの話――」

「さ、そろそろ出番みたい。行きましょ」


 にこやかにそう言って、姉小路さんはステージ袖へと歩いていった。


「なんだよ……」


 俺は紙コップを両手でつかんでぐいっと一気にあおり、彼女のあとを追った。





 司会者に招かれてステージへ上がる。ぱらぱらと拍手が聞こえたが、俺は緊張で顔を上げられず、うつむいたまま所定の位置へ移動した。そして背中を向けたままベースのストラップを肩にかける。


 ボーカルギターの姉小路さんはセンターに立ち、生徒会選挙の演説のときと同じように、ゆったりとした口調で観客に挨拶している。


 でももっとも大きく聞こえてくるのは俺の心臓の音だった。暑くもないのに汗が噴き出てくる。指が震えてピックを落としてしまった。


 しゃがんでピックを拾う。


 ――やばい。


 膝に力が入らず、立ち上がれない。全身の筋肉がこわばっているみたいだ。


 ――ダメ、かも。


 こんなんじゃまともに演奏できない。みんなに迷惑をかけてしまう。


「どうしたの? 大丈夫?」


 いつの間にかそばに立っていた姉小路さんが心配そうに俺を見おろしている。


『いまからシーケンサーに切りかえられないか?』


 そんな弱音が口に出かけたとき、その声は聞こえた。


「先輩!!」


 聞き間違えるわけもない。琴吹さんの声だ。


 観客席に目をやる。黒いキャップと、ワンピースみたいなビッグサイズの黒いTシャツの琴吹さんが両腕を高々と上げた。


 左右に四本ずつ、サイリウムを指にはさんでいる。まるで熊手ようだ。


「昼に……サイリウム……」


 全然、光ってない。ただのカラフルなプラスチックの棒だ。


 テンション高めの彼女の隣では、芝生にレジャーシートを敷いて座った老人と子供――おそらくおじいちゃんと孫が、飲食ブースで買ったと思しきアメリカンドッグをにこにこしながら頬ばっている。


 それらのちぐはぐさに、俺は思わず「ぶぅっ!」と吹きだした。


 姉小路さんは振りかえって、


「ふふ、かわいい。今日のために用意してたのね」

「いや、あれはもともと家にあったやつだと思う」

「彼女ってライブが趣味なの?」

「違う違う。そういう家なんだ」

「?」


 姉小路さんはきょとんとした。


 琴吹さんはまだ曲もはじまっていないというのに、かかげた腕をぶんぶんと振っている。


 琴吹さんは、野外でも琴吹さんだった。


 ――そうだな。


 いつもどおりでいいんだ。放課後の、俺の部屋、俺と、琴吹さん。あのユートピアのように。


 ――いや、違う。


 琴吹さんがいれば、俺にとってそこがユートピアだ。


 膝に力を込める。たやすく立ちあがることができた。ピックを上に放り投げてキャッチする。指の震えは止まっている。


「大丈夫みたいね」


 姉小路さんは微笑み、マイクのほうへもどっていった。


 ドラムのカウントがはじまる。次いで腹に響くバスドラ、そこにキーボードの音が乗る。さらにギターのカッティングが混じり、最後に俺のベースが包む。


 姉小路さんのボーカルが客席に向かって放たれる。ふだんの話し声とは違う、ちょっとハスキーで魅力的な声。ロックな声だ。


 俺のベースの音は、低域の六十ヘルツ辺りをやや持ちあげて音圧を上げ、コンプレッサーを強めにかけて甘く歪ませている。多分、きっと、琴吹さんの好きな音。


 ちなみに曲は、昨年の文化祭で披露した『ユートピア』だ。


 みんなの音がよく聞こえる。楽しいな。もっと弾いていたい。

 でも無情にも曲の終わりはやってくる。各パートがジャカジャカジャンジャンとフリーに音を鳴らす――いわゆるかき回しをして、最後にジャン! と音が途切れる。


 姉小路さんは観客に向かって、


「ありがとうございました!」


 と叫び、頭を下げた。俺も頭を下げる。

 拍手が聞こえてくる。司会者の焼き物にまつわる失敗談よりは大きな拍手だった。


 俺たちは撤収した。

 さっきのタープにもどってきても興奮が収まらない俺は、姉小路さんに向かって手のひらをかかげた。ハイタッチをしようとしたのだ。


 でも姉小路さんはハイタッチを返してはくれなかった。


「赤羽利くんがハイタッチをすべきなのはわたしじゃないでしょ?」


 と、悪戯っぽく微笑み、手を振った。


「いってらっしゃい」

「あのさ、ほんとなんか勘違いしてるみたいだけど――」

「とろとろしてたら帰っちゃうかもよ? いいの?」

「くっ……」


 俺はベースをケースに入れて肩にさげた。


「ほんとに違うんだからな!」


 姉小路さんは「はいはい」と言って呆れたような顔で肩をすくめる。


 俺は琴吹さんを捜しに駆けだした。

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