第二十六話 俺が出てやる

 昼休みの生徒会室に、俺は足を踏みいれた。


 なかでは姉小路さんがひとり、ちょっと緊張した面持ちで正面のパイプイスに腰かけている。

 彼女は俺が呼びだした。琴吹さんが宿泊した日、連絡を入れた相手は姉小路さんだった。


 俺は開口一番に言った。


「俺が出てやる」

「ん?」


 姉小路さんはハトみたいに首を突きだした。


「出る、って?」

「執行部バンドが招かれたんだろ? 地域交流会の『ふれあいパーク』だっけ? ベースが足りないらしいじゃないか。だから俺が出てやる」


 姉小路さんの目が泳いだ。


「で、でも」


 やましい気持ちでもあるのか、姉小路さんは煮えきらない態度だ。

 俺は肩をすくめる。


「ロックじゃねえな」

「ん、んん?」


 彼女の首がさらに前に出た。


「赤羽利くん、どうしたの?」

「どうもこうもない。そっちはベースがいなくて困ってる。俺はベースを弾きたがってる。だから手を組もうと言ってる」

「いきなり言われても……」

「それともなにか? 俺なんて助っ人としても招きたくないとか?」

「それは絶対に違う。申し出はとてもありがたい、けど……」


 俺は盛大にため息をついた。


「言っとくけど、交換条件で執行部に入れろとかそういうんじゃないから」

「……」

「考えてみたら俺、執行部の仕事好きじゃなかったわ」

「ええ……?」

「執行部はやりたいやつがやればいい。違うか?」

「ち、違いません」


 まくしたてる俺に気圧されたらしく、姉小路さんは丁寧語になった。

 彼女は俺を見つめながら何事か思考を巡らせていたようだったが、やがてふっと表情を緩めた。


「ひとはをすると変わるものね」

「なんだよあれって?」

「アレをするとひとは幸せな気分になって、世界のすべてのものが美しく見えて、やる気がみなぎるの」

「違法なやつのことじゃないよな?」

「年齢によっては違法になることもある」

「俺はそんなことしてないぞ!?」


 姉小路さんはゆるゆるとかぶりを振った。


「いいえ、してる」


 自信あり気に断言されて、俺は反論できなくなる。

 彼女は言葉をつづけた。


「ときに、最近、一年の琴吹さんとよく話しているようだけど」

「な、なんでそこで琴吹さんが出てくるんだよ。脈絡なさすぎだろ」

「脈絡はあるじゃない」


 意味が分からずぽかんとする俺。姉小路さんは「うふふ」と笑った。


「彼女のこと、どう思ってるの?」

「どうって、そりゃ……、妹の友達だろ」


 俺は搾りだすように答える。


「じゃあ彼女は赤羽利くんのことどう思ってるのかな?」

「……友達の兄貴だろ」


 俺が一方的に意識しているだけだ。


「なんか勘ぐってるみたいだけど、そういうんじゃないからな。あの子、俺に笑顔も見せてくれないし」

「笑顔を……?」


 姉小路さんは斜め上をにらむように見た。なにか思い出すときの癖のようだ。

 しばらくして彼女は顔をほころばせた。


「はは~ん」

「リアルで『はは~ん』って言ってるひとはじめて見た」


 姉小路さんはなぜか自分の子供時代のことを話しはじめた。


「わたし、見てのとおりくせっ毛でね。小さなころはよく『マルチーズ』みたいって言われてたの。わたしはそれを『かわいい』って意味だと思って誇りに思ってたんだけど――。ある日ね、大好きな親戚のおじさんがうちに泊まりにくることになって最初ははしゃいでたんだけど、ふと思ったの。『マルチーズみたいって、もしかしてバカにされてたんじゃないか。おじさんはこんなマルチーズみたいな髪の女の子、好きじゃないんじゃないか』って」


 当時の自分に感情移入しているのか、ちょっとつらそうな表情をした。


「だからわたしは躍起になって、くせっ毛が目立たない髪型を研究したり、母に縮毛矯正をせがんだりしたものよ」

「……」

「……」

「終わり!?」


 脈絡がなさすぎるうえ、尻切れトンボで要領を得ない。


「つまりわたしがなにを言いたいかというと、好きだからこそいろんなことが気になって、臆病になっちゃうってこと」

「なんだよそれ……。ちなみにそのあとどうなったんだ?」

「言わない。これはわたしの宝物だもの。赤羽利くんは赤羽利くんの宝物を見つけてね」


 と、意味ありげに微笑む。


 もともと姉小路さんはなにを言わんとしているのか分かりづらいところがある。でも今回はなにかを伝えようとしていることは分かるから余計にもやもやする。


「で、結局どうするんだ? 俺を迎えるのか迎えないのか」

「お願いするわ」

「……急に素直になったな? またロックがどうとか煙に巻いてくるかと思った」

「ロックってラブでもあるから」


 またよく分からないことを言いだした。


「あなたのラブ、期待してる」


 と、ウインクする姉小路さん。

 俺は目をそらした。『ラブ』という単語にうろたえてしまった。


「べつに、ラブとか、そんなんじゃ……」


 ない、と言おうとして、ちらと琴吹さんの顔が頭をよぎり、否定の言葉はしぼんで消えてしまった。


 姉小路さんはまぶしいものでも見るように目を細めていた。





 執行部バンドのサポートメンバーとなった俺は、ひたすらベースの練習に打ちこんだ――りはできない。


 中間テストがある。こっちが学生の本分だ。おろそかにはできまい。


 幸い勉強ははかどった。前みたいに集中力を欠くことはない。しっかり食事をとり、トレーニングで身体を動かし、充実した気力と冴えた頭で机に向かう。ベースの練習も、いい息抜きになった。


 さすがにこの時期に遊びほうけるわけにもいかないと思ったのか、琴吹さんはやってこない。でも、つぎに会ったときは絶対に彼女を喜ばせるんだと思うと、余計に張りあいが出た。


 ――おっと、肝心なことを忘れてた。


 今度のふれあいパークに執行部バンドのサポートメンバーとして出演することを、LINEで伝えた。


 宮前さんに。


 彼女はきっと来てくれるだろう。だから頑張らないと。





 そして、中間テストも終わった六月の上旬。ふれあいパークが開催される。

 いよいよ本番だ。

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