第二十五話 おうちでお泊まり3

 琴吹さんが寝てしまった。バンドゲームやドローンでさんざん遊び尽くしたあと、ふと『琴吹さん、静かだな』と思ったらもう寝ていた。緊張がほぐれて、眠気に負けてしまったんだろう。まるで子供みたいだ。


 ふくらませたエアマットの上で、すやすやと寝息をたてている。


 俺は小声で梨子に言った。


「梨子の部屋に運ぶか」

「どうやって」

「エアマットを引きずって」

「音で起きるでしょ」

「じゃあ、お姫様抱っこ?」

「……」


 無言でにらまれた。


「ごめんなさい」

「でもエアマットじゃ身体を痛くしそう。ちょっと布団出すの手伝って」


 納戸に収納された客用の布団をふたりで運び、琴吹さんの隣に敷く。しかるのち、エアマットの端を少しだけ持ちあげて傾斜させた。


「ううん……」


 琴吹さんはごろりと寝返り打って布団の上に移動した。俺と梨子は拳同士をぶつける。


「この調子で転がして梨子の部屋まで運べないかな」

「バカなの?」

「ごめんなさい」


 梨子は戸口を指さした。


「あそこで頭が引っかかるでしょ」

「そういうあれ?」


 ともかく琴吹さんを俺の部屋から運び出すことは難しそうだ。


「まったく……」


 梨子はぶつぶつ言いながら、当然のように俺のベッドに横たわった。


「いやいやいやいや。え? そこで寝るの?」

「コトを放っておけないでしょ」

「俺は?」

「エアマットで寝れば?」

「これ身体痛くするんじゃないの?」


 妹の愛情が深すぎて泣けてくる。


「しょうがない。俺が梨子の部屋で寝るか」

「わたしの部屋に入ったらねじ切るよ」


 ――なにを!?


 背筋がぞおっとした。


「そこのテントに入ればいいじゃん。パーティションにもなるし」

「テントとはいえ同じ部屋で寝るのはまずくないか?」

「わたしの友達のせいで、お兄に迷惑かけるのは忍びないから……」


 聖母のような微笑みを浮かべる梨子。


「梨子、お前……。――それを俺のベッドで寝ながらよく言えるな」

「じゃあ、おやすみ」


 梨子は俺に背を向けた。


「無視……」


 年下の女子たちが自由すぎる。


 ――仕方ない……。


 俺はテントをできるだけ部屋の端に寄せて、なかにエアマットを敷き、横になった。


 小ぶりのテントだから頭がはみ出してしまうが、頭のほうをなかにしてしまうのは息苦しいし、これくらいは許してもらおう。


 リモコンで消灯する。


 部屋が暗くなると、雨の音が急に大きくなったような気がした。隣で眠る琴吹さんの寝息や衣擦れの音がマスキングされるので助かる。


 でも琴吹さん独特のライチのような体臭はどうしても漂ってきてしまい、俺は早くも今晩の熟睡をあきらめざるを得なかった。


 まんじりともせず、ただただ真っ暗な天井を見つめる。

 そんな時間がどれくらい経過しただろうか。


「起きてます?」


 いきなり耳元でささやき声がして、俺はびくんとなった。


「よかった、起きてたんですね」


 俺の顔のそばに琴吹さんの顔があった。窓から入る街灯のかすかな明かりが彼女の輪郭をおぼろげに照らしだしている。


 彼女は夜の湖みたいな瞳をきょろきょろさせた。


「わたし、いつ寝ちゃったんですか?」

「ゲームで遊んだあと漫画を読みだしたと思ったら、いつの間にか」

「お恥ずかしいです……」


 沈黙。布団に入っているというだけで、こんなにも意識してしまうものかと俺は戸惑った。


「そういえばリリちゃん、起きませんね」

「あ、ああ、昔から寝つきがいいから。どこでも寝れる」

「なんか意外。枕とかマットレスの固さとか、すごくこだわりがありそうなのに」


 ふふ、と小さく笑う。

 そしてまた言葉が途切れる。


「そ、そういえばさ」


 と言ってから、俺は話題を探した。


「なんですか?」

「……今日はさ、なにを持ってきてたの?」


 突然の雷や豪雨でうやむやになっていた、今日の遊び道具のことを思い出した。


「あ、そうだ。ちょうど、ぴったりのやつです」


 ――ぴったりのやつ?


 琴吹さんはうんと手を伸ばしてバッグをたぐり寄せると、なかからメロンくらいの大きさの球体をとりだした。白くて、カメラのレンズのようなものがついている。なんだか目ん玉みたいだ。


 三脚で立てると、黒目――レンズが真上を向く。


「ホームプラネタリウムです」


 俺と琴吹さんのあいだに設置し、彼女は言った。


「先輩、テントから出ないとちゃんと見えませんよ」

「ああ、うん」


 俺はもぞもぞと動いて、上半身だけテントから出した。


「さあ、点けますよ」


 パチッとスイッチを入れたとたん――。


「おお……」


 真っ暗な天井が満天の星空になった。一瞬、外で寝転がっているのではないかと錯覚するほどリアルだ。ときおり彗星も流れている。


「すごいな……」


 思わず感嘆した、そのとき。


 俺の左手がきゅっと握られた。


「!?」


 しなやかで、ほっそりしていて、ぽかぽかした琴吹さんの手。


 俺は錆びたロボットみたいな動作で横を見る。


 琴吹さんはうっとりと星空を見あげていた。ちょっと潤んでいるようにも見える大きな瞳に、点々と星が映りこんでいる。


 手を握ったのはロマンティックな意味ではなく、ただ興奮して無意識に握ってしまっただけのようだった。


 ――ほんとに、この娘は……。


 おそらく俺の顔には苦笑いが浮かんでいることだろう。


 俺は星に目をもどした。


「あれが夏の大三角形だな」

「どれですか?」


 天を指さす。


「あそこ……、天の川の上流? って言っていいのかな。ひときわ光ってる三つの」

「あ、ああ。ありました」

「左がデネブ、右がアルタイル、その上のほうにあるのがベガ。はくちょう座と、わし座と――それから琴吹さんの星」

「わたし?」

「こと座」


 琴吹さんがくすっと笑った。その声を聞くだけで、俺の胸はじんわりと温かくなる。


「先輩、詳しいですね」

「小学生のとき、理科の資料集を読んで覚えたんだ」


 星が好きだったわけじゃない。先生に読んどけと言われたから読んだだけだ。

 勉強は与えられてやるもの。俺にとっては無味乾燥の義務みたいなものだった。


 でも俺は生まれてはじめて、心の底から、


『勉強しててよかった』


 と思えた。


 一通り星座を説明し終えて、ただぼんやりと星空を見あげる。

 ときおりキラッと瞬く星が、俺の記憶のどこかと共鳴する。


 それは小学生のころ、手つなぎ鬼で隠れた低木の陰だった。葉のあいだから点々と漏れる日の光は、風が吹くとゆらゆらと揺れて、それがまるで星のようだった。


「俺さ――」


 俺は琴吹さんに手つなぎ鬼の話をした。転校しがちで、友達がいなくて、手つなぎ鬼で自分だけ捕まえてもらえないんじゃないかって不安になって、わざと見つかった話。


 話を聞き終わった琴吹さんは俺を見て微笑んだ。


「じゃあ今度鬼ごっこをするときは、わたしと一緒に隠れましょう」


 予想外の答え。でもその瞬間、俺はすべてを悟った。


 俺は木の向こう側に迎えられたかったんじゃない。木の陰に一緒に隠れてくれる仲間がほしかったんだ。


 ざんざんと雨が降っているのに、俺の心は晴れになった。


「でもこの歳で鬼ごっこなんてするかな?」

「分かりませんよ」

「そうだな」


 琴吹さんとだったらあり得るかもしれない。


 プラネタリウムのスイッチを消す。

 いまさら俺の手を握っていたことに気がついた琴吹さんは、


「す、すいません……!」


 と謝り、布団をかぶってしまった。


 俺はテントに潜り、胎児のように丸まって眠る。


 夢を見た。夢のなかの俺は小学生で、低木の陰から、手をつないで走り回るクラスメイトたちをうらやましげに見つめている。


 寂しくなって、わざと見つかるために足を出そうとしたとき、俺は手を握って引っぱられた。


 その娘はショートカットで、好奇心旺盛な目をきらきらさせて、俺に言った。


『一緒に隠れてようよ!』


 俺は足を出すのをやめて、その娘と身体を縮めて笑いあった。


 そんな夢だ。なんのひねりもない。もうちょっと頑張れ、俺の想像力。


 ――でもまあ、悪くない夢だ。


 いや、夢のなかでくらいごまかすのはやめにしよう。


 ――最高の夢だった。




 朝食をとったあと、琴吹さんは父と母にもう一度丁寧に挨拶してから帰っていった。


 部屋にもどった俺は、スマホでにメッセージを送った。


 ――あと俺にできることは……。


 クローゼットに隠していたベースとアンプを引っぱりだして、俺は練習を開始した。

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