第二十四話 おうちでお泊まり2

 琴吹さんは、


「お礼もなにもできないので、せめて」


 と言って、冷蔵庫の残り物で夕食を作った。


 鶏ガラスープの素と牛乳、冷凍してあった豚バラやミックスベジタブルとミックスシーフード、そして冷凍麺。


「麺入りちゃんぽんだ!」


 俺の部屋の丸テーブルに並べられたラーメンどんぶりを見て、思わず歓喜の声をあげてしまった。

 キャンプ(インドア)のときの、あの絶品スープに麺が入ったのだ。うまいに決まっている。


 梨子は怪訝な顔をした。


「なにその『牛入り牛丼』みたいなの。ふつう入ってるものでしょ」

「それがなかったんだよ。――な?」


 と、琴吹さんに目を向ける。彼女はこくこくと頷く。

 微笑みあう俺たちを見て、梨子はますますいぶかしげな顔になった。


 麺入りちゃんぽんは期待以上にうまかった。鶏ガラの深いコクと、野菜と魚介類から出たダシが渾然一体となったスープ。アルデンテの麺。まずいわけがない。


 俺たち三人は無言で麺入りちゃんぽんをむさぼった。

 いの一番に食べ終えた俺を見て梨子は、


「お兄、消化に悪いよ」


 と顔をしかめたが、琴吹さんはなんとも幸せそうな微笑みで、すっかり空になったどんぶりを見つめていた。





 夕食を終え、琴吹さんと梨子は俺の部屋を出ていった。


 少しだけほっとする。夜が深くなるにつれ、琴吹さんが俺の家に泊まるという事実が首をもたげてきて、どうにも意識してしまう。


 ――なにしようかな……。


 ひとつ屋根の下に彼女がいる状況では、ドローンの練習も、ましてベースの練習なんかできない。


 未読の本をぱらぱらとめくって時間を潰していると、梨子と琴吹さんが俺の部屋に入ってきた。


 しかもふたりとも風呂上がりらしく、髪がしっとりしているし、ボディーソープの甘い匂いを漂わせている。


 俺の目は琴吹さんに釘付けになった。梨子の部屋着を借りたようで、見覚えのあるTシャツとショートパンツを身につけている。制服とジャージ、メイド服姿とは違う、肩の力の抜けた防御力の低い服装と、ほんのりピンク色に染まった肌に、俺はどぎまぎしてしまう。


 これは非常にまずい。


「な、なんで俺の部屋に?」

「わたしの部屋よりお兄の部屋のほうが遊び道具がたくさんあるから」


 梨子はぐるりと部屋を見回した。


「というか、この短期間でよくもまあ……」


 散らかり放題の部屋の様子を見て、呆れたように笑う。


「テントにゲーム機、メイド服にドローン、それにたこパ。なんかもう、人間の煩悩を体現したかのような部屋」

「そ、そうだ、梨子にぜひ食べてもらいたいものがあるんだった。ちょっと用意してくるよ」


 俺はキッチンへと一時退避した。シンクの縁に手をついてため息をつく。


 友達の家に宿泊するという緊張感があるらしく、琴吹さんが妙にしおらしく、大人しい。そのせいで、いつもは彼女の快活さと子供っぽさで隠れされていた大人っぽさや色気が立ちあがってきて、俺の心をかき乱した。


 心労で痩せそうだ。


 だから俺はキッチンへやってきた。リラックスしてもらって、いつもの琴吹さんにもどってもらうために。


 冷蔵庫から各種材料をとりだし、手早く下ごしらえする。それらをお盆に載せて、俺の部屋へ引きかえした。


 梨子が眉間にしわを寄せる。


「なに、それ」

「チョコ入りたこ焼きの材料」

「チョ、コ……?」


 俺はたこ焼き器のスイッチを入れた。


「意見が割れたんだ。俺は風変わりなスイーツみたいでイケると思ったんだけど、琴吹さんはまるで汚泥だって。な?」

「あ、はい」


 琴吹さんはまだ緊張気味だ。


 俺は温まった鉄板にタネを三つの穴に流しこみ、解凍したミックスシーフードのイカ(タコはなかった)と一口チョコを入れる。


 そしてピックでひっくり返す。琴吹さんの妙技を間近で見たからか、俺もなかなか手際よくできた。


 生地の焼けた香ばしい匂いと、チョコレートの甘ったるい匂いが部屋に充満する。

 三つのチョコ入りたこ焼きを皿に載せ、爪楊枝を刺して梨子に差しだした。


「ほら、梨子」


 梨子は顔をしかめていたが、ようやく受けとると、チョコ入りたこ焼きを口に入れた。


 はふはふ言いながら咀嚼していた彼女の表情が、どんどん曇っていく。ついにはテーブルにひじをつき、額に手を当ててうなだれてしまった。なんだか、場末のバーで悲しいお酒を飲んでいるOLみたいだ。実際に見たことはないけど。


「どう?」

「落ちこむ味」


 精神を直接むしばまれたらしい。


「ええ? おいしいと思うけどなあ」


 俺もたこ焼きを口に運んだ。琴吹さんの焼いてくれたたこ焼きみたいにジューシーではなかったけど、こっちも充分おいしい。むしろタコをイカにチェンジすることで、さらに完成に近づいた気さえする。


 俺は残りの一個を琴吹さんに差しだした。


「はい、琴吹さんも」

「絶対いやです」


 琴吹さんはきっぱりと拒絶した。


「どうして?」

「汚泥と知っていて口に入れるわけないじゃないですか!」

「いや大丈夫だって! イカに変えたことでさらにうまくなってるから」

「もともとおいしくないんですよ!」

「じゃあ、かなりましになってるから」

「じゃあってなんですか! 完全に後付けじゃないですか!」

「いいから食べて、考案者でしょ!」

「剣を考案したら斬られなきゃいけないんですか!」

「お兄」


 低く静かな梨子の声。その静謐なまでの調子に、俺はかえって恐怖を覚えた。


「は、はい」

「それからコト」

「はい」


 琴吹さんもこわばった表情で背筋を伸ばす。

 梨子は俺と琴吹さんをめつけた。


「食べ物で遊ばない」

「ごめんなさい」「ごめんなさい」


 俺と琴吹さんの声が完全にシンクロした。

 顔を見合わせる。俺は思わず吹きだした。琴吹さんも口元を手で押さえて笑っている。


「仲がよろしいことで」


 梨子は呆れたように言った。


「仲がよさそうだって。ね、先輩?」


 琴吹さんは照れくさそうな顔で、ちらっちらっと俺のほうに視線を寄こす。


 ――その『隠れて付き合ってるのバレちゃいましたね』みたいなリアクションやめてくれ……!


 梨子に誤解されないよう否定したかったが、せっかく琴吹さんがいつもの調子になったのに水を差したくなくて、俺はぐっと堪えた。


 琴吹さんは上機嫌だ。


「もっともっと仲よくなっちゃいますよ。ね、先輩?」

「うう……」


 俺は肯定も否定もできず、ただうめくだけだった。

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