第二十三話 おうちでお泊まり1
地元主催のイベントに執行部バンドが招かれたという噂を耳にはさんでから数日もたたないうちに、ベースの助っ人が手首を怪我して出演できなくなったという噂が流れてきた。
助っ人の男子が自転車での帰宅途中、転んで地面に手をついてしまい、左手首を捻挫したらしい。利き手は右手で日常生活に支障がないのは幸いだったが、ベースの演奏はできなくなってしまった。
ベースのパートはシーケンサー(自動演奏のPCソフト)でカバーするそうだ。
そして俺は、今日も今日とてベースの練習をしている。意欲は満々だ。だって、バンドに復帰するのは目的ではないから。
「やばっ」
そろそろ琴吹さんが遊びに来る時間だ。ベースの練習をしていることは彼女に秘密にしている。いきなり聴かせて驚かせようと考えているのだ。俺は慌ててベースをケースに仕舞い、アンプとともにクローゼットに押しこんだ。
床に落ちていた文庫本を手にとってベッドに横になり、読むふりをした。
しかし彼女はなかなかやってこない。手持ち無沙汰になった俺は、本当に本を読もうかと裏表紙のあらすじを確認した。
『ドS陶芸男子・
――どういうこと……?
大人しく陶芸に精を出せばいいものを。
「ん?」
いまなにか思いつきそうになって、あらすじを読み返した。
――……え?
「そうか、そういうことか……」
俺は、それこそ謎を解き明かした名探偵のようにつぶやいた。
そのとき、開け放した戸口から琴吹さんが入ってきた。
「先輩、わたしと楽しいことしましょう!」
俺は身体を起こし、
「ああ、いらっしゃい。今日はなにを――」
と、尋ねようとしたその瞬間。
視界が急に真っ白になったかと思うと、ドドン! と爆発音のような音が鳴って家がびりびりと震えた。
「
「雷ですね」
「すごい近かったぞ!!」
「ですね」
琴吹さんはバッグのファスナーを開けた。
「ところで今日持ってきたのは――」
「肝の据わり方がえぐい」
天然で物怖じしない琴吹さんの唯一苦手なものが雷で、「きゃあ!」なんてかわいい声をあげて抱きついてくる――なんてハプニングを妄想しなかったと言えば嘘になる。
でも、そこまでとは言わないから、せめてちょっとは怯える素振りくらいしてもいいのではないか。これじゃ相対的に俺のほうがびびったみたいだ。いや、びびったんだけども。というか、家が震えるほどの雷で、眉一つ動かさないほうがどうかしてる。
などと考えていたとき、琴吹さんの顔色が変わった。もう雷は鳴っていない。なのに彼女は眉間にしわを寄せ、窓のほうをじっと見ている。俺もつられて窓のほうに目を向けた。
外が瞬く間に暗くなっていく。空には黒々とした分厚い雲が垂れこめていた。
つぎの瞬間、どう! と天の底が抜けたような豪雨が降りそそぎ、屋根を、窓を叩く。鉄砲雨という表現があるが、まさに家が雨の銃弾を浴びせかけられているかのようだ。
琴吹さんはちょっと慌てたように言う。
「どうしよう、傘持ってきてない」
「いや、もうこれ傘でどうにかなるレベルじゃないだろ」
彼女の目がきらんと光った。
「なら水着で外に出れば解決ですね!」
「……うん?」
琴吹さんのなかでなにが解決したというのだろう。
「ああ、でもわたし、水着も持ってきてないんだった……」
と、残念そうに言う。
――あったらやる気だったのか。
琴吹さんならやりかねない、と俺は思った。
「お兄」
今度は戸口に梨子がやってきた。彼女はスマホの画面に目を落としたまま言う。
「台風の進路が変わったんだって。明日の朝までこんな感じみたい」
「まじか」
「明日は休みだし、コトに泊まってもらおうと思うんだけど」
「ああ、いいんじゃないか」
こんな天候のなかを帰らせるなんて酷だ。
「だって。コト、泊まっていきな」
琴吹さんのことだ、「やったー! お泊まり!」とか言って喜ぶ、かと思いきや。
彼女は戸惑いの表情を浮かべていた。そしてためらいがちに言う。
「でも……、そんないきなり泊まるなんて、迷惑じゃないですか?」
「い、いや、べつに遠慮することないぞ」
梨子もうんうんと頷く。
琴吹さんはしばらく逡巡したあと、
「じゃあ、お言葉に甘えて。よろしくお願いします」
と、ぺこりと頭を下げた。
「お母さんに連絡――あ、それよりご両親に挨拶しないと」
「いまお母さんしかいないけど」
「じゃあ挨拶させてもらっていい?」
梨子と琴吹さんは階段を下りていった。
――ええ……?
うめき声が漏れそうになる口を手のひらで押さえた。
――すごいいい子じゃん……!
もともと琴吹さんはすごくいい子だとは思っていた。でもその『いい子』というのは天真爛漫とか、明朗快活とかそういった類の意味だ。
でも、先ほどの彼女は、生真面目で、礼儀正しい――そういう意味での『いい子』だった。
胸に痛みにも似た甘い感覚が走る。
「ダメだ……」
最近の琴吹さんは、ことあるごとに俺をこんな気持ちにさせる。
いや、俺が彼女への気持ちを募らせすぎているから、こんなことになっているのか。
「はあ……」
俺はため息をついてベッドにごろんとなった。
「大丈夫かな……」
琴吹さんとひとつ屋根の下、夜を明かす。
不安と、それよりも大きな期待や喜びにいても立ってもいられず、俺は寝返りを打った。
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