第二十八話 おそとでバンド活動2
琴吹さんはタープからさほど離れていない駐車場の縁石に腰かけていた。俺が近づくと、待っていたみたいに顔を明るくして立ちあがった。
きれいに刈りこまれた垣根の向こう側では、執行部バンドの面々が学校の生徒と思しきグループに囲まれている。なかには引退した前会長の姿もあった。
俺は琴吹さんのほうに目をもどし、まっすぐ歩みを進める。そして彼女の前で立ち止まり、手のひらをかかげた。彼女はすぐに察してハイタッチをした。
「すごく……、か、かっこよかったです……!」
照れくさそうに言う琴吹さん。
「ありがとう。それから、来てくれてありがとう」
俺はじっと彼女の目を見つめて、言った。
その名前を。
「宮前さん」
彼女は表情をこわばらせた。
「琴吹さんの苗字、宮前だよね?」
「……なんの、話ですか」
「『宮前さん』に、俺が執行部バンドのベースとしてふれあいパークに参加するって連絡したんだ。そして琴吹さんがやってきた。だからだよ」
「リリちゃんから聞いたんですよ」
「梨子には『ふれあいパークの手伝いをすることになった』としか伝えてない。俺がライブに出ることは『宮前さん』にしか知らせてないんだ。でも琴吹さんはサイリウムまで持って応援に来てくれた」
「間違えました、学校で小耳にはさんで」
「俺が助っ人に入ることは周知されてない。内々で決まったことだから」
「……執行部の誰かを応援に来たのかも」
「それに関しては否定する材料はない。でも俺は、琴吹さんの応援があったから演奏を成功できたと思ってる」
すると琴吹さんはくしゃっと顔を歪めた。
「そんな言い方ずるいです……。ずるいですよ……」
そしてなかば叫ぶように言う。
「先輩を応援しに来たに決まってるじゃないですかっ」
「嬉しいよ」
彼女は空を振り仰いで「ああ……」とため息のような声を漏らした。
「ドジったなあ……。いずれバレるとは思ってましたけど」
「前から怪しいとは思ってた」
「え!? 今日気づいたのではなく?」
「今日のは確認みたいなものだよ」
「いつから、ですか?」
俺は思い出しながら話す。
「確信したのは泊まった日かな。あの日、積んでおいた小説のあらすじを見たとき気づいたんだ。ヒロインの名前が『
「……」
「キャンプのとき俺が『下の名前ってなんなの?』って尋ねたら琴吹さん、ふわっとごまかしたよね? なんでそんなことするんだろうって、なんとなく引っかかってて。ヒロインの名前で氷解したんだ」
「それだけで?」
「いや。思いかえすと、遊びのチョイスに不自然な点があるな、と。俺がリラックスできてないときに足湯、余裕のないスケジュールを立てて追いつめられていたときにキャンプとたき火、ちゃんと飯を食えてないときにメイドカフェで弁当、それから運動不足で疲れやすい俺にトレーニングを勧めてきたり。まるで俺の私生活を熟知していたみたいに」
「……」
「でも最近知りあったばかりの琴吹さんが、俺のことを詳しく知っているわけはない。知っているとすれば――梨子。だから梨子から俺のことを聞いて、それでつぎになにで遊ぶかを決めていたんじゃないかって。問題は、警戒心の強い梨子が、身内のことをぺらぺら話すかなってところだけど――琴吹さんさ」
「は、はいっ」
改まって名前を呼ばれ、琴吹さんは気をつけをした。
「昔、水泳教室で梨子と面識あった?」
「……はい」
「なら分かる。懐かしさも手伝ってって感じかな。まあ、『付きあいはじめてひと月とたっていない』って梨子は言っていたから、そんなに親しい間柄ではなかったんだろうけど」
琴吹さんはこくりと頷いた。
「前に会ったときのわたしは、いまと見た目もしゃべり方も全然違ったし、直接会ったのは一回だけだから絶対にバレないと思ったのに……」
「一緒にトレーニングをしたとき、梨子の物真似したでしょ? すごく堂に入っていて驚いたんだよね。だから思ったんだ、『琴吹さんはキャラを演じるのがうまいんだなあ』って。それも推理の助けになった。ただ、あの赤と黒の髪は染めてたんじゃないよね?」
彼女は「そこまで……」と感嘆の言葉を漏らした。
「梨子は水泳をやめた理由を『髪が焼けるから』って言ってた。『宮前さん』だったとき髪が半分赤かったのって、染めてたんじゃなくてプールの塩素のせいだよね? 半分黒かったのは、水泳をやめてから伸びた部分」
「……はい」
「それから、琴吹さんが遊びに来るようになったのは『宮前さん』に俺が執行部に入れなかったことを連絡して間もなくのことだった。全部状況証拠だけど、それらを総合すると『琴吹さん
「ごめんなさい……」
琴吹さんはうちひしがれたみたいに肩を落とし、頭を下げた。
「え? い、いや、なんで謝るの? 琴吹さんは俺のために来てくれたんでしょ? メイドカフェのとき『鶴の恩返しなの?』って言った俺に、むきになって否定してた。あれってつまり、図星をつかれて焦ったってことだよね?」
「……」
「むしろ俺は礼を言いたいんだ。ありがとう、琴吹さん」
俺は頭を下げた。
なにより俺が感謝したいことは、琴吹さんと出会えたこと自体なんだけど、それは黙っておいた。
「リリちゃんにも……」
「え?」
「リリちゃんにも言ってあげてください。リリちゃん、口では厳しいことを言っていたけど、先輩のことすごく心配してましたから」
「……うん」
そのあと、琴吹さんは俺の推理を捕捉してくれた。
「わたし、昔から見た目が地味で、きれいなアクセサリーやシュシュをつけてる子たちがうらやましくて……。でも、水泳に打ちこんで髪の色が抜けはじめたら、そういう子たちが仲間に入れてくれるようになったんです。だからその子たちに合わせて、カラコンを入れたり、メイクやしゃべり方も変えたりして。――でもそれがちょっと息苦しくなってきていて。先輩に会ったとき『地味だからこそ、欠けちゃダメなんだよ』って言われて、『あ、わたし、地味でも居ていいんだ』って嬉しくなって……」
『宮前さん』と連絡をとりあうようになってほどなくして、『メイクを変えた』『髪を切った』と言っていた。あのとき、いまの琴吹さんになったのだろう。
「直接お礼を言いたくなって、先輩と同じ学校を目指したんです。でも冷静に考えると、それってかなり重いなと思って、会いに行く勇気が出なくて……。リリちゃんと再会したのは偶然です。懐かしくて、しゃべるようになって。――そんなときに先輩から『執行部に入れなくなった』って連絡が来たんです。で、よくよく聞いたらリリちゃんが先輩の妹で、びっくりして。なんだか落ちこんでるみたいという話を聞いて、わたし、リリちゃんに提案したんです。『先輩を癒やそう』って。――あとはほとんど先輩の推理どおりです」
文化祭のとき俺が何気なく言った一言で、こんなにもいろいろと悩み、考え、変わり、そして恩に思っていてくれていたことに、俺はかえって申し訳ないという気持ちと、それ以上の喜びを感じていた。
琴吹さんは恐縮したように首をすぼめている。
「ひとつ――いや、ふたつ質問いいかな?」
「どうぞ」
「どうして『宮前さん』であることを黙っていたの?」
「それは……」
少し言い淀む。
「『宮前さん』だったことをアドバンテージにしたくなかったんです。本当の自分で勝負がしたくて……」
『宮前さん』は彼女にとって仮面だったのだろう。偽りの自分よりも、本当の自分を見てほしいという気持ちは理解できる。
ひとつ、疑問が晴れた。さて、ふたつめ。こちらが本題と言ってもいい。
「琴吹さんさ――」
満を持して、俺は尋ねた。
「どうして笑顔を隠すの?」
すると彼女の目が泳いだ。頬が紅潮し、もじもじと挙動不審になる。さっきの質問より明らかに言いづらそうだ。そんなに深刻な問題なんだろうか。
「だ、だって……」
「だって?」
「だって!」
琴吹さんは大音声をあげた。
「だって――わたし八重歯なんですもん!」
「……………………はい?」
八重歯?
「口を大きく開けたら八重歯が見えちゃうじゃないですか!」
「い、いや、見えてもいいだろべつに」
「先輩が思ってるやつの倍、八重歯なんです! もう十六重歯なんですよ!」
「どういうことなの」
琴吹さんはさんざんためらったあと、えいやとばかりに口の端を指で持ちあげた。
俺は彼女の歯を凝視した。たしかに、向かって右側に大きな八重歯がある。
「ほんとだ。でも十六ってほどじゃない」
俺がそう言うと、琴吹さんの顔がぱっと明るくなる。
「そ、そうですか?」
「十一くらい」
「うわあああああん!」
彼女は慟哭するみたいな声をあげた。
――あ。
思い出した。チョコ入りたこ焼きを食べたとき、琴吹さんは『歯につく』という理由で青のりをかけるのを嫌がった。キャンプのとき『バンパイアなの?』とからかったら必死に否定していた。
八重歯を気にしていたんだ。
俺は思わず笑った。
「ほらやっぱり! やっぱり笑うじゃないですかあ!」
「いや、違うんだ。八重歯を笑ったんじゃなくて」
拍子抜けして笑えてきたのだ。そんなつまらないことだったなんて。
いや、つまらないことじゃないな。琴吹さんは本気で気にしているんだから。
目に涙をにじませて、ぷりぷりしているしている琴吹さん。
「かわいいよ」
「……え?」
「八重歯。かわいい」
一瞬きょとんとした琴吹さんは、頬をさらに赤くして口元をひくひくさせる。笑うのを我慢しているときの顔だ。
「もう隠さなくていい。俺、琴吹さんの八重歯、好きだよ」
ついに耐えきれなくなったように彼女ははにかんだ。口が薄く開き、白くて大きな八重歯が顔を出す。チャーミングな笑顔。
くそっ、ほんとにかわいい。3Dプリンタでフィギュア化して机に飾っておきたいくらいだ。
「先輩、やっぱり笑ってる」
せっかくの笑顔がまたふくれ面になってしまった。
笑顔の愛らしさと、やっと笑ってくれたことが嬉しくて、顔が緩んでしまっていたらしい。
このままじゃまた笑顔を隠すようになってしまうかもしれない。
――追い追い見せてもらえばいいし……。
これ以上地雷を踏まないように、俺は話題を変えた。
「でも、恩返しなんて、琴吹さんは義理堅いな」
「それは……」
すると琴吹さんはくちびるを結んで黙りこんでしまった。うつむき、ぎゅうっとビッグTシャツの裾を握っている。
「……違います」
「なにが?」
「先輩の推理で、そこだけ間違ってるんです」
琴吹さんは顔を上げる。真剣な表情。
「わたしが、先輩の部屋に遊びに来た理由。恩返しもゼロではありません。でも本当の理由は違うんです」
「本当の理由って……?」
「……」
胸に手を当てて深呼吸をする琴吹さん。やがてゆっくり、はっきりと話しはじめた。
「はじめて文化祭で話したときから、思ってたんです。わたしの嫌味にも嫌な顔ひとつしない心の広さがあって、連絡先を交換してからは、とりとめもないわたしのメッセージに真剣に返事をくれて、それから、家族をとても大事にしていて、努力家で、なによりわたしに『地味でもいいんだ』って気づかせてくれた、そんな先輩が、わたしは――」
――え、待って。これって……。
琴吹さんの必死な表情、紅潮した顔、張りつめた空気。これはまるで、まるで……。
「先輩が……!」
ダメだ。琴吹さんは優しくて、天然で、ひととの距離感が測れないから、友達の兄貴の部屋に遊びに来てしまう、そういう娘でいい。
「わたしは……!」
「待っ……!」
「危ういなあって思って」
俺は琴吹さんのほうに手を伸べたまま固まった。
「……あや、うい?」
「はい。だって、他人のことばっかり気にしてるじゃないですか。もっと自分を大切にしないと、ストレスで倒れちゃうんじゃないかって心配で心配で」
ぽかんと突っ立つ俺。
「どうしたんですか」
「い、いや、俺はてっきり――」
はっと口をつぐんだ。琴吹さんは小首を傾げる。
「てっきり、なんですか?」
「いや、ええと――な、なんだったかな。なにを言おうとしてたか忘れた」
「おかしな先輩ですね」
ふふ、と笑う。俺も、はは、と笑った。
「琴吹さんはやっぱり優しいな」
「いまごろ気がついたんですか? 鋭いくせに、変なところで鈍感なんですね」
琴吹さんは足元に目を落とし、つぶやくように言った。
「……ほんと鈍感」
「え?」
ぱっと上げた顔には、いつもの朗らかな微笑みが張りついていた。
「いえ、なんでもありません。――それよりなにか食べに行きませんか? 疲れてるでしょう? ちゃんと栄養補給しないと」
「だったら俺のうちに行こう。帰りにスーパーでタコ買って」
「たこ焼きが食べたいんですか? だったら屋台でも」
「琴吹さんのたこ焼きが食べたいんだよ」
琴吹さんはくすっと笑う。
「分かりました。腕によりをかけます」
「チョコ入り――」
「入れません」
「否定が早すぎる」
俺たちは駄弁りながら、ふれあいパーク会場をあとにした。
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