第二十九話 おうちで寸止め
ふれあいパークでの出し物を成功させて意気軒昂だった俺は、学校でその知らせを受けとり、いきなり絶望の淵へ叩き落とされた。
――なんで……。
俺は頭を抱えた。
――なんでこんなことに……!
俺の机の上には一枚の紙。そこにはこう書かれていた。
『赤羽利凌久 58点』
――英語は自信あったのに……!
中間テストが返却されたのである。
世の中、甘くない。あちらが立てばこちらが立たずだ。
勉強は蓄積である。空回りしていた期間が長かったから、蓄積が足りなかったのだろう。
数日のうちにすべてのテストが返却された。点数はどの教科も似たり寄ったり。
――つぎ、頑張ろ……。
ちょっと前の沸き立つ気持ちが嘘だったように、俺は厳粛な気持ちで帰宅した。
◇
「先輩、わたしと楽しいことしましょう!!」
琴吹さんは俺の部屋に入ってくるなりいつもより三割増しくらいの大きな声で言って、スポーツバッグを床に置いた。
「今日はなにを持ってきたの?」
「いろいろです!!!!」
「おお? 声のボリューム壊れちゃったか?」
頭蓋骨に響く声だ。
「わたしふだんからこんな声じゃなかったでしたっけ!?!?」
「ご近所さんにしばき倒されそうだな」
「まあまあ! 今日も張りきって遊びましょー!」
琴吹さんは丸テーブルを壁に寄せて、バッグからとりだしたデジタルダーツボードを立てかけた。
「ダーツか。俺、ダーツってちょっとやってみたかったんだよ」
最近、琴吹さんの影響か、いろんなものに興味を持てるようになってきた。ネットのニュースでとある俳優の趣味がダーツだと知り、その洒落た感じに心が惹かれたのだ。
「喜んでくれてよかったです!」
「ははは」
琴吹さんは目尻に涙を浮かべた。
「ほんとに……、ほんとによかったです……!」
「そんなに?」
今日の琴吹さんは、いつにも増して情緒がおかしい。
彼女は目尻をぬぐい、苦笑を浮かべた。
「しんみりするなんて変ですよね」
「ほんとにそう思う」
「思いきり楽しみましょうね……!」
琴吹さんはデジタルダーツボードのスイッチをオンにする。
しかし、うんともすんとも言わない。
「……あれ?」
何度かスイッチをオンオフしても事態は変わらなかった。
「おかしいな……」
「電池が切れてるんじゃないの?」
「そうかもしれません。電池を交換してテストしてみ――はあっ!?」
琴吹さんは息を呑み、口元を押さえた。
「……どうした?」
「い、いえ。て、て、テス……、じゃなくて――
ひとりで大騒ぎしたあと、ダーツボードを仕舞ってしまった。
「やめましょう! 先輩ももう冷めちゃいましたよね?」
「まだ温まってもないけど」
「ほかにも持ってきましたので!」
有無を言わせず、琴吹さんはべつの遊び道具をとりだした。
「バックギャモンです!」
小さな皮のアタッシュケースのような外観だった。開くと、なかにはオセロに似た駒とサイコロ、それからサイコロを振るためのカップが入っている。ケースの内側には白と黒の細長い三角形が交互に描かれており、シマウマの模様を想起させた。
「噂には聞いたことがあるけど、実際に見るのははじめてだな」
「でしょう! 『噂には聞いたことがあるけど、実際に見るのははじめてなゲーム』ランキング一位のやつです!」
「そうなの?」
「知りません! 適当に言いました!」
「なんなの」
ほんとに情緒どうした。
「複雑そうに見えてルールは簡単です。駒を所定の位置に置いて、サイコロを振ります。そして出た目の数だけ駒をゴールのほうに動かせます。先にゴールすると一点――はあっ!?」
琴吹さんはまた息を呑み、口元を押さえた。
「なに? どうしたの?」
「い、いえ、一てn……じゃなくて、
ひとりで大騒ぎしたあと、バックギャモンを仕舞ってしまった。
「すいません! ルール忘れました!」
「簡単なんじゃなかったの?」
「まだほかのがありますので!」
そう言ってつぎにとりだしたのはトランプだった。
「やっぱり定番はこれです!」
「まあ安心感はあるな」
「でしょう! ふたりでも盛りあがるスピードをやりましょう!」
琴吹さんはトランプを赤のカードと黒のカードに分けて、俺のほうに黒のカードを手渡した。
「どうやるんだっけ」
「手札をよくシャッフルして手前に四枚並べます」
「ふむふむ」
「そしてもう一枚、先輩とわたしの中間に――はあっ!?」
琴吹さんはまたまた息を呑み、口元を押さえた。
「……」
「ちゅ、ちゅうかn……じゃなくて、あ、あああ……!」
「琴吹さんさ」
俺は頭をかく。
「俺、べつに中間テストのことで落ちこんだりしてないから」
「……」
琴吹さんは顔をこわばらせてうつむいた。
「あ、べつに責めてはないよ。元気づけてくれようとしたんでしょ? むしろありがとうだよ」
最初からテンションが高かったのも、テストや点、中間といった単語を避けていたのも、全部俺のため。空回りだったけど、その気持ちはすごく嬉しい。
俺を励ましにきた琴吹さんは、しょんぼりと肩を落としている。そのテンションの落差に俺は笑いそうになったが、なんとか我慢した。
そのとき、俺はふと冷静になった。
琴吹さんは俺が心配だから遊びに来ていると言っていた。今日も、テストの結果が
俺がなんともないと分かったら、来る理由がなくなってしまう。
さあっと血の気が引いていくのが手にとるように分かった。
琴吹さんはちらっと腕時計を見た。
何気ない仕草だったかもしれない。でもいまの俺には『やることもなくなったし、もう帰ろうかな』という気持ちを体現した仕草に思えた。
「話をしようか!」
琴吹さんのことをどうこう言えないくらいの大声で俺は言う。
彼女はびくりと首をすぼめた。
「は、話ですか……?」
「そ、そう。考えてみたらさ、俺たちってゆっくり話をしたことなくない?」
「たしかにそうですね」
琴吹さんは俺の横に並んで座った。微笑みを浮かべ、小首を傾げるようにして俺の顔を見る。
「じゃあ、なにを話しましょうか?」
その近さと、体温、そして吐息と香りで、俺は一瞬のうちにどぎまぎした。
以前ならばこの隙だらけな行動を俺はたしなめていたはずだ。しかし、琴吹さんへの想いを募らせてしまったいまでは、もったいなくて「離れて」なんてことは言えなくなってしまっていた。
俺たちはたわいもないおしゃべりをした。
ほとんど琴吹さんがしゃべっていたような気がする。内容は彼女のお母さんのことだったと思う。正直なところ、あまり覚えていない。よく覚えているのは、楽しそうに話をする彼女の横顔ばかりだ。
楽しい時間が過ぎる。しかし楽しければ楽しいほどあっという間で、ふと気づくと窓の外はほの暗くなりはじめていた。隣家の屋根の向こうに見える空が紫色に染まっている。
琴吹さんは腕時計を見た。
「あ、そろそろ」
その仕草と言葉だけで、俺は心臓をきゅうっと絞られるような寂しさを感じてしまう。
彼女はスポーツバッグを肩にさげた。中身はいつもどおり俺の部屋に置いていくようだ。
でも、私物を置いていくからと言って、これからもずっと彼女が遊びに来てくれる保障なんてない。第一、もう俺の部屋に来る理由がないのだ。
「じゃあ、帰りますね」
そう言って戸口の敷居をまたいだ彼女の手首を、俺はつかんだ。
「先輩?」
ちょっと驚いたような顔で振りかえる琴吹さん。
俺も少し自分の行動に驚いていた。でも衝動的だからこそ、本心からの行動だと言える。
俺は彼女の手首をつかんだのと同じように、衝動に任せて言葉を吐きだした。
「また来てほしい」
「……え?」
「俺の部屋に来る理由はもうなくなっちゃったかもしれないけど……。それでも、来てほしいんだ……!」
「あ、あの……」
頬を染め、目を泳がせる琴吹さん。
「琴吹さんのおかげで俺、すごく癒やされたし、救われた。でもさ、ダメなんだ。俺、すごくダメなやつで……、またすぐダメになっちゃうそうだからさ。頼む……、お願いだ……!」
「や、やめてください!」
はっきりとした拒絶の言葉。俺は彼女から手を離した。
「……どうして? やっぱり、もう理由がないから? それとも嫌になった……?」
視界がじわりとにじむ。
琴吹さんは湯気が出そうなほど顔を赤くして、左を指さした。
廊下に顔を出し、彼女の指さしたほうを見る。
梨子と目が合った。自分の部屋から顔を出し、こちらを見ている。
梨子はいやらしい笑みを浮かべ、手で口元を押さえた。
「おやおや、わたしはお邪魔虫のようで」
「ち、違う! これは……、そういうのではない!」
「つづけてつづけて。わたしに遠慮なんていらないんだからさ」
「本当に違うんだって……!」
梨子は「うふふふふ」と笑い、部屋に引っこんだ。
ぱたんとドアが閉められる。
俺と琴吹さんは向かいあったまま無言で立ち尽くす。
「あ、あの……」
やがて琴吹さんが口を開いた。
「か、帰ります」
「う、うん」
ぎくしゃくした動作で階段を下りていく彼女を、俺は呼び止める。
「あ、あのさ!」
琴吹さんは振りかえり、
「また来ます」
と、微笑んだ。
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