第十七話 アナザーサイド―姉小路さんは甘えられたい1

 昨年の赤羽利あかはりくんの働きぶりは執行部員としてふさわしいものだった。とくに、急遽結成することになった執行部バンドのベースをたった一ヶ月でマスターしてきたことは特筆に値する。


 それでも執行部に招かなかったのは、彼の言動に危うさみたいなものを感じたからだ。


 バンドを組んだときなんかとくにそう。触ったこともないベースの演奏をふたつ返事で受け、たゆまぬ努力でものにした。本番の演奏を成功させ、文化祭を盛りあげられたことにさぞ喜んでいるかと思えば、出てきた言葉は、


『それより俺、大丈夫だった?』

『迷惑かかってない?』


 だった。


 ひとは『周囲に迷惑をかけたくない』というモチベーションだけで、あそこまで努力できるものなのだろうか。このままでは彼を壊してしまう――いや、もうどこか壊してしまっていたのかも。


 そう思うと怖くなって、わたしは彼を拒んだ。


 ただ少し、伝え方はよくなかったかもしれない。


 いや、『ロックじゃない』という言い回しは、赤羽利くんの行動の空虚さをうまく表現できていたと思う。


 ただ、あるいは、もしかすると、万が一、ほんのちょっぴり分かりづらかったかもしれない。ロックに心酔するあまり、ロックが万能であると信じこんでいるところが、わたしにはある。


 もしかすると、煙に巻かれたと思われてるかも。


 突き放す形になってしまった赤羽利くんのその後が心配になり、わたしは彼女を呼び止めた。


「赤羽利さん、だよね?」

「はい?」


 朝、友人と並んで教室へ向かっていた赤羽利くんの妹――梨子さんに声をかけた。彼女はメガネのレンズの奥から意志の強そうな視線を送ってくる。


「わたし、姉小路っていうんだけど」

「知ってます」

「お兄さんは、いまどんな感じ?」


 我ながら要領を得ない質問だ。彼のことが気になっているのに、いざ訊くとなるとびびってしまった。


 また分かりづらいことを言ってしまったと自己嫌悪する。

 でも梨子さんは小首を傾げるような仕草をしたあと、


「大丈夫ですよ」


 と、まるですべてを察したかのように答え、なぜか隣の友人に、


「ね? コト」


 と話をふった。

 コト、と呼ばれた友人はちょっと驚いたような顔をしたあと、曖昧に微笑んだ。


「むしろ先輩には感謝してます。おに――兄は、あまり執行部の仕事に向いていないと思っていたので」

「そう、ね」


 わたしは頷いた。でもわたしの意識は九割方、コト、呼ばれた女の子のほうに向いていた。


 少し緊張したような面持ちで手を重ね、気をつけするみたいに立っている。


 わたしはそんな彼女から目が離せなかった。話がふられる前は梨子さんの友人Aとして視界にも入っていなかったのに、いったんそこにいると意識すると、控えめで楚々とした美しさに目を奪われてしまう。


 梨子さんは「では」と会釈するとわたしの横を通りすぎていった。コトさんも固い表情のまま小さくお辞儀して梨子さんにならう。


 廊下の角を曲がるふたり。わたしはコトさんのことが気になってあと追った。


 わたしが角に差しかかった瞬間、


「緊張したあ!」


 という声が聞こえて、思わず身を隠した。角から頭だけ出して様子を窺う。


 コトさんが梨子さんに抱きついていた。


「会長さんとはじめて話をしたよ~」

「コトは話してなかったでしょ」

「ん~、そうだっけ?」


 コトさんは梨子さんの胸に顔をこすりつけている。


「ちょっと、誰かに見られるでしょ」


 梨子さんが注意すると、コトさんは上目遣いで、ちょっと口をとがらせるようにして、


「ダメ?」


 と駄々をこねるみたいに言った。

 梨子さんは顔をそらし、メガネを指で押しあげた。頬が少し赤い。


「ひ、ひとが見てないなら、いいけど……」

「やった」


 コトさんは幸せそうな表情で梨子さんの胸に顔を埋めた。


 わたしはうめき声が出そうになり、口を手で押さえてうずくまった。


 ――かわいっ……!


 真面目で大人しそうな彼女が気を抜いた瞬間の、あの愛くるしさはどうだ。


 ――天使……?


 わたしはもう一度、角から顔を出したが、ふたりが離れていく背中が見えるだけだった。


「ああ……」


 ちゃんと目に焼きつければよかったと、思わず後悔のため息が漏れる。


 わたしは立ちあがり、胸の下で手を組んだ。


 ――わたしもコトさんに甘えられたい……。


 一緒にライブに行ったりご飯を食べたり「お姉ちゃん」って呼ばれたりしたい。「お姉様」でもいい。


 ともかく彼女とお近づきになりたい。


 わたしは生徒会室へ歩みを進めながら、コトさんとねんごろになるための計画を練った。

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