第二十話 おうちでドローン2

「お待たせしました」


 琴吹さんは顔を手でぱたぱたとあおぎながらもどってきた。

 なにかを持ってきた様子はない。


「忘れ物って?」

「え? ええと……。い、行ってきますのチュー、とか……」


 せっかく手で風を送っていたのに、彼女の顔は余計に赤くなる。


「じょ、冗談です! わたし、するよりしてもらいたい派なので――ってなに言わせるんですかあ!」

「俺はなにも言ってないけど……」


 琴吹さんの顔はもう赤外線ヒーターみたいな色になっている。


「するほうかされるほうか選ぶならされるほうというだけで!」

「したくないのか」

「いえしたいかしたくないかで言えばしたいんですけど、でもそこまで積極的ではないというか、でも頑なに否定するほどしたくないかと言えばそんなことはなくて、じゃあやっぱりわたしはチューがしたいということになるんですけど……、あれ……?」


 琴吹さんは目をぐるぐる回している。

 いけない、このままでは琴吹さんがオーバーヒートしてしまう。


「ま、まあ、その件はもういいだろ。ドローーン! で遊ぼう、ドローーン! で」

「そ、そうですね、準備します」


 琴吹さんはまだ若干ふらふらとしながら障害物を作りはじめた。

 本を鳥居やトンネルのように積み、その先には丸テーブル、テーブルの上にカップの皿を二枚置いた。


 しゃがんだり四つん這いになったりするせいでスカートがずり上がってしまうが、今日は琴吹さんの白いふとももが露わになることはなかった。


「琴吹さん、今日はタイツなんだな」

「え? 違いますよ。これ、サイハイソックスです」


 と、スカートをめくり上げようとする。


「いい! 見せなくていい!」


 しかし、俺もいいかげん慣れた。琴吹さんのつぎの行動を予測し、事前に制止することに成功した。


「はあ」


 なんでそんなに慌ててるのか、みたいな顔をする琴吹さん。例によって欲望に打ち勝った俺のほうが不純に見える理不尽な状況。


 残念ながらこちらには慣れてない。なんだか無性に恥ずかしく、穴があったらダイブしたい気持ちになる。


「ともかく! 障害物競走をしようじゃないか!」

「先輩、今日は声が出てますね」


 誰のせいだ。


「その本を潜ればいいんだろ?」

「はい。本のトンネルとテーブルを潜って、旋回して、先にお皿に着地したほうが勝ちです」

「なるほど。でも、俺のほうが不利じゃない? 触ったこともないし」

「じゃあまず練習しましょう!」


 と、コントローラーを渡してくる。


 琴吹さんから基本操作のレクチャーを受け、俺はコントローラーのスイッチをオンにした。


 ピピッ! と音がして、並べられたドローンのうち一機のLEDが点灯する。


 ちょっとわくわくする。このシチュエーションに興奮しない男はいないだろう。


 だからだろうか、指に力が入った。左のスティックを目一杯倒してしまう。

 するとドローンはジャンプするみたいに急上昇して、横に立っていた琴吹さんのスカートに引っかかり――めくり上げた。


 ミーン! と鳴きながら琴吹さんのスカートをめくり上げるドローン。いや、ドローンのせいにしてしまったが、操作しているのは俺だ。つまり俺が琴吹さんのスカートをめくり上げている。


 腰の側面に引っかかったので、幸い下着は見えなかったが、サイハイソックスが食いこんでむにっとなった、白くて柔らかそうなふとももが露わになってしまっていた。


「あああああ!? ごめんごめんごめーん!」


 謝りつつも、操作方法がよく分からない俺は彼女のスカートをめくりつづける。

 しかし琴吹さんはまったく動じていない。


「なんだ、やっぱりサイハイソックスが見たかったんですか?」

「違うの! 操作が分かんないの!」

「かわいくないですか? とくにこのリボンのワンポイントがお気に入りなんですよ~」

「じゃなくて、もっと危機感を持って!」


 琴吹さんは首を傾げる。


「危機感? なんのですか?」

「男にスカートめくられてるんだよ!?」


 琴吹さんはきょとんとした。


「でも、先輩がわたしに嫌なことをするわけないじゃないですか?」


 その言葉に、俺は目を見開いた。


 琴吹さんとしては何気なく口にした言葉のようだった。でも――いや、だからこそ、心の底から信頼されているということが分かる。


 どうしてそこまでと思う気持ちもあったが、そんなものは腹の底から湧いてきた歓喜と愛おしさに押し流されていった。


「先輩、どうしたんですか?」

「え!? いや、その……」


 俺は顔をそらした。なぜか琴吹さんのことが真っ直ぐ見られない。


「着陸したいなら、左の丸いボタンを押すといいですよ」


 俺は言われたとおりにボタンを押した。ドローンは琴吹さんの足元に着陸する。


 琴吹さんは例の「くふふ」という笑い声をあげた。


「先輩にも、意外と不器用なところがあるんですね」


 俺は彼女の顔に目をもどしたが、やっぱり照れくさくなって視線をそらした。


「うん……、俺、不器用かも……」


 すると琴吹さんは慌てたように、


「そ、そんなに落ちこまないでくださいよ! 誰にだって苦手なことはあります。だから一緒に練習しましょう。ね?」


 不器用と言ったのは、ドローンのことではない。でもそれを琴吹さんに告げることははばかられた。


 その後、ドローン操縦の練習をしてみたが、どうにもうまくいかなかった。


 急上昇して天井にぶつかってみたり、ひっくり返って墜落してみたり、前後を見失って自分に激突させたりした。


 こんなことではトンネルを潜るなんて夢のまた夢だ。これじゃあ宝探しのときみたいに琴吹さんをがっかりさせてしまう。


 恐る恐る顔色を窺う。

 琴吹さんは優しく微笑んでいた。


「先輩、こうしましょう。まずベッドに腰かけてください」

「なんで?」

「いいからいいから」


 俺は言われるがままにベッドに座る。

 琴吹さんもベッドに乗った。膝立ちになり、俺のほうににじり寄ってくる。


「え、な……」


 なにをするつもりなのかと問いただす間もなく、彼女は俺の背中にぴったりと身体をくっつけた。


 後頭部に柔らかいものが押し当てられる。


「っ! こ、琴吹さん……!?」


 彼女の手が、肩から指先のほうへ、俺の腕を撫でるように移動していく。


 くすぐったくてぞくぞくする。


 琴吹さんの手はそのまま腕の上を滑り――。


 俺の手の上からドローンのコントローラーを握った。


「さ、わたしが手取り足取り教えてあげますよ!」


 琴吹さんは俺の頭の上からそう元気よく申し出た。


 はあ、と俺はため息をつき、また苦笑いをする。


 ――だよな。


「どうしたんですか?」


 琴吹さんのいぶかしげな声。


「いや、なんでもない。それより頼むよ、教官」

「お任せください!」


 俺の無骨な指の上に重ねられた琴吹さんのしなやかな指が、繊細にスティックを操作する。


 ――ああ、ドローンの操作ってこんなデリケートなのか。


 ドローンは高度を床すれすれまで下げると、ゆっくりと前進し、本のトンネルを潜った。


「慌てないで、ゆっくり、ゆっくり」


 琴吹さんはつぶやくように言った。


 ――ゆっくり、ゆっくり……。


 ドローンはテーブルの下から出て上昇し、後退。じわじわと下降して、ついにお皿の上に着陸した。


「こんな感じです」

「こんな感じか」


 言葉で教えてもらうよりずっと分かりやすかった。これならば俺でも早く上達できそうだ。


 琴吹さんは身体を離し、ベッドから下りた。


「それにしても琴吹さんって、なんでも上手だよな」

「い、いえ、全然そんなこと……!」


 手をぶんぶんと振って謙遜する。


「家で練習してきただけです」

「それにしたってすごいよ」

「そ、そうですか?」


 琴吹さんはちょっと小鼻をふくらませて、得意そうな顔になった。


「ドローンで字も書けますよ」

「字を? すごいな。見せてよ」

「はい。――あ」


 彼女は「しまった」みたいな顔をした。


「どうしたの?」

「い、いえ、その……」


 手をもじもじさせたり、そわそわしたりしている。

 と、思うと、


「か、書きます!」


 急にすっとんきょうな声で宣言した。 


「う、うん」


 琴吹さんにペンとルーズリーフを渡す。彼女は付属品らしきクリップでドローンとペンを合体させた。


 テーブルの上にルーズリーフを置き、


「ふう……」


 と大きく深呼吸してから、琴吹さんはドローンを発進させた。

 ふわりと舞いあがって移動し、ルーズリーフの上にぴたりと静止するドローン。


 しかし、なかなか字を書きはじめない。


 琴吹さんの表情は真剣そのものだ。でもなにか、迷っているように見える。


 俺まで息がつまりそうな緊張感のなか、ドローンがようやく動いた。

 書きはじめてしまえば、完成するのは早かった。ドローンは再び舞いあがり、床に着地する。


 俺はルーズリーフを手にとった。


「すごい、ちゃんと読める」


 そこにはこう書いてあった。


『くり』

『すきやき』


 どちらも食べ物というのが、とても琴吹さんっぽい。

 しかし『すきやき』の『や』だけ、ほかの文字に比べてクオリティがやや低く、やっと読めるくらいだった。


「やっぱり『や』は難しいか」

「い、いえ、その……」


 琴吹さんは耳まで赤くして、ぶつぶつとつぶやくように言う。


「『り』と……、それから『く』と、あと『す』、――それと『き』しか練習しなかったので……」

「ふうん」


 書きやすい文字をチョイスしたということだろうか。でも『す』ってかなり難しいようにも思うけど……。


 琴吹さんは顔をうつむけたままバッグをつかみ、立ちあがった。 


「じ、じゃあ、帰ります! ドローンはスマホの充電器で充電できますんで、つぎわたしが来るときまで練習しておいてくださいね!」


 声がひっくり返っている。『や』がうまく書けなかったからといって、そこまで動揺しなくてもいいのに。意外と完璧主義者なのだろうか。


「ああ、度肝を抜いてやる」

「楽しみにしてます」


 ちょっと固い微笑みを浮かべ、琴吹さんは帰宅した。


「さて」


 俺もドローンで字を書く練習でもしてみようか。

 書く字は――。


「『コトブキ』だな」


 書きやすそうだし。

 俺はコントローラーを手にとり、ドローンを離陸させた。

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