第十九話 おうちでドローン1

 最近は頭が冴えていたし、不安が押し寄せてくることもなくなり、勉強に集中できていた――の、だが。


 を小耳にはさんでからというもの、すっかり手が止まってしまっていた。


 その噂というのは、地元自治体主催の小さなイベントに執行部バンドが招かれたというものだ。ベースのパートは助っ人で埋めるらしい。


 べつにショックを受けたわけじゃない。執行部バンドのベースは俺だ、という自負はないし。


 勉強に打ちこんでいたのは執行部に復帰するためだった。今回の件で、どうやらその芽がないようだということが分かり、目標を失った。ただそれだけだ。


 こうなってしまうと、部活もやっていない俺には本当になにもすることがない。


「趣味でも持てば?」


 夜、部屋でぼんやりとしていた俺に、戸口に立った梨子が言った。


「なんか好きなことのひとつやふたつ、あるでしょ?」

「じゃあ梨子を趣味にするか」

「そういうのいいから」


 梨子は怒ったような顔でメガネをくいっと上げた。でもちょっと照れくさそう。からかっただけのつもりだったが、そんなかわいい顔を見せられたら本気で趣味にしたくなる。


「そういえば梨子の趣味ってなに? やっぱり読書?」

「漫才鑑賞」

「ええ? お兄ちゃん聞いたことないぞ?」

「言ってないから。ちなみにいまの推しは鎌井達かまいたち


 お笑い好きだったとは意外だ。


「でも梨子さ、中学生くらいまで水泳やってただろ? あれなんでやめたの?」

「泳ぐのは嫌いじゃないけど、塩素で髪が焼けるから」


 梨子は髪が細いから、痛みやすいのだろう。


「わたしの趣味はいいの。いまはお兄の話。なにか打ちこめるものを作りなよ。絵を描くとか、ゲームでもいいし」

「ううん……」


 ぴんと来ない。


 好きなものって、みんなはどうやって見つけてるんだろう。


 そのときふと、琴吹さんの顔が思い浮かんだ。部屋のあちこちにある彼女の私物を見回す。


 琴吹さんはいつも楽しそうだ。なんでも好きになれる才能があるのだろう。さしずめ『好きだらけ』といったところか。


 ――俺にもあるのかな、好きなものって。


 俺は床につくまでなにもせずに、ぼうっとして過ごした。





「先輩、わたしと楽しいことしましょう!」

「いらっしゃ――ああああああ!?」


 翌日の放課後のことである。琴吹さんがドアを開けたかと思うと、蝉の鳴き声みたいな「ミーン!」という音とともに、直径十センチくらいの小さなUFOのような物体が部屋に飛びこんできた。


 イスから転げ落ちた俺の目前で、UFOは空中に静止した。


「ど、ドローン?」


 四つのローターがぴたりと止まり、俺の膝に落ちる。


 琴吹さんを見ると、いつものように口元を隠し、「くふふ」と笑っている。もう片方の手にはゲームのコントローラーのようなものが握られていた。あれで操作するらしい。


「ドローーン! です」

「伸ばし棒長くない?」

「正確に言うと自立飛行できるものだけをドローーン! と呼ぶらしいです。これは人間が操作しないといけないのでマルチコプター」

「へえ」

「でもドローーン! のほうがかわいいのでドローーン! です」


 また口を隠して可笑しそうに笑う琴吹さん。どちらかというとドローーン! よりも、そんな琴吹さんのほうがかわいいと思う。


 ――って、俺はなにを考えてるんだ。


 妹の友達をそういう目で見ちゃ駄目だろ。

 俺は気をとりなおして尋ねる。


「で、そのドローンを――」


 琴吹さんは指を振って「ちちち」と舌を鳴らした。


「先輩。ドローーン! です」

「……その、ど、ドローーン! を飛ばして遊ぶのか?」


 なんだか妙に恥ずかしくなって顔がかあっと熱くなる。

 琴吹さんはまるで幼稚園の保育士さんみたいに「よくできました!」と俺を褒めた。


「ただ飛ばすんじゃありません。ドローンで障害物競争をしようと思いまして」

「もうドローンってふつうに言っちゃってるじゃん……」

「あ、ほんとですね。このドローーン! で……。――あの、もうふつうにドローンって言ってもいいですか?」

「いやもともと俺から求めてないからね!?」


 あいかわらず琴吹さんの言動は自由だ。以前なら戸惑うばかりだったが、いまは苦笑いできるくらいの余裕が出てきた。ひとは変われるものだなと思う。


 琴吹さんはバッグから同型のドローーン! 改めドローンを七機もとりだして床に並べた。


おおっ!?」

「バッテリーが十五分くらいしかもたないので、たくさん持ってきました」

「たっぷり遊ぶ気満々だな」

「あ……」


 琴吹さんが急に不安げな表情になった。


「ごめんなさい、わたし、先輩の都合も考えなくて……」

「え? いや」


 創作のなかの京都人じゃあるまいし、変な皮肉を込めたつもりはない。


 ――意外とナイーブなんだな、琴吹さん。


 先ほど封印した、彼女を愛おしく思う気持ちが噴きだしそうになって、俺は慌てて再封印した。


「大丈夫。今日の俺の時間は全部琴吹さんにあげるよ」


 どうせすることはなにもないし。


 俺がそう言うと、琴吹さんはぱあっとつぼみが開くように顔を明るくした。


 そして、はっとしたように両手で顔を覆う。


「ご、ごめんなさい! リリちゃんの部屋に忘れ物したので!」


 顔を隠したまま部屋を出ていった。


「助かった……」


 俺は独りごちた。あんな仕草を見せられて、俺も危うく顔面が崩壊するところだった。


 琴吹さんがもどってくるまでに、あの気持ちを厳重に再々封印しなければ。

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