5-1 精彩に翔ぶ
住良木村は日ノ本の東にあり、人口百人にも満たない小さな村である。村民の多くが漁業を生業としており、男たちは海原へと舟を出し、女たちは海女として浅瀬で潜る。子供たちは物心がつく頃には、海へと繰り出し、漁師として、海女としての技術を学んでいく。
何百年と繰り返されてきた伝統であり、彼らの生活の基盤である。
由名瀬という家系がある。代々この地に根付く家系であり、漁師、海女として村の中心となる人物を輩出してきた。その日、家主である由名瀬悟は十二の漁船を引き連れ、通い慣れた漁場へと赴いた。
漁場は、船着場から二十分ほどの場所ある無数の海流がぶつかり合う潮目、『スナドリ』と呼ばれる。鮎魚女、障泥烏賊、鰈などが捕れる。
定置網の位置を示す浮きが波に揺れている。違和感を覚えたのは、網を引き揚げている時であった。この村で、この海で生きて二十年になる悟はスナドリで穫れる魚について、最も多く収穫できる時期、漁獲量すらも把握している。
この時期は、気候や潮の流れから考えても、網が上がらない程の獲物が掛かると踏み、今季の漁を始めた。その予測は正しく、例年通りに大漁旗が潮風になびく日々が続いていた。
だからこそ、奇妙であった。異様なまでの手ごたえのなさ。魚の重さはおろか、波の重さ、水の重さすら感じない。するすると百メートル四方の網が巻き上げられる。
麻糸を編み込んだ強固な網は、中央から食い破られていた。その断面はまるで切り裂かれたように解れすらない美しいものであった。鮫が齧ったとしてもこうはならない。
麻という素材は、水を吸うと強度が増すという特徴がある。それを何重にも編み込んだ漁網を破る何かがいる。未知の化け物がスナドリに存在している。
背筋を冷たい汗が走る。
長としての判断は、陸に戻ることであった。彼の行動は迅速で、正しいものであった。彼に非はない。しかし。
振り返ると、背後に控えていた十二の漁船のうち、半分は無人となっていた。
操舵手を失い、静かに波に揺れている。まるで初めからそこに誰もいなかったように。
「いやあ、いいねえ」
きらきらと翡翠色に輝く海面を眺めながら、六之介がのんきに呟く。初夏の日差しと潮風が心地良い。与えられた仮住まいは山の中腹に設けられた平屋であり、集会所や嵐の際の避難場所として使われている。
五つの部屋に区分され数日宿泊する上で不自由はないが、台所や風呂は御剣のものと比べると劣る。水道も走っておらす、裏手にある湧水を汲みに行く必要がある。
「おいこら、ぼんやりしてねえで手伝え!」
五樹が一杯の水が入った桶を吊るした天秤棒を担ぎながら、汗を流している。土間にある水瓶が空であったため補給をしているのだ。華也は室内の清掃を、綴歌は布団を干している。
「えー、それ魔導官の仕事じゃないでしょ?」
「それはそうだ。だが、短い間とはいえ住処だぞ」
綺麗にしておいて損はない、と言い残し、水瓶に水を灌ぎにいく。てきぱきと働く三人に目を向けるが、六之介はやはり動かない。
この住良木村で、十人もの漁師が行方不明となったのは、今から一週間前のことである。当初は海難事故と予想されたが、一つとして打ち上げられない水死体からその線は除外された。後日、魔導官が現場である海域を調べたところ、異常量の魔力が検知されたため不浄による事件だと判断された。
陸の不浄と比べると、海の不浄は厄介な相手である。まず戦うにしても捕獲するにしても足場がない。水中で戦うなど人間には不可能であることに加え、敵は浮力の影響と豊富な餌によって大型化しやすい。身体が大きいというのは、それだけで武器になり、脅威だ。
そしてもう一つの要因が、原型となった生物の把握が困難であることだ。海の中は、地上よりもはるかに巨大な生態系を有している。多種多様な生物が、多種多様な能力を持っている。不浄化によって、それが強化されることは充分にあり得る。
事前に渡されていた資料に目を通す。この海域で見られる魚介類、当時の状況、漁網の破損について事細かに書かれている。
今回の任務の代表は、六之介である。雲雀の勧めもあり受けることとなったのだが、これは随分と厄介な任を引き受けてしまったかもしれないと後悔する。多々良山のように簡単に解決するのなら良かったのだが、生憎今回はそうもいかないように思えた。
紙面とにらめっこするが、やはり圧倒的に情報が足りない。
「……仕方ない。綴歌ちゃん」
布団を抱え、通りかかった綴歌を呼び止める。この日差しの中、動きっぱなしのせいか頬を汗が伝っている。高飛車な御嬢様を思わせる口調のわりに、彼女は率先して動くことが多い。
「なんですの?」
「ちょっと、村人たちに聞き込みをしてくるから、この場はよろしく。あと、終わったら皆で聞き込みに行くよう伝えといて」
返事を待たずに、外に出る。後ろから綴歌の呼び止める声がしたが、無視する。住居の掃除程度ならば、自分がいる必要はないという判断の元での行動である。
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