1-4 ぬえと鵺
それを作戦と呼べるのかどうかは、わからない。それほどまでに簡単で単純なものであった。
不浄は、魔力という言わば力の象徴をその肉体が変わり果てる領域まで得ている。戦えば他の野生動物はおろか人間でも話にならず、一方的に蹂躙されるだろう。だから、誰も手を出さない。出せない。そのことを不浄は本能的に知っている。
そこを狙う。
不浄の縄張り、周囲一帯に五個の罠が設置された。
対不浄用捕縛魔術具『杏』。『孤立』の花言葉を持つ花の名を与えられた魔術具である。対不浄戦において、もっとも重要とされるのは敵を逃がさないことである。
不浄は定形に見えるが、そうではない。不定形である。状況や状態に合わせてその姿を変える。
戦闘し、不浄を追い詰めたとしよう。あと一撃でその命を屠れる状態だ。しかし、予期せぬ反撃にあい取り逃がしたとする。
まあいい。今回ここまで追い詰めたのだ。次に決めればいい。と考えてはいけないのだ。
再会した不浄に、前回と同じような攻撃をし武器を向ける。充分な火力で敵を蹂躙している、つもりでいるかもしれない。しかし、もうその攻撃や武器は効かないのだ。
不浄はその攻撃が、その武器が無意味になる領域まで自身を変化させているのだ。より固く、より速く、より凶暴に。
一度取り逃がせば、その倍の武器と攻撃が必要とされる。
だからこそ、不浄と戦うには被害を抑えるために一度で決めなければならない。
『杏』は感魔力式だ。起動式を書き込み、接触した魔力を有する存在を捕縛する。施された『形成』魔術は百二十四通りの波長を持つ縄として、不浄を取り押さえる。平均的な不浄なれば一度かかると、およそ二分は拘束が可能だ。
華也の立てた作戦は、拘束し攻撃するというそれだけのもの。
お粗末ともいえる。しかし、これは正攻法であり、鵺に対してこれ以上ないほどにうってつけだった。
本来、不浄は縄張りなど持たず自由に動き回る。それを誘導し、捕縛することは心底骨の折れる作業だ。だが、今回はそれをする必要がない。
鵺は、縄張り内部の同じ場所を周回している。土や落ち葉に刻まれた残留魔力がその証拠である。つまり、その上に罠を仕掛ければいいのだ。
そうして、動けなくなった鵺に攻撃、首を落とす。唯一の殺し方を実行する。なんと簡易なことだろうか。
本来ならば、野生の動物で満ちている西山。しかし、不浄の存在は、その生態系を破壊してしまう。
それほどまでに不浄は脅威といえる。
故に、やることはいかに簡易といえど、油断はできない。
気を引き締めてかからねばならない、というのに。
「あの、稲峰様? 私は村にいるよう言ったと思うのですが」
茂みで気配を殺す彼女の隣で、当然のように
「ん、まあいいじゃない。何かに役立つかもしれないよ? 囮とか」
「囮など……人間をそのように扱う気はありません。魔導官とは人を守るための存在なのです」
頬を膨らませる。可愛らしくはあるが、怒っている。彼女の立ち振る舞いの中に明確な感情が現れたのは初めてである。この魔導官にとって、人の命を守るということはそれほどに重要な位置にあるのだろう。
「はは、ごめんごめん、冗談だよ」
「たちが悪いですよ」
「でも、ほら。もし何かあって森で遭難しても困るでしょ? その案内役としてさ」
半分本音で、残りは嘘である。
「もう……絶対にここから動かないで下さいよ?」
「了解了解……っと、きたか」
ぱきりという枝の折れる音がした。この周囲に野生動物はもういない。村人の入山も禁じている。
もう一度、同じ音。
藪を掻き分け、緑の深い森に不自然なほどに赤い、朱い、紅い、鵺の顔が現れる。
二人は呼吸を止める。心臓の鼓動すら抑え込むように、体を丸め、じっと鵺を睨む。
歩幅から推測すると、土と落ち葉で隠された『杏』まで、あと四歩ほどであろうか。
鵺はきょろきょろと、残り香をたどるように首を動かすと、一歩、また一歩とゆっくり歩みだす。
永遠とも思えるほどに、重く長い時間である。鵺の足が、ゆっくりとスローモーションのように見える。
たん。
軽い音。瞬間。
腐りかけた落ち葉が舞い上がり、腐葉土が飛び散る。緑色の光が爆散し、『杏』に乗った右前脚の下から伸びた百二十四本の縄が鵺の全身を覆い尽くす。
捕縛というより、絞殺せんばかりの力で不浄の体を締め上げる。まるであの熊の死に様を再現しているようであった。
鵺が、耳を劈き、大気を切り裂くような鳴き声を上げる。
「!!」
六之介は思わず耳を塞ぎ硬直する。しかし、その中で華也は動いた。
全身は『強化』の魔導による青色の光に包まれ、疾風のごとく駆ける。いつの間にか彼女の両袖は捲られており、乙女の細腕には不釣り合いな物が顔をのぞかせていた。
対不浄用魔導兵装『陽炎』。鋼鉄と不浄の鞣革で作られた篭手には、一振りの刃が備え付けられている。刃といっても、異常に分厚く、先端は鋭い。斬るというより、突くことに特化した形状である。
「は、ああ、あああああ!!」
不浄の声を穿つ雄たけび。加速するたびに、青い光は強くなっていく。華也の筋肉が一時のみ膨らみ、本来ならばありえない、このような少女には似つかわしくないほどの膂力を成す。
一閃。
風が凪ぎ、沈黙が支配する。それを打ち破ったのは、びちゃりという湿り気を帯びた音。
鵺の首がごろりと転がる。その断面は、恐ろしいほどに美しく、血管はおろか組織すらつぶれていなかった。
「……ふっ」
息を吐き出し、刃を収める。
不浄の体が大きく痙攣を起こすとドス黒く、粘着性のある血液をまき散らし倒れる。
『杏』によって構成された縄に巻き付かれたまま崩れ落ちる。。
「……終わった?」
ひょいと六之介が顔をのぞかせる。
華也は、安心させるように力強く頷く。
「ええ。不浄の生命力は強いですが、首を落とせば死にます。身体はまだ生きていますが、数分で息絶えるでしょう」
その言葉通り、手足はいまだに動いているが、司令塔がいないためか、一貫性はない。左右の前脚は空を蹴り、後ろ脚は地面を捉えようと蠢いている。尾もくねくねと意味もない動きをするだけである。
「あっけないものだねえ」
「決して強い不浄ではありませんでしたからね。人的被害が出る前で良かったで……っ!?」
左からの衝撃。
あまりにも唐突、気配も音もない一撃。幸いであったのは、彼女が『強化』の魔導を切っていなかったことだろう。魔力によって肥大化し、柔軟性を帯びた筋肉が衝撃を吸収する。
「っく!」
かろうじて受け身をとる。しかし、一撃をもらった左腕の感覚はない。骨折はしていないようだが、しばらくは使えまい。
力なく横たわっていた鵺が、ゆっくりと起き上がる。華也を攻撃したのは、黒い鱗に覆われた尾。
蛇のような形状をした尾は、本物さながらに舌を出し入れし、不気味な呼吸音をあげている。
「どうしてまだ生きて……?」
不浄は異常な生命力を持つが、生き物である。中枢器官を切り離せば確実に倒せる。これに例外はない。もし、それが『災禍』でないのならば、もう死んでいるはずだ。
「ああ、なるほど」
ぽんと手を鳴らす。
「稲峰様……何が『なるほど』なのですか?」
「あれは偽物だったんだなと」
地面に転がり、血にまみれている首を指さす。
「偽物?」
「うん。カモフラージュだよ。あの赤顔が頭であるように見せてたけど、本物は尾。蛇のほうだ」
カモフラージュという単語の意味は分からなかったが、言いたいことは分かる。そして、その推測が正しいであろうと納得する。
つまり、あれは狸などの哺乳動物の不浄ではなく、蛇の不浄だったということだ。
「なるほど……初めて見ますね、ああいった不浄は」
悔やむ。不浄に常識は通用しない。そんなことは分かっていたはずなのに、油断をした自分に怒りすら覚える。
鵺は立ち上がっている。尾は鎌首をもたげさせながら、墨で塗りたくったような無機質な目で二人を見ている。
「どうするの?」
「もう一度罠にかけます。幸い、まだ四個残っていますから」
鵺の行動範囲と歩行経路から、掛かる確率が高いと思われる場所に罠は置かれている。
この場には、二つ。五メートル先と、十二メートル先に隠されている。うまく誘導すれば、再度捕縛ができる。
しかし、敵の行動によってその同じ作戦は不可能となる。
鵺が身体を折り曲げる。みしりという音とともに、狸の胴体を突き破り、鉱物が生える。黄ばみを帯び、無数の筋と溝がねじ曲がりながら走っている。太さは人間の手首ほど、それが百本以上はあるだろうか。狸の胴体は、山嵐のものへと変わる。鉱物の正体は、おそらくは骨だろう。
鵺の動きが止まる。全身が波打ち始め、一瞬のみ大きく痙攣する。骨が放たれる。ミサイルの様に発射されたそれらは、木々を貫き、むき出しの岩肌に刺さり、地面を抉り突き刺さる。
「あっぶな……」
華也の魔導によって『形成』された壁によって、直撃は免れた。
「く、ここまでとは……」
緑色にぼんやりと輝く壁には亀裂が生じ、場所によっては貫通している。
これがもし直撃していたらと、冷や汗が流れる。
罠を仕掛けておいた場所に目を向ける。
二本の骨が、『杏』を確実に穿っている。
偶然ではないだろう。おそらく鵺は一度罠にかかったことで、それから発せられる微弱な魔力を検知し攻撃した。となると、他に仕掛けた場所に誘導しても破壊されるのがおちだろう。
鵺はすべての骨を撃ち尽くしておらず、残る無数の骨がからからと乾いた音をたてる。それが嗤い声の様に西山に木霊する。
華也は思考を巡らせる。この場で引くことはできない。傷を負った不浄は、それを癒すために魔力の補給に向かうだろう。となると危険に晒されるのは翆嶺村になる。不浄が村にたどり着けば、数多の被害者が出る。それだけは避けなければならない。
力なき人を守るのが、魔導官の使命。そして、華也の信念である。
「……一度、身を潜めます」
「逃げるの?」
「いえ、逃げません。私の戦力では、正面から不浄とぶつかることはできません。だから、隙を突きます」
懐から、掌大の筒を取り出す。
「それは?」
「閃光筒です。一時的に鵺の目をつぶします。そして、撹乱させ、隙をついて攻撃します。もう少し魔術具があれば、やりようがあるのですが、今回は支給もないもので」
苦笑する。
「支給制なんだ」
「いつもは違うのですが……本来の上司が留守でして。代役を頼んだら、必要最低限だと」
「ああ……そりゃまた随分と無能な代役だこと」
そのようなことはないと反論されるかと思ったが、ただうつむくだけであった。無言の肯定であろう。
「でも、そんな特攻みたいなことさせたくないな」
「ですが」
「それに」
言葉を遮る。
「尾の蛇、本物の蛇と同じだとしたら光では撹乱できないよ、たぶん」
「なぜです?」
「ピット器官って知ってる?」
「ぴっと、きかん?」
「蛇は、温度で獲物を探すんだ。閃光もある程度効果はあるかもしれないけど、大きな隙を作れるわけじゃない」
「そうなのですか?」
なぜそんなことを知っているのか。魔導官となるうえで、動物の生態については学ぶ。しかし、そんな器官の存在を聞いたことはなかった。蛇の知覚については特に情報が少なく、不明な点も多かったと記憶している。
「うん。だから、効率的な手段は火を起こしたりして存在を誤魔化すとかなんだけど……」
ぐるりと周囲を見る。燃やせるものはいくらでもある。しかし、火種はなく、加え、この日当たりの悪さのせいもあり、湿っている。油でもまかなければ火は起こせないだろう。
逆に、自身の体温を下げればいいともいえるが、水場までは遠い。
どうしたものか。
「なら、なんとかなるかもしれません」
「マッチでも持ってるの?」
「いえ。私の『異能』を使います」
「異能?」
「ええ。魔導官は、異能と呼ばれる特殊能力を持っているんです。『温度変化』が私の異能です」
温度変化。その言葉通りだとしたら、現状を打破できる。
「よし、じゃあ、それを使おう。作戦は……」
華也の耳元で告げる。
ここから北へ向かった所に小さな滝がある。その向こう岸に渡り、遠方に見える大杉に向かって直進すると、急な斜面にぶつかる。足断と呼ばれ、非常に足場がもろく、野生動物さえも寄り付かない土地なのである。そこに鵺を誘導し、崖下に落とす。落下中の身動きができない瞬間に華也が回収した『杏』をぶつけ捕縛、とどめを刺す、という流れである。
数秒で考えたものにしては、十分すぎるほど良い策であると思う。使用できるものを最大限に生かした作戦である。もし、今ここにいるのが魔導官二人であったのならば他にやりようがあったかもしれないが、現状はこれが精一杯であろう。
「賛同は、いたしかねます」
「だろうね。短い付き合いだけど、君の思考は何となく分かるし」
鵺による第二波攻撃が行われる。二枚の壁を形成し、今度は防ぎきる。
「でも、今はそうするしかないでしょ? 自分じゃどこに罠が仕掛けてあるのか分からないんだ。仕掛けた君にしか回収できない。それに異能だっけ。それを用いて、周囲と自身の体温を同化させれば、敵の目も欺ける」
六之介の言い分は最もだ。確実に鵺を殺すには、お互いが見合った行動をしなければならない。
「……わかり、ました」
「まったく……かわいい顔して頑固だなあ。もっと緩くやろうよ」
華也はきつく唇を噤んでいる。
六之介が彼女の左腕を見る。ひどく腫れているわけではないが、どす黒いあざが生じている。
「その左手の武器、貸してくれる?」
「陽炎を、ですか?」
「動かせないでしょ、その有様じゃ」
肘から下を曲げようとするが、30度ほど動かしたところで形の良い眉が歪む。折れてはいないようだが、しばらくは動かせないだろう。
「……そのようです」
器用に右手で、留め具を外し、陽炎が手渡される。ずしりとした重さが、頼もしくもあると同時に足枷であるとも思えた。
「手ぶらじゃ心もとないからね。『後で』返すからさ」
鵺は第三射の準備をしている。
獲物が動かず受け身のまま、それでいて攻撃してこない。つまり、こちらが攻撃できない場所に自身がおり、このまま押せば捉えられると察しているのだろう。野生的とも知性的とも取れる行動である。
「……ご武運を」
華也が駆け出す。異能とやらが発動しているのだろう。鵺は彼女に気付いた様子はない。六之介は、着々と骨を増やし続ける鵺に一瞥し、華也とは逆方向に動き出す。
方角は六之介の方が正しい。ただ、罠を回収するために華也は別方向へ行かなくてはならず、必然的に六之介は囮となる時間が長引くこととなる。
無数の骨が発射される。ジグザグに走り、できるだけ太く大きな木が障害物になるよう動く。それでも、鵺による攻撃は絶大な威力と貫通性を示しており、樹齢百年になろう巨木の幹は一瞬にしてえぐり取られ、微細な木片と化す。
背後より響く、咆哮。いったいどの部位から声が出ているのかは分からないが、およそ生物のものとは思えないような不気味で、どこか無機質な音であった。
小枝の折れる音と地面を踏みしめる音が混成し届く。六之介を獲物として、追い始めたのだろう。
まずは想定通りの動きに、ほっと息を漏らす。あとはこのまま時間を稼ぎ、足断にたどり着くだけである。とはいえ、野生動物。それも魔力によって不自然に強化され変貌した存在との鬼ごっこである。人間ではとうてい逃げきれない。捕まり、喰われるのが必然。故に華也はこの策を良しとしなかったのだ。
六之介は魔導官ではない。ごく普通の一般人、というのが彼女の認識である。一般的に魔導官でない者は、強力な魔導も、異能も、魔導兵装も持たない。魔導官以外は、不浄と対峙するには、あまりにも脆弱な存在なのだ。だから、華也は護らねばと思っていた。
六之介はそんなことは知らない。だが、彼女の過剰なまでの対応から予想はできていた。
自分が、囮となり、村のために死を選択している。
彼女はそう思っているのだろう。
にいと、口角が不気味に吊り上がる。
「そんなわけないじゃないか」
勝算のない戦いなどするわけがない。戦いになるのは当然のこと、確実に勝てる術があるからこそ、行動をするのだ。
視界の端に鵺の姿が映る。四足歩行の獣としてみれば、首なしの化け物である。切断面から、黒い血が未だに零れ出ている。
動きは、やはり速い。単純な速度であれば、向こうの方が圧倒的だろう。
しかし、ここは入り組んだ地形。無数の障害物のある森の中だ。そしてなによりも、鵺の図体の大きさが仇となっている。うまく動けていないのだ。蔓に引っかかり、根に躓き、岩に遮られている。加え、武器として生やした骨の槍がそれを増長させている。
これらの障害に偶然は一つとしてない。六之介は全て把握し、道を選んでいる。この地に訪れて二年、それを僅かと取るか否かは、当人の生き方による。
六之介にとって、二年は十分すぎる歳月であり、彼は村人以上にこの山の地形を把握していた。ただし、中には想定外のものもある。
「ふっ!」
陽炎によって切断された蔦がいい例だろう。
西山において植物の成長速度は恐ろしく速い。植物というのは、見かけよりも遥かに頑丈であり、その性質上、空間を埋めるように成長する。すなわち、障害物としてこれ以上ないほど優秀であるのだ。
それは鵺にとっても、六之介にとっても等しい条件だった。
故に彼は陽炎を借りたのだ。これがあればある程度の障害物は取り除ける。自身にとって動けるだけを切り裂き、鵺の障害になるものは残す。それによって、十分な時間を稼ぐ。
「おお、ひっかかってるひっかかってる」
背後より轟く雄たけびを耳にしながら、振り返ることなく彼は駆け続けた。
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