1-5 ぬえと鵺

 華也かやは鈍痛をこらえながら山道を駆けていた。初めての土地ではあるが、一度は歩んだ道。迷うことはない。

 木々の間を抜け、たどり着く。不自然な点は何一つないように見えるが、彼女の足元には対不浄用捕縛魔術具が確かに埋まっている。右腕の陽炎を地面に突き刺す。反動が左腕に伝わり、脂汗が頬を伝う。


 回復の魔導を使いたい気持ちはあったが、魔力量に不安があった。燃費の悪い形成魔導を二度も使ってしまったことが悔やまれる。

 歯を食いしばり、二度三度と掘り返す。すると、土にまみれた円盤が姿を現す。それを手に取り、踵を返す。


 急ぎ戻り、北上。滝の向こう岸にわたり、杉に向かって直進。

 ぶつぶつと何度も繰り返す。


 魔導官として、唐突に不浄退治の依頼が来ることは常である。しかし、今回の任務は普段と違うことが多すぎる。

 まず、この場に魔導官が一人しかいないこと。本来不浄退治は二~四人一組で行われる。その中に戦闘員と監察員に分かれ、不浄の性質、行動、原型予測を行い、協力し合い、退治する。


 次に、魔術具の不足。個人管理である魔導兵装はさておき、捕縛魔術具をはじめ、攻撃、防御、回復魔術具など必要以上の数が支給される。それらを用いて、任務完了後に、余ったものは返却する、というのが本来の流れである。しかし、今回支給されたのは捕縛用のみ。これはありえないことだ。


 今回の任務を命じた隣の魔導官署署長、彼は華也のいる第六十六魔導官署をよく思っていない。はっきり言って、第六十六魔導官署署長を好いていない。若き天才である署長を妬み、嫌っているのだ。それゆえに、こんな嫌がらせのような条件を押し付けたのだろう。本来の署長が、留守であることを良いことに。


 次々と不平不満があふれ出るが、今それを漏らしたところでどうしようもない。今は鵺を退治し、彼を、稲峰六之介を助けなければならない。私が魔導官になったのは、力なき人を救うためなのだから。


 決意を固め、残りの少ない魔力を解放。肉体を強化し、加速する。


 北上。倒木を飛び越え、くぼみを避け、第一の目標地点へとたどり着く。


「滝……この向こう側」


 苔に覆われぬるりとした光沢を放つ石を伝いながら跳ね、顔を上げる。広葉樹林の間から、細く鋭い槍のような杉の木が見えた。


 どうか無事で、それでいて間に合ってくれ。

 祈りながら、大地を強く踏みしめろと、ずぶりと靴が沈む。


 地盤が明らかに柔らかくなっている。合流場所である足断に近づいているという証拠であろうか。

 だとすると、この周囲に六之介がいるのかもしれない。土地勘は圧倒的に彼が上である。無事であれば、私がどのあたりにたどり着くのか予想している可能性がある。


 動くべきか、動かざるべきか。

 木々が、大気がざわつく。閃光のように華也の視界の隅を槍がよぎり、倒木を粉砕する。地面に突き刺さっているものは、鵺が射ち出していたものと同じ素材であるようだが、形状が変化している。深く渦を巻くような溝が彫られ、矢羽のような突起がある。


 五分に満たない時間で、より長距離を穿てるように、そして破壊できるように変化しつつあった。進化の速度が予想通り、かなり速い。 槍――矢というべきか――が飛んできた方向は分かる。急ぎ、殲滅せねばならない。


「稲峰様ぁ!」


 喉に熱が走るほど力を籠め、叫ぶ。反響し、木霊し、広がっていく。

 華也の声が届いたのかどうかは分からない。しかし、ずんという振動が伝わってくる。かなりの速度で、近づいてくるというのが分かった。


 低木を掻き分け、藪の中から一つの影が飛び出してくる。頬から出血し、着物は破れ泥だらけとなっていた。しかし、無事である。


「やあやあ、結構早かったじゃない」


 息を乱し、汗を流しながらも、飄々とした口調は変わらない。本当に危機的な状況にあったのか、疑いたくなるほどである。


「鵺は?」


 並び走り出す。不安定な足場であるため、速度は出ず、体力ばかりが奪われる。よくこの状況で走れるものだと、六之介りゅうのすけの体力に驚く。


「ちゃんとこっちに来ているよ。ばっちり狙いを定めてる感じ」


 背後より咆哮。横目で確認すれば、首なしの獣が追いかけてくる。


「罠は?」


「回収済みです。起動も問題ありません」


「よし、じゃあ、作戦開始といこうか」


 足を止め、振り返る。ここが目標の場所なのだろう。

 背後には崖がある。見たところ、長年この姿をしているわけではないのだろう。斜面はまだ新しいようで、木々はおろか、植物も生えてはいない。おそらくは頻繁に土砂崩れが起き、芽吹いた植物は流される。再度、新たな植物が芽吹くが、土砂に流される。その繰り返しで地盤はいつまでも固まらず、もろく弱い。日当たりも世辞にも良いとは言えず、水はけも悪いため、崖下は泥が溜まり、落下した植物と野生動物の死骸が腐敗し、底なし沼の様に黒く染まっている。


 鵺がゆっくりと姿を見せるが、それはもう伝承される鵺の姿形ではない。山嵐か針鼠、あるいは穿山甲か。

 骨の矢で背部は覆われ、その本数を増やすためであろう、胴体は鼬の様にひどく長く、小回りを利かせるため、足の数が四対に、それでいて短いものに変わっている。だというのに、蛇を模した尾――正確には頭だが――に変化がないため不格好、そのうえ、首なしである。


 生物としての形を成しておらず、合理性も論理性もない。進化という区分にも当てはまらぬ、文字通りの異形。


「さて、ここからですね。如何様にしてアレを崖下に落としますか」


「ああ、それなら簡単だよ」


 なんてことないと言わんばかりの口調であった。


「え?」


「こんな化け物から、普通の人間が逃げ続けられるわけないでしょ?」


 およそ十分。野生動物、それも魔力によって強化された不浄という化け物と対峙するにはあまりにも長すぎる時間だ。基本的に不浄との戦闘は一撃離脱とされている。訓練を受けた魔導官でも、正面から真向にぶつかるなど、死にに行くようなものである。


 それがただの人間であれば、なおさらである。逃げれらるわけがないのだ。だが、彼はそれを為した。


「君たちのは、異能っていうんだっけ。そっちの方が格好いいなあ」


 六之介は膝を折り、地面に手をつく。

 瞬間、大地がが揺れる。抽象表現ではない。本当に、揺れているのだ。


「なっ! えっ!?」


 驚愕の念が直接口から零れる。

 偶然地震が起こっている、などということはない。この振動は、明らかに六之介の手によって起こされている。


「自分のは『サイキック』……『超能力』って言ってね、前の世界ではそこそこの能力だったんだよねえ」


 振動が、鵺の足元のみに集約され、巨大なものとなる。明らかな不自然の現象に不浄が動けずにいる。

 地面に亀裂が走る。ただでさえ脆い地盤に不浄の重量、加え、破壊するための振動が加われば、崩落は必然的に起こる。


「魔導官さん」


「は、はい!」


 華也は意識を鵺に向ける。六之介が何者であるのか、今それを考える時ではない。

 今は目の前の敵を殲滅することが全てである。


 急な足場の喪失に、鵺の動きが止まる。その隙を逃さずに詰め寄り、『杏』をぶつける。

 『杏』は感魔力式の捕縛魔術具である。触れれば、その効果を発揮する。


 現れた百二十四の縄が、再び鵺の体にめり込む。その苦痛の元に、一瞬意識を逸らしたがために、鵺は体勢を崩す。


 六之介が嗤う。一瞬振動が強まり、地盤は音を立て完全に崩れ、鵺は断末魔と共に落ちていく。崖下からは粘着質な音が聞こえてくる。


「降ります!」


 そう言うや否や、華也は戸惑うことなく崖を飛び降りる。お淑やかな見た目のわりに行動力があるなあなどと思いながら、六之介はその後を追う。


 鵺の姿はない。拘束された状態で落下したため、逃げ出したというのはありえない。おそらくは、土砂に飲み込まれたのだろう。だとすれば、このまま放っておけば自然と沼底へと沈んでいく。


「片付いたかな?」


「だといいのですが」



 華也は死体を見るまで安心はできない、そう言いたげな表情である。

 だからといって、このままいつまでも土砂を眺め続けるのは御免被るというのが、六之介の気持であった。


「まあ、大丈夫じゃない?」


 疲れたから帰りたい、とは声にはしなかったが、彼女には伝わっていそうである。

 彼の集中力はもう切れていた。 


 土砂が跳ね上がり、一陣の黒い風が凪ぐ。それは六之介に向かって伸びる鵺の頭、蛇であった。

 顎を大きく開き、四本の毒歯が光る。


 避けようにも、体は動かない。戦闘時の緊張はもう解けている。とっさの反応に移れる状態ではなかった。

 六之介の首筋をめがけ、真っすぐに牙は迫る。


 思わず目をつぶり、襲い来るであろう痛みに備えるが、それはいつまでたっても訪れない。

 恐る恐る目を開くと、切断された蛇の頭が転がり、パクパクと口を動かしている。切断面は焼き潰されており、出血すらしていない。


「お怪我は?」


 そう案ずる華也の右手には、赤熱した刃を携えた陽炎。

 なるほど、彼女は異能と武器、魔導兵装をそう組み合わせて戦うのか、と納得し、ぺたんと腰を下ろす。


「たすかったよ、ほんと」


 ようやく、安心できるようになったのだろう。華也の表情が和らぐ。


「今日は、貴方に助けられっぱなしでしたから、一つでも借りが返せてよかったです」


「今のチャラだよ」


 本心である。あれほどまで敵意と殺意を帯びた不浄の毒だ。噛まれればただでは済まなかっただろう。


「お手を」


 手を取り立ち上がる。思ったよりもずっと柔らかく、温かい。戦士の手ではない、だが彼女はやり遂げた。


「ありがと。さて、これで任務完了かな?」


「はい、そのはずです」


 蛇の首を拾い上げ、皮でできた光沢のある袋にしまう。証拠品あるいは首実検といった所か。


 ふうと大きく息を吐き出し、空を見上げる。ここはもう西山ではなく、光を遮る緑の壁はない。日は陰りつつあったが、まだ十分に明るい。


「じゃあ、帰ろうか」


「はい……あ」


 何か思い出したように、声をあげ、こちらを見る。夕焼け色の瞳がまっすぐ向けられる。


「おうけぃ、です」

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