4-9.4 挙り芽吹く
正午、太陽は高く、初夏の到来を感じさせる日差しが降り注いでいる。青空を大きな雲がゆったりと流れており、時折さわやかな風が頬を撫でる。
こんな日は自宅でのんびりとしたいという願い虚しく、本日は出勤日である。ただ魔導官という職種は基本的に繁忙ではなく、有事の際でなければ、日がな一日を平和かつ怠惰に過ごすことができる。
多々良隧道での一件以来、魔導官としての仕事は零であり、本日もそうなると六之介は思っていた。だが、その思いは一本の電話で打ち消された。
「警察署ですか」
「ああ」
連絡を受けた仄が眉間に深い皺を寄せながらため息をつく。
詳細は分からないが、署長である掛坂雲雀が留置されており、釈放のため来てほしいという。
「はあ」
再度仄がため息をつく。
魔導官が、それも第六十六魔導官署の署長ともあろう人物がいったい何をやらかしたのだろうか。血の気が多い人物であり、世辞にも口や態度が品行方正とは言えない彼だ。何かとんでもないことでなければいいのだが。
「……稲峰義将、行ってきてはくれまいか?」
「自分がですか?」
「ああ、何、身元を引き渡す上で署名をするだけだ」
その程度なら自分でも出来る。
「署内に責任者がいなくなるのはまずいですからね。分かりました、行ってきます」
御剣第三警察署は、ここから路面電車で一駅先である。訪れるのは初めてだが、何度かその前を通ったことがあるため迷うことはなかった。木造三階建ての年季の入ったもので、魔導官署の三倍はあろうかという大きな建物である。敷地内には大きな駐車場や武道場が設けられている。
「ええ、はい、ここに名前を書けばいいんですね」
「はい」
紙面の枠組みに署名する。
受付嬢は華也や綴歌よりも幼く見える女性である。こちらの世界では就職や結婚がかなり早いというのは把握していたが、行政機関においてもそのようだ。
待合室でしばらく待つように告げられる。
革張りの所々擦れた長椅子に腰掛け、行きかう人々を眺める。警察言えば、青色の背広に金色の装飾のある制帽であったが、こちらのものは黒色の詰襟、すなわち魔導官服と非常に似通っている。ただし、魔導官服とは違い、階級を示す色刺繍がなく、記章も少ない。そのせいでかなり地味な印象を受ける。
通路の奥の扉が開くと、見慣れた大男がぬっと姿を現す。乱暴に捲られた袖に釦一つとして留めていない。ごついブレスレッドのようなものを身に着けている。いつにも増して不機嫌そうな顔色で、左右にいる警察官の顔も青ざめているように見える。警察官というだけあり、鍛えられた体躯をしていることは分かる。しかし、それが頼りなく見える程に雲雀は剛健に見えた。
「署長ー」
立ち上がり手を振ると、雲雀は表情を変えることもなく、不機嫌そうにおうと小さく答えた。
「何があったんですか?」
電車に揺られながら問う。車内には六之介達以外には誰もおらす、規則的な駆動音のみが響いている。
「交通事故だ」
窮屈そうに座りながら答える。雲雀に似つかわしくない原因に苦笑する。
「へえ、署長でも事故なんて起こすんですね」
「俺は悪くねえ」
むすりと口を尖らせている。六之介よりも年上のはずだが、子供のような振る舞いが妙に似合っている。
魔導官署の最寄り駅に到着し、降りる。
「それで、怪我とかは?」
「するわけねえだろ、相手の車がぶっ壊れただけだ」
「……ん?」
てっきり雲雀が人を撥ねた、つまり人身事故だと思っていたが、そうではないようだ。発言から考えると、車同士の物損事故ということだろうか。
「自動車同士の事故ですか?」
「はあ? ちげえよ、人間と車だ」
「んん?」
どういうことであろうか。
情報を統括する。壊れたのは相手の車。そして人間と自動車の事故。ということは。結論を口にするよりも早く、雲雀が告げる。
「相手の車が俺に突っ込んで来たんだよ。そしたら、向こうがぶっ壊れたんだ」
「……ええ……」
ぶつぶつと文句を零している。
「えっと、魔導か何かを使ったんですか?」
「はあ? 使うわけねえだろうが。あんな玩具がぶつかるぐらい、どうってことはねえよ」
本当に大したことがなかったように告げる。低速で衝突したのなら怪我をしなかったとしても理解できるが、相手の車が壊れている。それも被害者であるはずの雲雀が加害者であると誤解される程にである。魔導を用いてもいない。となると、自動車側が相当な速度でぶつかってきたことは想像に易い。
隣を歩く存在が、本当に人間であるのか否か疑わしく思えてならなかった。
魔導官署に到着、階段を上がり、執務室の扉を開く。
「被害者は俺だっつーのによー、警察の野郎め、今に見てろよ」
雲雀は不平不満をひっきりなしにこぼしている。時折、爆破やら消滅やら壊滅などといった物騒な言葉が聞こえてくるが、聞かなかったことにする。
「何ぶっそうなこと言ってるんですか」
仄である。扉越しに話が聞こえていたようで、本日何度目になるのであろうか。大きなため息をつく。
「とりあえず、お疲れさまでした」
「おう」
「早速ですが、今回の留置に関して報告書の提出を」
差し出された書類を見て、雲雀は心底嫌そうな顔を浮かべ腰を下ろす。ぎしりと軋む椅子は金属製の頑強な造りであるが、彼と並ぶと酷く脆弱に見える。
「くっそ面倒くせえ……大体、あんな脆い外車なんて乗ってる奴が悪いんだろうが」
こちらに来て、外国の情報はほとんど聞いたことはなかったため、喰いついてみる。
「外車とかは多いんですか?」
「多くはねえな。日ノ本中を探しても数え切れるくらいじゃねえかな」
「へえ、海外との交流少ないですよね。南蛮語なんかもほとんど見かけませんし」
現在がどの程度の時代であるかは分からないが、服装や街並み、文明の発展度から大正から明治時代を思わせる。元の世界では、文明開化として外国との交流がより盛んになった時期である。比較してみると、こちらはかなり閉鎖的であるように見える。
「そらそうだ。外国も自国で一杯一杯だろうしな。日ノ本からしても、滅びかけてるような国の言語を学んでも仕方ねえ」
「滅びかけている国?」
「おう、日ノ本ぐらいなもんだぞ、こんだけ文明を維持できてるの」
「どういうことです?」
のそりと立ち上がり、乱雑に資料が収められている書棚に手を伸ばす。あれでもないこれでもないと、横倒しにされた本が床に落ち、仄がそれをさりげなく拾い、丁寧に向きを揃え抱える。
「えっと、確かこの辺に……お、あった」
表紙に世界地図と書かれた本である、地図帳のようなものであろう。ただ、それは異様に薄く、頁数も十あるかどうかだろう。
折りたたまれた一覧図が開かれる。そこには、見慣れた世界地図が広がる……はずであった。
「なん、だこれ……」
その世界は、自分の知るものと遥かにかけ離れたものだった。まず何よりも目にとどまったのは、ユーラシア大陸である。ヨーロッパとアジアを合わせた最大の大陸。全陸面積の約四割をしめるはずのそれは、大きく様変わりしていた。
ロシア、モンゴル、カザフスタン、中国の部分が海となり、カスピ海、黒海、地中海が繋がっている。ヨーロッパもウクライナやルーマニア、トルコも海となっている。加え、海面上昇の影響か地形も変化しており、多くの国々で国土が極端に縮小している。アフリカ大陸に至っては五つに分断され原形すらない。
南北アメリカ大陸も、ユーラシア大陸ほどではないにしても大きく抉られている。カナダの南東部とアメリカ東部、ベネズエラやコロンビア、ブラジル北部がない。
最も変化が見られないのはオセアニアとインドやタイだろうか。
そして、日ノ本も影響を受けている。国土が極端に小さくなっており、六之介の知る形よりも細くなっている。
「これは……いつからこんなことに?」
「いつって……何万年も前じゃねえの? 考古学者とかじゃねえから知らん」
これは百年や千年前のことではなあるまい。おそらくはこの世界では、遥か古からこうだったのだろう。地形に刻まれた不自然なまでの円形のくぼみから推測するに、巨大な隕石が二つ、ユーラシア大陸と北大西洋落ちたのではないだろうか。それによって、このような大陸が抉られ、海面が上昇、現在のような地形となった。現状ではそう考えるしかないだろう。
「なるほど……しかし、西洋や中国の文化無しによくここまで発展できましたね」
「ん、まあ、全く伝わってこないわけでもないしな。それに、旧文明の恩恵もでかい」
「旧文明?」
初めて聞く単語である。
「ああ、これに関しちゃ鏡美のが詳しいだろうが……まあ、いいか。日ノ本や他の国々にはな、旧文明っつー今よりも遥かに進んだ文明があったらしい」
前の世界にも似たようなものがあった。あれは一種のオカルトのようなものだが、高度な文明を有していた古代人がいたが、戦争によって滅び、長い年月をかけて今の人間が産まれたというものだ。その証拠して挙げられるものがオーパーツと呼ばれる時代不相応の遺物である。
「らしい、じゃねえな。あったんだ。現に色々なものが発掘され、俺たちの周りに存在している。自動車や飛行機、あとはこの街と基礎なんかはその一種だな」
なるほど、と納得する。
翆嶺村と御剣の間にある文明の開きの原因を理解する。翆嶺村は完全に零から作り上げられた新しい場所であり、御剣は旧文明の恩恵を受けて創られた場所というわけだ。
「前に御剣を第六級都市とか言ってたろ? あれはこの地域にある法脈という効子結晶脈にもよるが、多くが旧文明の遺物や遺跡がどれだけ遺っていたかで区分されるんだ」
「六級ってのは少ない方なんですか?」
「まあ、一級二級と比べちまうとな。日ノ本には、一から三級までは一都市ずつ、四級が二つ、五級が一つ、六級が四つだったか」
つまり日ノ本には十の大都市、旧文明の遺跡、遺物を輩出している場所があるということである。
「旧文明ってのはどうやって滅びたんですか?」
「さあ?」
「それに関しても、鏡美礼兵に聞くとよいぞ」
書棚を黙々と整理していた仄である。彼女のおかげで乱雑とは対照的なほど、整然と書物が並んでいる。種類や著者はもちろんのこと、大きさもしっかりと揃っている。
「華也ちゃんですか。署長も言ってましたけど、詳しいんですか?」
「ああ、彼女の部屋に行ったことはあるか?」
「ないです」
「なら今度訪ねると良い。彼女は眉唾な歴史や不可解な超自然現象などについて調べるのが趣味だからな」
オカルト好きな女の子であるということだろう。
六之介の中にある華也の像と合致はしないが、彼女のことを知り尽くしているわけでもなく、仄が嘘をつく必要性もない。おそらくは事実なのだろう。
「じゃあ、今晩にでも行ってみますかね」
徒歩三秒で到着する場所に彼女は住んでいるため、面倒に感じることはなかった。
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