4-9.3 挙り芽吹く

「……」


「……」



 五樹のおすすめである饂飩屋は確かに美味く、本日唯一の恵みであった。他にも気になる品が多くあったため、後日訪れることとなるだろう。

 本来は一番通り付近を散策するつもりであったが、事件に巻き込まれたことで、興がそれてしまった。まだ日は高いが、帰路に就くことを選択した、のだが。


「……ねえ、なんでついてくるの?」


 当たり前のように隣を歩く五樹に問う。


「いや、俺ん家もこっちだし」


「……そう」


 ならば仕方ない。仕方ないのだが、なんだかひどく嫌な予感がする。

 路面電車を降り、四ノ五番通りを歩く。松雲寮までは目と鼻の先である。


「この辺歩くの久しぶりだなあ」


「……」


「おい、普通どうしてなのか尋ねるもんじゃないのか?」


「いや、興味ないし」


 ええと唇を尖らせ、聞いてもいないのに語りだす。


「俺、今日まで入院しててさー」


 織物屋を右に曲がる。向かいにある住居の塀の上で、黒猫が日向ぼっこをしている。


「足の骨をな、仕事でこう、ボキボキっとやっちゃって」


 左手の寺では幼稚園くらいの子供たちが鬼ごっこをしており、無邪気な声が住宅街に響いている。このあたりのどこに学校があるのかは、把握していない。


「いやあ、骨折って痛えんだな……いやあ、もう涙が……って、泣いてねえぞ! 泣いてねえからな!」


 このまましばらく直進し、猛犬注意の標識のある家を左に曲がる。通い慣れた道でもう迷うこともなくなった。決して方向音痴というわけではないのだが、この住宅街はかなり入り組んだ造りであるため、迷うことも多かった。


「冷静に考えりゃ、身体の中にある骨組みがぶっ壊れるんだもんな……んで、折れたもんが筋肉とかに刺さったり……うわあ、想像するだけで痛え……って、お」


 目の前に見慣れた二階建ての木造集合住宅、松雲寮が顔を覗かせた。


「着いた着いた、俺ここに住んでんだよね」


「…………はあ」


 予想はしていた。あれほど正確な放出の魔導。加え、対人戦の慣れ。ただものではないと気付くのは、容易であった。

 可能性という名の願望として考えていたのは、警察官か軍人であるのだが、先ほどの事情聴取から警察関係ではないのは明らかであり、口の軽さや年齢、体躯からして軍人だとも考えにくい。

 となると選択肢は、やはり一つだけ。


「六之介はどこが家なんだ?」


「……こ」


「は?」


「ここ」


 松雲寮を指さすと、五樹は瞠目し、六之介を指さす。


「お、お、お前、魔導官だったのかあ!?」


 松雲寮の右隣は華也であるが、左の住人を見たことがなかった。かといって、空き部屋があるなど聞いたことがなく、しかも、一人の男がいると聞いていた。


「……やっぱりか」


 予想はしていた。というか、確信に近いものを得ていた。自慢ではないが、無駄に鋭い勘と察しの良さを有していると自負している。それに狂いはなかったようだ。



 後日、第六十六魔導官署署長室にて。

 背筋をしゃんと伸ばし、荒々しい敬礼をする者が一人。


「篠宮五樹義将、無事退院いたしましたあ!」


「おー、そうか」


 二か月ぶりの再会とは思えない気の抜けた返事である。雲雀は、頬杖を突きながらあくびを一つ。その隣には仄が立ち、眉を顰め、一歩前に出る。


「ああ、本日より貴殿の復帰を認める。鈍った身体を早く本調子に戻すと良い」


「はっ!」


 白い歯をのぞかせて笑う。


「やれやれ、生きてましたのね」


「生きとるわ! 足の骨折ったぐらいで死ぬか!」


「でも、死ぬぅ死ぬぅと泣いていたのはどなただったかしら」


「な、泣いてねえよ!」


「まあまあ、綴歌さんもそのぐらいに……とりあえず、篠宮様、退院おめでとうございます」


 綴歌と五樹に華也が割って入る。


「ありがとな! まったく、ここの良心は鏡美と副署長くらいなもんだぜ……」


 出来るだけ目をそらして、部屋の隅にいたのだが露骨な視線を感じる。目を合わせたら駄目である。


「よ!」


 向こうから歩み寄ってきた。

 人に慣れた犬の様に無邪気に、臆することもない。こういった類の人間は苦手である。


「いやあ、本当に魔導官なんだな! それも同じ階級か! 今日からよろしくな!」


 屈託のない顔である。本心から、同僚が増えて嬉しいのだろう。返事もせず、ため息で返す。


「ところで、鏡美と筑紫、階級上がってね?」


 二人から入院中の出来事を尋ねている。その会話の中で頻繁に自分の名前が出て、こちらへの目が向けられる。それが居心地が悪かった。

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