4-9.1 挙り芽吹く
御剣中央病院から、退院の認定が為された。
およそ二か月に及ぶ病院での生活はひどく退屈であり、日に日に衰えていく身体にもどかしさを覚えてならなかった。しかし、それも今日で終わりであると考えるとなんだか寂しいような気もする。
病院の外、日の光を浴びながら軽く屈伸をする。足の骨が粉々に砕けていたというが嘘のようである。医療従事者というものへの感謝は、どれだけしても足りない。身体機能回復訓練は欠かさずに、ひっそりと規定以上にこなしていたため、筋力もある程度は回復している。だが、任務に参加するとなると、不安が残るため鍛錬をやり直さねばならないだろう。
「まずは、歩くか!」
無事に退院した事と、長期間不在にしてしまったことを署長と副署長に伝えねばならない。
ここから第六十六魔導官署までは、かなりの距離があり、病み上がりでは厳しいやもしれないが、多少の無理をしなければ周りに追い付けない。
ここは二番通りである。目的地は四番通りにあるため、塔を中心にすると対照である。一番通りに向かうか、三番通りに向かうか。
どちらも距離は変わらないだろう。勾配も平地であるため大差ない。
「……一番だな!」
なんでも一番というのは良いものだ。
『魔導』という概念が確立されたのは十四世紀、日ノ本において錬金術の研究が行われていた時代にまで遡る。
錬金術とは、非金属を人工的手段によって貴金属に転換する為の術であり、実験的側面、科学的側面、魔法的側面を持っていた。今となっては愚かな、馬鹿な事柄に見えるかもしれないが、この術の研究によって化学が急激に発展したことは言うまでもなく、現代において人類が繁栄出来ているのも錬金術の恩恵であろう。
そして化学と同時に魔導が発展した。今までは漠然としていた魔導の概念。攻撃するときは赤く、身を守るときは緑色に、肉体を強化するときは青色に光る、その位にしか認識されていなかった魔導は、何千人という研究者達の何百何千何万という実験の結果、三つに分類出来ると言うことが判明したのだ。
赤の光を有する魔法の属性は『放出』。文字通り魔力を放ち出す魔法であり、放つ際に赤い魔力光が生じる。主に攻撃に使用され、単純な魔力量が物を言う属性で、使用難易度は三属性の中で最も低い。そのため有りとあらゆる文明や文化で、狩猟や戦争の度に使われてきた魔導である。現代においての需要は工事現場などが主であり、掘削や研磨などに置いても利用されている。
緑の光を有する魔導の属性は『形成』。文字通り魔力を形と成す魔法であり、成す際には緑の魔力光が生じる。主に防御に使用され、大きな魔力量と形成する物の具体的かつ明確な像が必要であるため三属性の中で難易度は最も高いため、得手不得手の差が大きい魔法である。
青の光を有する魔導の属性は『展開』。この属性は唯一文字通りではなく、特殊な魔法を指す。具体的に言うなら、強化、回復魔導、物体の形状変化・成分分析である。強化はそのままで身体能力を爆発的に上昇させるもので、青の魔法を極めると幼稚園児でも大人をはるかに凌駕する程強化出来る。回復魔導は、肉体の治療に関する全ての細胞や物質を活性化させる魔導だ。形状変化、成分分析は形状変化は芸術や工業で多用され、成分分析は主に歴史的価値のある文化遺産の保護や化石の年代測定に利用される。
魔導は、人類史と深く関わっている。魔導がなければ人類はここまで文明を築き上げることもなかったであろう。
その魔導の源、すなわち魔力。
魔力とは、万物に宿る力である。効子によりもたらされ、意思によって操作される。魔力の量は効子量ともいえ、効子が多ければ多いほど、魔力量は比例する。
効子は生物が産まれた時から体内に存在しており、一部を除けば、同種類の生物においてその量に大きな開きはない。そして、生物は成長する過程で効子を摂取し、量を増やしていく。ただし、無尽蔵に増えるということはなく、個々に異なる飽和点がある。効子限界点、あるいは魔力限界点と呼ばれ、それが高い人間ほど大きな魔力を持つということになる。
基本的に効子が無くなるということはないが、大量出血や部位欠損、臓器摘出などを行った際にその量が著しく低下することはある。効子が減れば魔力も減る。魔力が減ればその身体機能の維持が困難になる。
それを解消するために生まれたのが、『受効剤』である。効子を過剰にならない程度に薄め、経口、注射などで摂取させるもので、市販されている。
松雲寮の自室で、六之介は読書をしながら、菓子のようなものを口に入れる。さくさくとした食感と一口大の大きさ、食欲をそそるきつね色をしている。
もう一枚、脇に置かれた箱から取り出し、口にする。
「……まずい」
もう一枚、矢継ぎ早に口腔に放り込み、お茶で流し込む。
最初は無味、遅れて苦みと漢方薬のような独特の風味がやってくる。その上、問答無用で水分を奪ってくるため、三枚も食べれば唇までパサパサだ。
魔導を使えるようになるため、勧められたのが受効剤の摂取であった。受効剤の中で、最も一般的な経口投与型であり、その中で最も効果のあると評判の『豊菓』という商品だ。華也のお勧めであり、効果の方は期待できるだろう。
しかし、それ以上の問題として、この味が大きな壁となっている。
魔力のために、豊菓を食べ始めると雲雀に告げた時、どこかひきつったような表情を浮かべたが、彼はこの味を知っていたのだろう。
「……おえ」
不味い。しかし、だからと言って食べないわけにもいかない。購入したのは、二か月分。料金にして二万五千セン。前の世界ならちょっとした電子機器が買える額である。
段ボール箱一杯に入った豊菓を見て、心が折れかける。箱を閉じ、仮封印を施す。
今日はもう十分に食べた。十分だ、十分すぎる。
決してこれは逃走ではない。前進だ。未来へ、勝利に向かって突き進んでいるのだ。
いそいそと立ち上がり、外着を羽織る。
華也は袴を好むようだが、六之介は洋装を選んだ。着慣れた格好であるからと、手入れが容易だからという理由だ。ちなみにこの世界においては、洋装という呼び方は正しくない。なぜならば異国との接点がほとんどないためだ。こういった和装ではない服装は、旧文明の遺物を起源としているため、『旧装』や『異装』と呼ばれる。
御剣の街に繰り出す。
松雲寮は四ノ五番通り付近にある。路面電車の駅までは徒歩で五分ほどであり、遠出するにも苦労はない。もっとも円形の御剣には、その概形に沿った路線が無数に走り、駅も置かれているため、最寄りの駅がないということもないのだが。
今日はどこへ向かおうか、手持ちの地図を開く。
先週は三番、先々週は四番通り周辺だった。今日は一番か、二番か。
「一番かな」
今日はまだ時間も早く、ふらつく時間はある。二番通りはこの街に初めて訪れた時の場所であるが、一番通りは足を踏み入れたことがない。今日はゆっくり時間をかけて歩き回ろう。
鈴の音と振動が伝わってくる。見慣れた小豆色の車体が鈴の音ともに姿を現した。
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