4-2 挙り芽吹く

 それから、二日後。 


 多々羅隧道は三番通りを道なりに進んだ先にある。

 必要な魔術具。魔導兵装、食料、生活用品を持ち、車に詰め込む。今回の任務は期限は二日間である。

 日も昇りきらぬ時間に第六十六魔導官署を出発し、早二時間。車窓からの景色は一変し、人工物はほぼなく、手付かずの自然が広がっている。時折、狸や鹿が顔をのぞかせ、車に驚き身を隠す。


「あの……綴歌さん、大丈夫ですか?」


 隣でぐったりと項垂れる綴歌の背中をさする。今にも倒れてしまいそうなほど、顔色が悪い。


「うう……車は……苦手ですわ……」


 気の強さはどこへやら。涙目になっている。顔色も真っ青を通り越して、白い。

 とてもではないが見ていられない様子に六之介が動く。


「……華也ちゃん、この座席って倒せる?」


「ええ、そこの取っ手を……」


 綴歌の背もたれがゆっくりと水平に近づく。


「うう……」


「あとは……水筒は、どこに……ああ、あったあった」


 鞄から取り出す。中身は水であり、それをコップに移す。


「華也ちゃん、これ凍らせて」


「それは構いませんが……車酔いなので、熱はありませんよ?」


「氷嚢にするんじゃないさ」


 温度変化の異能で、一気に凝固させる。それを受け取った六之介は、一口大に砕く。


「綴歌ちゃん、口開けて」


 言われるがまま、口を開き、氷が投げ込まれる。急な冷たさにびくりと身体が動く。


「噛まずに舐めてね。多分楽になるから」


 半信半疑のまま、氷の塊を口腔内で転がす。じわじわと溶け出した水分が身体に染み込んでいく。


「……あ」


 綴歌が声を漏らす。


「どうしましたか?」


「いえ……なんだか楽になったような……いえ、吐き気が消えましたわ」


 信じられないといった口調である。


「車酔いってのは、平衡感覚がずれて副交感神経が過剰に働いて起きるんだよ。氷を舐めることで交感神経を刺激できるから、それらが拮抗して元に戻る……んだったかな」


 何を言っているのか分からなかったのか、華也と綴歌がぽかんと六之介を見ている。

 結論だけ言うならば。


「まあ、なんだ。車酔いには氷が効くんだよ」


「へえ、そうなんですの」


 なんだかそっけない態度である。


「体を折り曲げたり、近くを見たりしない方がいいよ。できるだけ遠くを、変化の少ない場所を見ると酔いにくい」


 または目を瞑っておくとかね、と付け加える。


「……貴方は妙な知識をお持ちですのね」


「そうかもね。広く浅く、かな」


「でも助かりましたわ……その」


 口ごもる。言いたいことがあるのに、言えない。否、言い出しにくいといった具合だろうか。


「そろそろ着きます」


 運転手が告げる。気が付くと、森林地帯から山間部になっている。気温もやや下がり、山肌を撫でた風が凪いでいる。

 左手に開けた土地と簡素な飯場が見えてきた。飯場とは、大規模な土木工事や建築現場における作業員のための宿泊施設である。作りは簡単そうだが、なかなかの大きさであり、二十人以上が寝泊まりは出来るだろう。今日から最長で二日間、六之介たちはここで寝泊まりをすることとなる。


 車を止め、荷物を降ろすと、大柄な男性が駆け寄ってきた。三十代半ばほどで、剣山のような髭と潰れた鼻が特徴的である。汚れきった藩襦袢からは傷だらけで筋肉隆々の腕が顔をのぞかせている。


「どうも、魔導官殿。よくおいでくださいました。私は、小岩井勇雄と申します」


 しわがれているが、よく響く声であった。


「はじめまして。此度の任を引受けた、筑紫綴歌ですわ」


 先ほどまでの弱々しさはどこへやら。いつもの口調と勝気な振る舞いに戻っている。


「よろしくお願いします。荷物は残っている者にやらせますので、どうぞこちらへ」


 車の外に置かれた荷物を屈強な男たちが飯場に運ぶ。


「汚いところで申し訳ないです」


 内装は清掃はされているようだが、落としきれない汚れや傷が無数に残っている。それも致し方あるまい。この飯場を作ってすでに三か月は経っている。そして利用者は汗と泥と血にまみれた男衆。汚れないはずがない。


 華也はともかく、綴歌が文句でも言い出すのではないかと思ったが、なんてことないといった振る舞いで変わりない。

 粗茶ですが、と出された茶を一口含む。


「さて、では今回の任務について、こちらから説明させていただきますわ」


 目が痛くなるほどびっしりと書かれた書類を取り出す。遠目で見ると灰色の紙面にしか見えないだろう。

 勇雄もその細かさに、目を白黒させる。


「ご心配なく。要点をまとめたものはこちらですわ」


 こちらは対照的に、箇条書きで簡易に書かれていた。おそらく前者は事前に報告する書類で、こちらが依頼者に見せるためのものなのだろう。


「今回我々は、貴殿から報告を受けた事象と周辺の魔力の異常増加の関連性を調べに来ました。基本的には魔導官のみで行動をしますが、そちらの協力を求めることもあります」


「はい、できる限りお手伝いさせていただきます」


「我々が行動するにあたって、可能な限り作業員を現場から遠ざけてください」


「済ませてあります。先ほどの連中も荷物を運び入れ次第、帰らせるつもりです」


「他にも大なり小なりありますけど……重要なことは以上になりますわ。お互いの無事を祈りましょう」


 手を差し出す。

 勇雄は驚いたような面持で傷だらけで泥が染み込み、ぼこぼこと変形した自身の手を見る。綴歌のしみ一つない真っ白で柔らかな手とは対象的である。この綺麗な手を握ってもいいのだろうか、という思いが伝わってくる。その意思をくみ取ったのか、綴歌から勇雄の手を取る。勇雄はくしゃりと潰れた笑顔で綴歌の手を握り返した。 


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