2-4 御剣の担い手
「おお……」
本日二度目の感嘆のため息である。目的地である御剣にたどり着き、華也は運送業者で六之介の荷物配達の手続きをしている。その間、六之介は店の外で周囲を見ている。
行きかう人々の格好は、和洋折衷とはこのこととばかりに和服と洋服が入り混じっている。男性は帽子に縁のある丸眼鏡、ゆとりのあるズボンにステッキという格好が多く、女性は紫の矢絣に海老茶袴、髪をリボンで結い、洋傘を手にしている人が多い。中にはセーラー服や魔導官服とは異なる詰襟の人もいる。おそらくは学生であろう。
地面にはしっかりと舗装がされており、下水道なども設けられているようだ。そして、自動車や二輪車も走っている。見た目こそは何の変哲もないものだが、排気ガスを排出するためのマフラーがない。おそらくはこれらも魔力で動いているのだろう。環境を配慮してなのか否かは分からないが、街中でも空気が澄んでいるような気がする。
「……んん?」
そう、臭いはしない。村ほどではないが、澄んだ空気をしているとは思う。
空を見上げる。雲一つない青空である。梅雨明けの熱を帯びた日差しが降り注いでいるはずなのに、なぜだろうか。どこか霞んだ、靄がかかっているように見える。
霧が出るような気候ではない。排気ガスでもどこかで火災が起こっているわけでもない。だというのに、何故ぼやけているような気がするのだろうか。
「すみません、お待たせしました……どうかなさいましたか?」
「ん、いや、なんでもないよ。行こうか」
華也の後ろを着いていく。その際も六之介は街並みに見移りてしまう。看板や旗が掛けられているが、やはりその文字は読めない。しかし、何の店であるかぐらいは品ぞろえを見れば分かる。
靴屋、着物屋、鞄の仕立て屋、人形屋、本屋、自転車屋、金物屋、八百屋、魚屋、切りがない。生活する上で困ることはないだろう。周囲に気を取られ、足元がお留守になる。
溝に引っかかり、体勢を崩す。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫……というか、この溝って」
周囲は軽く錆びついているが、中央部分は磨かれたような光沢がある。よくよく見てみると、細かい傷がびっしりと刻まれていた。
「ああ、これはですね、説明をするより見た方が早いですね」
指さす方向には、赤紫色の細長い車体があった。硝子の張られていない無数の窓がきっちりと並んでいる。車とは違う金属製の車輪が溝に挟まって、静かに鎮座していた。
「路面電車だ」
これも実物を見るのは初めてであった。
「魔導官署までは距離がありますからね。乗っていきましょう」
「魔導官署にいくの?」
「ええ、不浄退治で協力をしていただきましたから。ご面倒をおかけしますが、お願いします。謝礼金も出ると思いますし」
面倒であるため、なんとか避けようと思ったが謝礼金が出るのなら話は別である。
現状は一文無しだ。翆嶺村に住んでいた頃は基本的に物々交換であったため何かを売買したことはなかったのだ。
「それなら喜んで」
我ながらげんきんなものだと思うが、ここで暮らすのなら金銭は必要だ。
路面電車の中には、同年代の青年一人と中年の夫婦が二組乗っていた。適当な座席に腰かけ、しっかりと窓際を確保する。華也は料金を払い終え、六之介の隣に腰掛ける。
「まさか一日のうちにSLもどきと路面電車に乗るとは思わなかったよ」
「以前の世界にはなかったのですか?」
「あるにはあるけど、多くはないね。普通の電車と新幹線とかはあるけど」
リンという鈴の音を合図に、足元から駆動音が響く。大きな振動の後に、ゆるゆると景色が流れ出す。速度は自動車と変わらない程だろうが、なかなか乗り心地はいい。この固めの椅子も思ったよりも身体に合う。
街の中央にある塔を目指して進んでいるようだ。
「あの塔ってなんなの?」
「『多法塔』です。この街の象徴で観光名所ですよ」
たしかにあの大きさは象徴にふさわしいだろう。近づけば近づくほど、その大きさに圧倒される。雲に届きそうなほどだ。
どうやら一部は店や展望台として公開されているようで、人の出入りが見て取れる。
街並みが徐々に変わり始める。平屋は減り、二階建て、三階建てが増え始める。店と居住区に分かれているのではなく、階層ごとに異なる店舗であるようだ。
そして、上階の店前にはバルコニーもしくはベランダのような通路が設けられ、一定の間隔で道路と交わるように橋が架かっている。橋は日光を遮らないように配置されているようで、薄暗くはない。三階部分も同様の構造となっているようである。また建材は木材であるようで、遠目に見ても頑強な造りをしていることが見て取れた。また、一定の間隔で幾何学的な装飾が施されている。焼印、彫刻と其々模様ごとに方法は異なっている。
街灯の代わりに灯籠が置かれ、提灯と旗が風に揺れている。その隙間を電線らしき線が縦横無尽に走っていた。
「……すごいな」
前の世界とは、全く異なる景色に目が離せなくなる。
まるで絵画の世界が現実になったようだ。これが現実であると思えなくなるが、この世界は確かにここにあり、人々が生きている。そして、自分がその一部である、ということに感動すら覚える。
「塔の周囲はこういった階層造りになっているんですよ」
雑多とも窮屈とも言えるかもしれない。しかし、それがこの独特の街並みを際立たせていた。
路面電車に乗って、十分ほど経ち、車内は六之介と華也だけとなった。最後の客たちは二つ前の停留所で降りていった。
建物が途切れることはないが、駅周辺と比べるともの寂しい。高階層建築物は減り、代わりにマンションやアパートを思わせる大型のものが増えていた。集合住宅街なのだろう。
「次で降りますよ」
「次ね、ええっと……」
貼り付けられている停留所名を見るが、やはり読めない。
「第六十七魔導官署前、ですよ」
なるほど、この縦線と横線の組み合わせは六十七になるのか。数字を覚えるのは決して難しくはなさそうだ。
「そこが以前言ってた無能な臨時署長のいるところ?」
鵺との闘いの際、捕縛用魔導具の使用しか許可しなかったという人物だ。
「ま、間違っても本人の前でそんなことを言わないでくださいね……自尊心の強い方なので」
否定をしないあたり彼女もそう思っているのだろう。
電車が止まり、降りる。
目の前には三階建ての鉄筋の武骨な建物。看板には、先ほどの文字と同じものが刻まれている。一階部分は警察署のようにも見える。
「こちらですよ」
呼び鈴を鳴らし、扉を開く。一階部分は机が三つと帳が並べられた本棚が四隅に並べられている。人は居ないようだ。
華也はそのまま奥へと進み、木製の階段を上る。壁にはカレンダーのようなものや標語のようなものが張られている。
二階に上がり、左折。凝ったデザインをした観音開きの扉がある。妙にここだけ雰囲気が違い、不格好な印象を受ける。
ノックをすると、入室を許可する男性の声。癖のある物言いで、高くも低くもない。
「失礼いたします。第六十六魔導官署所属、鏡見華也義将です。任務の報告に参りました」
びしりと背筋を伸ばし、敬礼をする。おっとりとした雰囲気は消え失せ、張り詰めたものとなる。
「事前連絡よりも遅かったじゃないか」
髪を七三分けした細身の三十代半ばほどの男性であった。目は落ちくぼみ、影がかかっている。頬骨が目立ち、ひし形をした輪郭。
魔導官服の刺繍は赤色である。
右側の壁面には本棚があり、分厚い革張りの書物と薄い帳面、多くの書類をまとめたものがきっちりと収められている。文字は読めないがかなり細かく分類されているようで、色分けがされていた。
左側には、ロッカーやクローゼットのようなものが配置されているが、中身までは分からなかった。
全体の印象として、必要最低限の物しかない。それでいてそれらが型にはまるように、きちりとしている。床板に埃はおろか糸くずすらない。よほど几帳面な性格をしていることが伺える。
「申し訳ありません。少々手続きをしておりました」
腰を折る丁寧なお辞儀であった。
「その手続きとやらは任務報告よりも大事なのかね?」
薄く、血色の悪い唇が動く。
なんとも厭味たらしい口調だ。しかし華也は表情一つ変えずにいる。
「まあいい。ところで、後ろいる者は誰だね?」
「はい。此度の任務において、大きな貢献をし、任務遂行に助力をしていただいた方であります」
ちらりと華也が六之介を見る。名を名乗れ、ということだろう。
「あー、どうも、稲峰六之介です」
華也とは対照的に適当な会釈をする。男はふんと鼻を鳴らす。
「ほう、君は不浄退治に民間人の力を借りたのかね?」
「はい」
「力なき一般市民を守るのが魔導官の仕事でないのかね」
「その通りです」
「だというのに、民間人を危険にさらしたと」
華也が押し黙る。良い方は嫌味があふれているが、理屈としては間違ってはいない。
男は胸ポケットから煙草を取り出し、口にくわえ、火をつける。室内にマッチの臭いが広がる。
「それは……」
「あー、お言葉ですが、ちょっといいですかね」
言葉を遮る。男は不服そうな表情を隠すこともなく、六之介を睨む。
「彼女は自分を巻き込まないように行動していましたよ。自分が勝手に着いていっただけです」
事実だ。不浄というものを見てみたかったため着いていったのだ。
瞬間移動を使えば逃走は容易であるため、危険だとは思っていなかった。とはいえ、彼女からすれば現場に着いてくる力なき民間人は足枷の様に感じたであろう。
「それに自分は彼女よりも土地勘がありましたからね。戦闘するにしても助言ができると思いまして」
助言ね、と鼻で笑う。明らかにこちらを見下しているようだ。
「民間人の助言を借りねばならないとは、まったくもって情けない魔導官だ。上司も上司なら、部下も部下だな」
今の一言で理解する。この男は華也が嫌いなのではなく、彼女の上司が嫌いなのだ。理由までは分からないが、間違いなく悪意を抱いている。だから、その部下である彼女に対してこのような物言いと扱いをしているというわけだ。つまりは八つ当たりだ。
「小さいなあ」
思わず言葉がこぼれる。
「なに?」
適当に誤魔化すこともできたのだが、彼女にはここまで恩がある。電車代や運送業者の工面は勿論のこと、御剣を訪れることができたのも他でもない彼女のおかげである。
そんな華也が貶されているのを黙って見ているほど、六之介は大人ではない。
「あんた、人間として小さいな。いい歳してるくせにさ」
自分が子供であること、それは彼自身が一番理解している。だが、それを恥じたことはなく、直そうと思ったこともない。
かっと男の顔が赤く染まる。
「貴様、身の程を弁えろ!」
「いやいや、弁えるのはあんただって。さっきから華也ちゃんを責める気満々って感じだけど、あんたに落ち度はないのかい?」
「り、六之介様」
華也はおどおどとしている。
もう引き返せないし、なによりこういうタイプの人間は嫌いであった。ならば、言いたいことは言っておく。我慢など大嫌いである。
「あんた、ろくな道具も渡さずに華也ちゃんに討伐を命じたそうじゃん。普通は他にも手助けとなるようなもの渡して、魔導官を複数派遣するんだろ? あんた何にもしてないじゃない。これはどういうことなの?」
「不浄の危険性は事前報告で低いと判断されていた。それに見合った装備だ」
「不浄って短期間で姿とか行動を変えるんだろう。だったら十分に対応できる過剰なまでの準備をすべきじゃないの? ついでに言えば、近場に村落があるんだ。あんたの言葉を借りるなら、『力なき一般市民』を守るために充分以上の装備をさせるのが道理じゃないのか?」
男が一瞬言葉に詰まる。追撃する。
「あんたさ、華也ちゃんの上司が嫌いみたいだけど、その八つ当たりでこの娘を危険に晒したわけ?」
六之介が一歩前に出る。
「こういう組織において命令は絶対だ。断るわけにはいかない。それが分かっていて、死地に、不十分な装備で赴かせたわけ?」
また一歩、前に出る。
「お前、人の命をなんだと思ってんの?」
もっとも、自分の言えたことでは無いなという思いもある。
ただ、その声は尋常ではない怒気を孕んでいた。普段の六之介を知るものからすると、同一人物であるのか疑いたくなるほどの変容。
男が怒鳴る。
「やかましいっ! 貴様、私に対してその様な物言いをしてただで済むと思っているのか!」
「へえ、魔導官様が力なき一般市民に何をなさるおつもりで?」
男は完全に押し黙る。
ぎりぎりと奥歯をかみしめ、血が滲みそうなほど拳を握りしめている。
口論でこうなったら負けだ。頭に血が上ってろくな思考ができなくなる。理論的な言動はなくなり、感情論だけになる。
その時であった。
「……くっくっく、あっはっはっはっは!」
扉の向こうから笑い声が聞こえてくる。思わず振り返ると、轟音が響き、引き戸のはずの扉が内側に蹴破られる。金具が吹き飛び、宙を舞う。一人の大男が立っていた。
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