5-8 精彩に翔ぶ
風が強まり、暗雲が立ちこみつつある翌日の朝、華也は橘美緒を連れてきた。
「ええっと、美緒ちゃん?」
先日の快活さはどこへやら、表情は石の様に固まり、華也の後ろから離れようとしない。その二人の周りで、五樹と綴歌はどうすればよいのか分からずに落ち着きなく動き回っている。
「み、美緒さん? お話を聞いても……」
綴歌が猫撫で声で話しかけるも暖簾に腕押しとでもいうべきか、するりとその手を潜り抜ける。
「おおい、話を……」
五樹はいつもどおりにこやかに振る舞うが、これも無視される。
子供の扱いというものが彼らにはよくわからなかった。そもそも魔導官という職種に就いているとはいえ、彼らはまだ十八歳であり、子供と言っても差し支えのない年齢である。
「くう……何故ですの……」
悔しそうに綴歌が項垂れ、二房の赤い髪が揺れる。なんだか提灯のようだなと無礼なことを思いながら、五樹がその様を眺める。
「それにしても、呼び出しといて六之介はどこ行ったんだ?」
美緒がだんまりを決め込んでいると、六之介は何か思いついたように外へ駆け出して行った。もう二十分になる。台風が近づいているため外出は控えるよう、村長から告げられたというのに、いったい何をしているのだろうか。
「ただいまー」
気の抜けた声と共に六之介が帰ってくる。茶色い髪は滴で濡れている。
「どこ行ってたんだ?」
「ちょっとな」
右手を軽く握りながら、美緒に近づく。当然の様に彼女は怯え、華也の後ろに隠れてしまう。
「美緒ちゃん、だっけ? いいものあげようか?」
右手をゆっくり彼女の前に差し出す。おどおどとしながら、金色の視線が寄せられる。それを確認すると、六之介は手を開く。そこにいたのは、褐色の体躯に鎌状の前脚を持ち、でっぷりとした腹を持つ昆虫。
おもわず綴歌は悲鳴を上げそうになるが、それをこらえる。
「わあ……!」
美緒の表情が一変し、明るくなる。目の前のものに興味津々といった具合である。
「蝉の幼虫。生きてるのは、初めて見た?」
こくこくと何度も頷く。蝉は掌の上で潜ろうとしているのか、六之介の掌を引掻いている。
「いきなり大きい人たちに囲まれてびっくりしちゃったかな? でも、自分たちは君の……そうだな、お友達になろうと思ってるんだ。これはその印だよ」
魔導官らしくない、のんべんだらりとした口調を受け、美緒の手が伸ばされ、蝉を優しく捕まえる。それを見て満足した六之介は優し気に笑う。
「あとで虫籠に入れておこう。多分明日の夜に羽化する様子が見れるよ」
「ほんと?」
「ああ」
緊張が解け、華也が先日見たような美緒に戻る。
本来は人懐こい質であるようだが、年長者に囲まれ緊張してしまったのだろう。しかし、それも解けた様である。
膝を折り、目線を美緒に合わせる。できるだけ優しい口調で続ける。
「美緒ちゃん、昨日華也ちゃんに言っていたこと、教えてくれる?」
「……ぬまのいきもののこと?」
「それは後で聞かせて。今回は、不浄の事」
「わかった、あのね」
美緒が語りだす。
彼女は、生まれつき目が視えなかった。光すら感じられず、海女として生きることはできなかった。ただ、他が健康体であったのは不幸中の幸いであろう。
美緒の母親は、彼女を産んですぐに亡くなった。元々身体が強くなかったことに加え、かなりの難産が祟ったという。父親は、それから二年後、漁の最中に鱶に襲われ帰らぬ人となった。
残されたのは、二歳の美緒と六歳の雄太。二人で生きるには、あまりにも幼い。しかし、住良木村の人々はこの二人を実の子のように可愛がり、育てた。辺境の村にとって子供は次なる世代、宝であり、命である。守り、養うことをよく思わない人間はいなかった。兄妹はそれから七年間、住良木村の人々の助力を受け、生きてきた。
事件の日、美緒は兄である橘雄太を見送りに船着場にいた。幼いながらも視えない目で甲斐甲斐しく兄の手伝いをする美緒は村人にとって、これ以上ないほど健気で可愛らしく、実の子供のような存在であったのだ。
雄太を送り出し、船着場を離れ、家に戻る。朝食は済ませてあるが、一仕事を終えた雄太の為に軽食を作ることが、美緒の仕事である。保存しておいた野菜や干し肉を加熱しながら、たった一人の帰宅を待っていた。
しかし、雄太は帰ってこなかった。彼だけではない。実の母のように美緒の面倒を見ていた女性たちが皆、泣いている。慟哭している。漁師たちは、唇を噛み締めながら頭を下げている。
視えない美緒には何が起こったのか分からなかった。兄が行方不明になったと、おそらく死んだと聞かされても理解できなかった。不浄だと悟は言っていた。魔導官を呼ばなければと言っていた。
美緒はそんな訳は無いと言い続けた。
雄太がいなくなった次の日も、その次の日も美緒は言い続け、信じ続けた。必ず雄太が帰ってくると。
異変が生じたのは事件から二日後の夜だった。ぼんやりとした温かさを感じ、世界が広がった。それが視えるという感覚だと分かったのは、翌朝である。初めて見る世界は、どうしようもなく美しく、涙が出た。
そして、自宅で自身のものと異なる色を見つけた。それが兄のものであると気が付くまで時間はかからなかった。
美緒の眼のことは、すぐに広まった。決して大きな村ではないため、半日もすればそれを知らぬ者はいなくなった。
村の人たちは、奇跡だと喜んだ。消沈する村にとって、それは篝火の様だった。
美緒の世界は、どんどん広がっていった。いつしか、その目には本来ありえないものまで視えるようになった。
海に出る。海流ごとに異なる色彩が混ざり合う様は、幻想的で美しい。ときおり魔力を帯びた小魚の群れが現れ、色が増え、消え、新たな群れが異なる色で現れる。
いつまでも見ていられる。一時としてとどまることのない千変万化の、色の波。そしてその上に広がる空は、海と比べると淡いが色調を有している。風によって広がり、太陽の光を受け輝いている。
この眼ならば、と思った。この眼ならば兄を見つけられる。兄は死んでなどいない。どこかに隠れているだけだ。美緒は必死に駆け出した。村の中を、家々を、山の中を、海の中を。
そんなときに、華也を見つけたのだ。真黒い服を着ている彼女が、魅力的に視えたのだ。
――幼子の言う要領を得ない話をまとめ上げるのは、骨が折れた。しかし、形にはなっただろう。
部屋の奥では、六之介と華也と美緒が蝉を虫籠にいれ、それを取り囲みながら話をしている。蝉というのは台風の過ぎた翌日羽化しやすいらしいため、明日の夜が良い時期であると六之介が説明し、美緒は目をキラキラさせながらその話を聞いている。伽耶は博識ですねえと相槌を打っていた。昆虫が苦手である綴歌は、六之介に美緒の証言をまとめ上げるよう言い渡され、五樹は風呂に入っている。
外は既に台風の影響で荒れるに荒れ、雨戸越しに悲鳴のような風の音と、弾丸の様に雨粒が叩き付けられている。明日の朝には、気候は良くなるとのことだが、村に大きな被害が出ないかどうかが綴歌の心配の種であった。
寝室には四つの布団と五つの枕が並んでいる。追加されたのは美緒の分であり、華也と一緒に寝ることになっている。
「私も寝ましょうか……」
仕事は済ませた。風呂も入った。起きている必要はないだろう。
六之介たちに先に上がることを伝え、綴歌は夢の世界へ旅立っていった。
余談ではあるが、翌朝、彼女は巨大な蝉の追いかけられるという夢を見て、悲鳴を上げながら起きることとなった。
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