2-2 御剣の担い手

 車内に人はいなかった。列車は徐々に速度を上げ、最高速度で走っている。硝子越しに映る田園風景を、六之介は口を開けたまま見ている。その様がなんだか可愛らしく、華也は笑みを零す。


「そんなに物珍しいですか?」


 視線を対面に向け、頷く。


「電車や新幹線に乗ったことはあるから、速度的な驚きはないよ。でも、景色がすごい」


 むしろ速度は遅いぐらいである。視線を外に戻す。


「こんなに緑のある風景を見るのは初めてだ」


 華也にとって、車窓からの風景はなんてことのないだ。この地域は水気を多く含んだ土地柄であり、そのうえ粘土質の土が多い。それゆえに稲作を生業としている人々によって形成された村が点々と存在している。

 梅雨明け間近の暖かな風を受けて首を垂れた稲穂が海原の様に波打っている。


「ここは田園ですが、隧道を二つほど抜けますと畑が多くなるんですよ」


「へえ、それは楽しみだ」


 目がきらきらと輝いている。


「……あの、六之介様」


「ん?」


「いくつか伺いたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


 華也は特定の答えを要求するための遠回りな問い方、いわゆる誘導尋問のような器用な真似は出来ない。罪悪感がまず先に出る上に、そもそも口が上手くない。そのため、真っすぐに問うようにしている。誠心誠意を込めて、嘘偽りない態度をとる。

 だからこそだろう。多くのものはそれを感じ取り、応じてくれる。のだが。


「やだ」


「……え」


 六之介は視線を戻すと、隣に置かれた弁当をあさり、おにぎりを一つ取り出す。宿の女将がこさえてくれたもので、大の大人の握りこぶしを包めるほど大きい。それにかぶりつく。


「やら。めんろくふぁい」


「そ、そうおっしゃらずに! 魔導官になるうえで必要なのですよ!」


 咀嚼し、喉を鳴らし飲み込む。美味しかったらしく、目を輝かせている。


「別に魔導官になるとは言ってないし」


「え? で、ですがヨイ様が……」


 彼女を見向きもせず、再度車窓の外に視線を戻す。


 六之介の言葉に、はっとする。その通りであった。確かに彼は言っていない。

 翆嶺村の村長であるヨイから、六之介を魔導官にしてほしいと頼まれていたのだが、彼からそれを聞いたことはなかった。


「あー、ばあちゃん、余計な事言った感じか」


 何となく察したのだろう。困ったなといった具合に頬をかく。


「自分は街には行くけど、魔導官になるとは言ってないよ」


 二口目。そして飲み込む。


「で、ですが……」


「だいたい、魔導官てアレでしょ? 上司の命令とかには従わなきゃいけないんだよね?」


「基本的にはそうです」


「じゃあ、死ぬ可能性が高い仕事を押し付けられたりするじゃん。やだよ、そんなので死ぬの。馬鹿馬鹿しい」


 隧道に入り、彼の顔は見えなくなる。その上、声色はいつにも増して平坦なものである。それがひどく不気味で名状しがたい威圧感を孕んでいた。華也の背筋に冷や汗が流れる。


「赤の他人のために、それも自分の意思と関係なく命を失うなんてまっぴらごめんだね。自分はやりたいことを、自分の意思でやる。誰かに言われたことなんて、命令なんて絶対にやってやらない」


 はき捨てるかの物言い。しかし、それは華也にとって聞き覚えのある内容だった。


「……ふふ」


 思わず笑う。同時に隧道を抜け、日が差し込む。その眩さに思わず、瞠目する。


「何かおかしなこといった?」


「いえ、すみません。ただ、私の上司が同じことを仰っていたもので」


 一年ほど前、正式に魔導官となったその日に言われた、上司からの言葉を思い出す。激励や新人への期待を示すものは一切なく、あの人は言ってのけた。


『誰かに命じられたから従うような奴はいらん。自分がやりたいことを、自分の意思でやれ。気に食わない命令ならそれを無視しても構わん』


 不敵な笑みを浮かべ、他者を見下すような態度だった。しかし、高圧的な雰囲気だというのに、不思議と嫌悪感はなく、それどころか好感すら抱いた。

 理屈ではない。ただ伝わってきた、としか言えない。彼は、上司となったその人は決して悪人ではない。あくまでそう振る舞っているだけである、と。


 六之介は悪人らしさの代わりに、自らの存在をぼかすように振る舞い、内心では強い思いを、意思を宿しているように見えた。そうでなければ翆嶺村を救うために尽力などしない。


「へえ、そんな上司がいるんだ」


 意外そうにつぶやく。


「ええ、貴方と似た人物ですよ」


 稲峰六之介という人物は、普通の魔導官署に属するには不向きであろう。しかし、第六十六魔導官署であれば話は別だ。彼のあり方は署長の思考と適合し、大きな力となるだろう。だが、魔導官になるというのは危険と隣り合わせになるということでもある。故に、強い意志がないのであれば、勧めるわけにはいかない。


 だからこれは、魔導官になる云々とは無関係な質問であった。純粋な疑問をぶつける。


「あなたは、異世界から来たと仰っていましたけれど、それはどんな世界なのですか?」


 完全に信用したというわけではない。しかし、興味はあった。元々そういった超常現象、未確認生物、幽霊、妖怪などを華也は好んでいる。書籍や口伝によって情報を収集し、まとめるのがちょっとした趣味であった。


「そうだなあ、どこから話すべきか……」


 六之介は口元に手を寄せ、しばし押し黙る。その際に、華也は鞄から鉛筆と帳を取り出す。使い込まれており、節々が痛んでいた。


「まず、君たちの言う魔導というものは無い。ただ異能に近いもの、サイキック、超能力と呼ばれる力が存在している」


 鵺との闘いの際に生じた地割れ。おそらくそれを発生させたのが六之介の超能力なのだろう。そのことについても聞きたかったが、話を遮らずに頷いて見せる。


「それで、文明レベル……っと、文明の進み具合はあっちのがかなり上だね。スマホとかパソコンとかないでしょ?」


「どちらも聞いたことはないですね」 

 

「ああ、そうだ。説明するうえでこっちからも質問があるんだった」


「答えられる限りならば」


「テレビ、ラジオってある?」


 聞き覚えのない単語であった。少なくとも華也の知識にはないものだ。

 首を横に振ると、六之介はなるほどと相槌をうつ。


「電話は?」


「ありますよ。こんなものですよね?」


 帳面にさらさらと描かれたものは直方体で、上面に二つの鐘が並び、繋がる広面にはダイヤルが、脇に末広がりの筒がぶら下がっているというもの。


「ああ、なるほどね。ということは、今は……明治とか大正時代かな?」


「めいじとたいしょう、ですか? 時代としては、今は法正三十年ですけれど」


「ほうせい?」


「正しい法と書きます。こうです」


 電話機の隣に書き込む。

 それを見た六之介は、眉をひそめながらのぞき込む。


「……何この字」


「法正、ですけど」


「正しい法でしょ? こうじゃないの?」


 鉛筆を借り、比較するように並べて書く。華也のものは曲線多い複雑な形だが、六之介のものはシンプルかつ簡易な棒線で構成されている。

 

「なんですか、この文字は?」


 いぶかしげな表情を浮かべる。


「あー、言葉が通じてるから問題ないと思ってたけど……村にいた頃は字なんて見なかったからなぁ……そうか、地図に載ってた模様は文字だったのか」


 頭を乱暴に掻く。


「ちなみに、ひらがなはあるかい?」


「はい、平仮名と片仮名ですね?」


 法正の脇に、二つ並ぶ。六之介の知識でいうと『法正』で『ほうせい』『ホウセイ』だが、こちらでは違うようだ。平仮名は、と呟きながら書かれた文字はどちらかというと片仮名寄りの硬質的な形状で、片仮名は逆に平仮名のような曲線を描いている。

 文字数はどちらも四文字である。一字が一音を示す点は同じであるようだ。


 とは言え、困ったことには変わりなく、今後まずは文字を覚えなくてはとため息をつく。


「まあ、今はいいや。とりあえず、自分がいたのはこの時代より少し先の時代で、そこには超能力があり、自分はそこで超能力開発をされる人材の一部でした、って感じだ」


 手を必死に動かし、記録する。


「細かく聞きたいことは色々あるだろうけど、それはその都度に答えるよ」


「分かりました」


「その代わり、文字とかこの世界の常識を教えてほしい」


「喜んでお教えしますよ」


「ありがと。じゃあ、次。多分一番知りたいであろう超能力について」


 六之介は掌を差し出す。そこには先ほどまで頬張っていたおにぎりの包み紙を丸めたものが置かれている。


「よーく見ててね」


 言われた通り、凝視する。列車の進行に合わせて、小さく震えている。


「三、二、一……」


 六之介が数える。一瞬の沈黙、そして。


「えっ?」


 目を離してなどいない。瞬きもしていない。だというのに包み紙は一瞬にして消え去る。まるで初めから存在していなかったようにすら思えた。

 物質を触れずに動かす異能は存在している。今起こった事と同様の事象を引き起こせるのは移動系の異能、高速移動だ。これは魔力同士の引力と斥力を高め引き起こすものである。

 しかし、今のは明らかに違う。いくら高速移動でも、どれほど速度を上げようとも『動いた』という事象は確認できる。目に留まらぬとはいうが、凝視していれば話は別だ。なのに、今のは違う。包み紙がどこにいったのか全く『見えなかった』。文字通り、消え失せたのだ。


 顔を上げると六之介は楽しそうににやにやとし、通路を挟んだ隣の席を指さしている。

 視線を向けると、隣の席で包み紙が小さく揺れている。


「どうして、あんなところに……」


「これが自分の超能力、『瞬間移動』だね」


 包み紙が華也の目の前に現れ、ぽとりと落ち、再度中空に現れ、六之介の手に戻る。


「瞬間移動……なるほど、あの時の地震は……」


「そ。鵺の足元の石とか土を動かしまくってたんだよ。軽いものなら触らなくてもいいんだけど、量があるときは触れた方が楽なんだ」


 包み紙を風呂敷に押し込む。


「さて、自分からは以上。で、こっからはこちらの番だ」


 一方的に話を切り、んーと声に出して、考え、口を開いた。

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