Day 17
「日菜ちゃん、どうした?とりあえず落ち着いて。そこに座ろうか」
静かになった病棟の廊下で、私の鼻をすする音が響く。するとそこに、誰かの足音が重なって来た。
「あらっ、日菜ちゃん?どうしたの・・・!和彦くん?!」
「あ、違う・・・!違います、木原さん・・・」
疑いを掛けられそうになってしまった和彦さんの無実を慌てて証明すると、木原さんはさらに不思議そうな顔をして私を見つめる。私が涙ながらに今まで彩恵ちゃんの病室にいたことを説明すると、木原さんは「そう、日菜ちゃんも、あそこにいたのね」と言って、普段の木原さんらしくなく、ため息をついた。
「え、彩恵ちゃん、どうしたんですか?」
その場に居合わせなかった和彦さんは、驚きと心配で木原さんに問い詰める。
「それがね・・・」
私と和彦さんは、木原さんに事の次第を聞いた。
今日のお昼。
彩恵ちゃんのお父さんらしき人物が桜が丘病院にいたことで、小児病棟の先生たちや看護師さんたちの話題は持ちきりになっていた。
「一華先生、どうするの。まさか彩恵ちゃんに悪いことはしないでしょうけど、彩恵ちゃんが見つけちゃったら・・・」
彩恵ちゃんは、まだ心のどこかでお父さんが来てくれると思っていることを、彩恵ちゃんに関わる大人全員が知っていた。だから、木原さんは一華さんにそう言ったみたいだけど
「どうもできませんよ。追い返すこともできないし・・・」
「そう、よね・・・」
「今まで彩恵に会いにも来なかったじゃない。今更、彩恵になにをしに来たの」
一華さんらしくなく、感情的になって返していたみたい。
そんな大人たちの気持ちとは裏腹に、彩恵ちゃんはお父さんを見つけてしまっていた。どこで、どんな風に彩恵ちゃんがお父さんを見つけたのかはわからない。
けれどもそのお父さんの隣には、彩恵ちゃんの全く知らない女の人と、「お父さん」と自分のお父さんを呼んでいる、幼い女の子の姿があったのだ。
ここまでくれば、彩恵ちゃんくらい勘が良くて聡明な子には全て分かる。
分かってしまったのだ。
「お父さんの中に、自分はもういなかった」んだって。
「それで、彩恵ちゃんのお父さんは?」
真剣に聞く和彦さんに、木原さんはただ首を横に振った。
木原さんの手には、彩恵ちゃんの部屋にあった千羽鶴がある。まるでさっきの彩恵ちゃんのように、1つ1つの鶴はくしゃくしゃになってしまっていた。
「一華先生も、自分を責めてないといいけどねぇ」
「ああ・・・。ん、そういえば日菜ちゃん。一華がどうした?」
私はそのひと言で、我に返った。だけど周りには人がいる。
迷った末に私は、お昼時じゃないと人がいない食堂に向かった。食堂には大きな窓があってすぐ近くには小さな本棚がある。
小さな本棚だけど、外の景色が広く見えることと、美味しいご飯の香りがすると言って、彩恵ちゃんもお気に入りの場所だ。
窓際の席に座った私に、和彦さんは自販機で買ったココアを渡してくれた。
「ありがとうございます」
「ううん、大丈夫。まだお昼じゃないから、しばらくは人は来ないよね」
和彦さんはそう言うと、もう一度優しく尋ねてくれた。
「一華が、どうした?」
「・・・一華さんが、彩恵ちゃんに、「私も昔、病気だった」って・・・。一華さん、大丈夫なんですか・・・?もしかして、一華さん、今でも・・・?」
「ううん。今は大丈夫」
安心でため息が出た。じわじわと体に温かさが戻ってくるのが分かる。
よかった。本当によかった。
「そっか。それでか。ありがとう、日菜ちゃん」
「いや、すみませんでした・・・、お節介で」
「ううん。ね、それ・・・、一華が自分で言ってたの?彩恵ちゃんに?」
「え、はい」
「どこまで?一華が手術した話は?」
何度も聞いてくる和彦さんに、私は疑心を抱きはじめる。和彦さんの方からも、なんだかただならぬ雰囲気を感じた。
「聞きました・・・。え、和彦さん。本当に?本当に一華さん、大丈夫なんですか?」
「ああ、うん。本当に大丈夫。普通に働いても平気だし、再発の可能性もないってちゃんと医者に言われてるから、大丈夫だよ」
「・・・」
「・・・でもね・・・・」
不意に和彦さんの横顔に切なさが見えた。いつも笑顔で優しい和彦さんからは想像できないほど、悲しい横顔だ。聞いちゃダメ、と言うように、窓の向こう側に見える木々が音を立てて風に揺れている。
「子宮全摘出したんだ。一華」
え?
子宮全摘出?
それって・・・。
・・・頭が追いついていかない。
・・・嘘でしょ・・・?
「子宮全摘出、ってことはさ。つまり・・・、赤ちゃんが産めなくなるってことだから。高校生の時の一華は、辛かったと思う。俺は男だから、もうその辛さは想像でしかないんだけどね。だから・・・、一華は彩恵ちゃんをどうしても救いたいんだよ。自分と同じ思いを、彩恵ちゃんや、他の子供たちにも背負わせないように」
私は一華さんの何でもないけれど、私の中で一華さんは間違いなく大きな存在だ。そんな一華さんに起きていたことを考えたら、怖さと悲しさで自然と涙が落ちていた。
私だって、まだ親にもなったことないし、子供が欲しいとか、あんまり深く考えてないから一華さんの苦しさは正直分からない。
でも、自分の体の一部がなくなる。それは想像するだけで怖くて悲しい。
「ああ、日菜ちゃんそんな顔しないで。びっくりさせたよね、ごめん」
私は涙を必死に拭きながら「ごめんなさい」と言う。
「一華にはさ、いつも通りでいてあげてほしいんだ」
和彦さんはいつもの優しい笑顔を向けて、そう言った。
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