Day 9
「オズの魔法使い」の劇が1週間後に迫った真夏日。
私はゆき音と、ずっと放っておいてしまっていた夏休みの課題に死にそうになりながらも、午後は桜が丘病院に向かった。
病院までそんなに距離はないはずなのに、汗が止まらない。
そんな猛暑の中たどり着いた小児病棟のナースステーションで、私とゆき音は木原さんに呼び止められる。
「2人とも、いつもありがとうねえ。 ・・・実はね、彩恵ちゃん、今ちょっと体調良くなくて」
「え・・・っ!?」
「大丈夫なんですか・・・!」
思わず声を上げて問い詰める私達とは反対に、木原さんはさすがベテランの看護師さんとあって、少しも動じることなく冷静に答えた。
「うん。動けないほどではないんだけど・・・、念のためにね。あ、何か彩恵ちゃんに伝えたいことがあれば、伝言預かるよ」
困惑した私達を落ち着かせるように優しく言ってくれた木原さんに、伝言を頼もうかと私達が顔を見合わせていたら、外来の患者さんの診察を終えたばかりであろう一華さんがいつもよりも速足で私達の横を通り過ぎようとした。
「あ、日菜ちゃん、ゆき音ちゃん・・・」
「彩恵ちゃんのこと、木原さんから聞きました」
ゆき音が言うと「せっかく来てくれたのに、ごめんね」と、一華さんは申し訳なさそうに言う。
「木原さん。彩恵は?」
「ちょっと熱が高いけど、それ以外は元気よ。呼吸も落ち着いてるし。でも・・・、「オズの魔法使い」に出るのは厳しいかしらね〰〰」
そんな・・・。
自分のことではないのに深く落ち込んでしまう。
彩恵ちゃん、あんなに頑張って練習してたのに・・・。でも、命に代えられるものは何もないよね。
「ほら!あなたがそんな不安そうな顔してどうするの!」
落ち込む私の隣で、明るく!と木原さんに喝を入れられた一華さんは、一度深く深呼吸をすると「すみません。彩恵のところ、行ってきます」と言うと、いつもの一華さんに戻って行った。
「あの子、彩恵ちゃんのことになると途端に心配性になるんだから」
私はそう言う木原さんを、思わず笑顔で見つめてしまう。
「ん?日菜ちゃん?」
「あ、ごめんなさい・・・。その、さすがだなあって」
「私が?」
自分を指さす木原さんに、私は深く頷いた。
「一華さんの表情が変わらなくても、ちゃんと一華さんが「不安そうな顔」してる、って・・・、木原さんには分かるんですね」
私が見ても一華さんは無表情のままだった。その中から一華さんのかすかな「表情」を読み取った木原さんは、やっぱりすごい。
木原さんはお茶目な笑顔を浮かべながら言う。
「一華先生とは長いお付き合いだからね。やだ、日菜ちゃんにそんなこと言われたら照れちゃうわ!でもね、彩恵ちゃんの方が良~く一華先生のこと見てるのよ?」
「2人は親友ですからね」
「ね」と、ゆき音といつもよりも少しぎこちない笑顔で頷き合う。そんな私達を見た木原さんは、優しい笑顔のまま私達の肩に手を置いた。
「本当にありがとうねぇ、2人とも。2人だけよ、こんなに一華先生と彩恵ちゃん理解してくれるのは」
「え、そんな」
「そうですよ。和彦さんもいるのに」
「和彦君も含めて。今日はごめんね、せっかく来てもらったのに。また来てあげてね」
そう言われたことを家に戻って茉莉ちゃんに報告すると、お花の手入れに追われながら
「そうなんだ・・・、まあ、劇のことは残念だけど、こればっかりは仕方がない。大事なのは彩恵ちゃんだもん。彩恵ちゃんは、大丈夫そうなの?」
と、茉莉ちゃんも心配そうに尋ねる。
「たぶん・・・」
私とゆき音は茉莉ちゃんも仕事を手伝いながら、何度も何度も彩恵ちゃんの様子を心配しあった。
夏の力強い新緑に対して、花屋で飾られている花達は夏の気温には強くない。ところどころ痛んでしまっている花を見ては、なんだか嫌な予感を感じずにはいられない。あんなにきれいに花を咲かせていたのに・・・。
ダメだ、考えたら。
そう思っていたら、誰かのスマホの着信音が鳴り響いた。「誰の?」と探しあうのが最近のお決まり。今回は茉莉ちゃんのスマホだったようで、茉莉ちゃんはショッキングピンクのスマホケースを耳にあてた。
「いやー、一華さーん!」
えっ?
嬉しさ全開で発された言葉に、私は思わず持っていたバラを落としそうになる。
いつの間に連絡先を交換し合うほどの中になっていたんだろう・・・。我が従妹ながら怖ろしい。
「日菜?いますよ」
「私?!」
仰天する私に茉莉ちゃんは何ともない顔でスマホを渡してくる。茉莉ちゃんにとっては何ともないかもしれないけど、私にとっては大事件だ。
一華さんといきなり電話だなんて!
私は慌ててスマホを受け取って耳に当てると、緊張で少し上ずった声で言った。
「も、もしもし」
『あ、もしもし。ごめんね、急に・・・』
「いえ・・・」
『彩恵がどうしても、日菜ちゃんとおしゃべりしたいって言ってるの。少しだけ話してやってもらえないかな・・・』
「そうなんですね。ぜひ!あ、今ゆき音も茉莉ちゃんも近くにいるので、スピーカーにしましょう」
そう言って私は2人に事情を話し、スピーカーのマークを指でタップする。すると、いつもよりも少し弱々しい彩恵ちゃんの声が、静かなお店の空間に響いた。
「ひなちゃんたちー?」
いつもと違う声に思わずドキッとしてしまう。
「彩恵ちゃんー!私達だよー!」
茉莉ちゃんのいつも通りの声に電話越しに彩恵ちゃんが微笑むのが分かる。
電話の向こう側にいる彩恵ちゃんは今、どんな状況なんだろう。私には想像することしかできないけれど、想像しただけで私まで心細い思いになった。
「ごめんなさい・・・、みんな、練習たくさんしてくれたのに・・・」
「いいよ、そんな謝ることじゃないし・・・、彩恵ちゃんが1番大切なんだから!」
「日菜の言う通りだよ。ゆっくり休んで」
心配そうに伝えるゆき音に、彩恵ちゃんは弱く・・・、でも確かに芯のある声で答える。
「でも、わたし・・・、劇には出る」
予想外の宣言にみんなが黙る中、彩恵ちゃんの声が店内に馴染んでいった。芯があって決意のこもった声が馴染んでいく。
「出るよ、出たいもん。最初は嫌だったけど・・・、日菜ちゃん達とか、和彦さんとか・・・、一華先生とかがいてくれたから、楽しかったの。それにね、一華先生が約束してくれたんだ。発表会終わったら・・・、おっきい花束くれるって」
「・・・うん・・・」
「わたしね、頑張って生きたいの」
彩恵ちゃんとの電話から2日後。お店に久しぶりにやって来た人がいた。
「・・・いらっしゃいませ」
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